隣人を愛しなさい
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- 説教
- 久保田証一牧師
- 聖書 レビ記 19章23節~37節
「あなたたちの下に寄留する者をあなたたちの内の土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。」レビ記19章34節日本聖書協会『聖書 新共同訳』
レビ記 19章23節~37節
私たちの主イエスは、律法の専門家に対して、善き行いをしたサマリア人のたとえを話された後、あなたも行って同じようにしなさい、と命じられました。このサマリア人は、追いはぎに襲われて倒れていた人を助け、宿屋に連れて行って介抱し、必要な費用まで払ったのでした。同じようにしなさい、と言って主イエスは律法の専門家を送り出したのですが、それは彼に隣人を愛するということの出発点に立たせるためでした。今日は、「隣人を自分のように愛しなさい」と律法の専門家も答えていた(ルカ10章27節)御言葉が記されている旧約聖書のレビ記から、この戒めについて主が何と教えておられるかを聞きます。
1.隣人愛の戒めが与えられている理由
このレビ記19章は、主の民とされた者がどのように歩むべきかを教えている大変重要な個所です。特に倫理道徳的な面についての律法の掟が記されています。レビ記には、罪の贖いの儀式をどのように行うかという律法や、清めの儀式をどう行うかという規定等が書かれていますが(14~16章等)、この19章はレビ記の中では特に隣人愛の教えが具体的に書かれている所で、現代の私たちにも大変深く関わっています。聖書は神の御言葉であり、いつの時代、どこに住んでどんな民族に属していようが聞くべきものですが、それは主キリストをどういう方として信じるかによって読み方が決まります。特に旧約聖書には様々な時代的制約の中で命じられた掟や規定がありますが、キリストが実現してくださったから既に必要がない掟があります。動物を献げて罪の償いの儀式を今でも行うとしたら、私たちはキリストの十字架の犠牲とそれによる罪の贖いによる罪の赦しを退けることになります。だから、私たちはもはや動物犠牲による罪の償いの儀式は行いません。それは聖書の戒めに背くことではなく、罪の贖いを主イエスが完成されたので、旧約律法は、その点は役目を終えています。だから私たちは、文字通りに儀式を行わないのです。
ただ、このレビ記の教えを与えられた旧約聖書の時代の人々にとっては、まだ主イエスがこの世に来ておられませんから、十字架で人の罪を償い、信じる者に赦しを与えるという、今の私たちが生きる新約時代には生きていません。だから罪の贖いについて儀式的なことが律法で規定されている通りに守ることで、この時代の人たちはそれで罪の赦しを受けていました。ただしそれもキリストの十字架による贖いと罪の赦しがあるから有効なのです。旧約聖書の諸儀式は、やがて来るべきキリストを指し示しており、その到来を待ち望み、その贖いの御業を前提としているのです。
しかし、倫理道徳的な面では旧約聖書の様々な戒めはなお生きており、今日生きる私たちもそれに従って生きるようにと召されています。それは、主イエスによる救いを受けた者として、改めて主の掟に相対し、神を愛し隣人を愛することにより聖なる者とされていき、神の民として相応しく歩み、神の栄光を現すように召されているからです。
2.わたしは主である
今日朗読されたのは23節以下です。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という18節で区切られている個所の次にある種々の掟です。神を愛し、隣人を愛するにはどうしたらよいかを実生活の中でどう実行するのかを具体的に教える個所です。23節以下から神の御心に聞きますが、ここにある戒めは、今日の私たちには、当てはまらないものもあると言えますが、しかしこれらの戒めが何を土台として考えているのかを見る必要があります。
まず、これから入って行く土地で果樹を植える時には無割礼のものと見なさねばならないのですが、割礼はもちろん男子の体に対してなされるもので、まず男の子が生まれると施されます。あるいは外国の人がユダヤ教の信徒になる時にも施されます。それを果樹に当てはめるのは、果樹が無割礼とされる三年間は、未成熟でまだ神には献げられないものと見なされるということです。今、私たちはこういう掟を、果樹をどう扱うかの規準とはしませんが、主に献げるものをどう選び、どのように献げるか。これは時代や社会が変わっても共通して常に考えるべきことです。
血を食べること、もみあげをそり落とすとか、ひげの両端をそることなどは異教徒的習慣だったために、特に禁じるものです。死者を悼んで身を傷つけるのは、後にエリヤと対決したバアルの預言者たちが自分たちの神を呼ぶに当たって、その習わしに従って剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでに至ったということがありました(列王記上18章28節)。だから、そういう異教的習慣を行うなと命じているのです。入れ墨はどうでしょうか。タトゥーと言って軽いファッションとして行うものもありますが、入れ墨をしている人が主を信じるようになることはあり得ます。もみあげをそり落とすことは、今日では異教的習慣としては見ないかもしれません。血を含んだ肉、焼き方が不十分だったり、あえてよく焼かない食べ方もありますが、旧約聖書の律法では血を食べる者は断たれるとされています(レビ記17章10節)。初代教会時代には、信徒の周りにユダヤ教の信者がいて会堂で律法の朗読を聞いているので、そういう人々のつまずきにならないように、それを避けなさいということでした(使徒言行録15章19~21節)。
しかし占いや呪術となると、真の神様ではなく、他の何らかのものに頼って自分の将来をゆだねようとする態度が入ってきますから、当然私たちも避けるべきです。霊媒や口寄せに尋ねるのも同じです(31節)。これについては、時代がどれだけ変わろうとも、真の神を信じる信仰からして決して行うことはできません。それで、ここに書かれていることは、異教徒の習慣や風習に関わることと、真の神に対する信仰の根本に関わることの両方が含まれています。私たちは、一覧表を作って対処するのではなく、救いに関わる根本的な点と、時代や社会の習慣や風習に関わることとを見極めねばなりません。信仰の根本に関わらなくても、その時代や土地によっては異教徒の大事な習慣である場合、私たちがそれを同じように行うことで、誤解される恐れがあるなら、そういうものは避けるべきなのです。
ここで主は何度も、「わたしは主である」と言われます。主が私たちの主となってくださったのだから、私たちは従うのです。この時の人々は、エジプトの奴隷の地から救い出してくださった主が命じられるから従うのです。今の私たちは、主イエスが罪から救い出してくださった大いなる恵みに与っているのだから、その主に従うのです。
3.わたしの掟と法を守り行いなさい
安息日を守り、聖所を敬うことは、主への礼拝を尊び、大事にすることでそれは主ご自身を敬うことの現れです。私たちにとっては、私たちの罪の贖いのために十字架で死んでくださり、そして日曜日に復活された主イエスの恵みに感謝して特に日曜日を主の日として礼拝し大事にし、神への感謝と賛美を共に献げ、御言葉に耳を傾けるのです。
また寄留者のことを同胞と同じように扱い、自分自身のように愛しなさい、と命じられています。同胞たちを当然愛すべき隣人として見ているあなたたちは、寄留者も同じように愛しなさいということです。かつては自分たちも寄留者だったのだからです。今、何々人ファーストという言い方がされます。日本も戦国時代などには、同じ日本人なのに戦い、殺し合いました。国籍や民族が違うと排斥して隣人として愛さないのは実に小さな考え方です。私たちは同じ地球に住む同じ人間だからです。各々の国土も、神が分け与えられたものです。人は世界中のあらゆる地域で、神から住むべき場所を割り当てられているに過ぎません(使徒言行録17章26節)。35節以下では、商売に限らず不正を働いて儲けたりせず、正しいことを行いなさいと命じられます。主が正しい方だからです。
これらの戒めは、結局主なる神を、心を尽くして愛することと、隣人を自分のように愛すること、この二つを具体的にどのように現わしていくのか、を教えているのです。だから、ここに出てこないような状況に置かれることもあるかもしれません。そういう一つ一つの状況で、この場合はどうするかを、いちいち手引書によって教えられないと隣人愛が実行できないでしょうか。そうではなく、隣人を愛する者は律法を全うするのです(ローマの信徒への手紙13章10節)。ただ、このように旧約聖書に事細かく戒めや掟が示されるのは、教育的な面があり、隣人愛をどう実行するかの手引きや指南書の意味もあっていろいろな箇条で示されるのです。子供は躾けられて、あれはだめ、これもだめ、これは進んでしなさい、というように一つ一つ教えられてよいことと悪いことを段々と自分で区別できるようになります。なかなか人間はそれができないのですが、だからと言ってあきらめないで教えることによって、何が良いことで何が悪いことかを身に着けていきます。聖書では、それが神様の規準で教えられます。
神を愛し、隣人を愛することの根拠を確認します。「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです」(ペトロの手紙一 1章15、16節)。わたしたちが贖われたのは、金や銀によらず、キリストの尊い血によっています。その救いの尊さを知った時、私たちは恐ろしい主から命じられているからではなく、キリストにおいて現わされた主の愛に動かされて、その戒めに従おうとする道に召し出されたことに目が開かれるのです。
