週報コラム 2026.2.15
主の名をみだりに唱えてはならない
「神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」マルコによる福音書 8:38
十戒の第三戒は「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」です(ウェストミンスター小教理問答問50)。
この戒めで禁じられていることについて、同大教理問答は問の113で、大変長い文章で答えています。その一部を引用します。「~無知・無益・不敬虔・神聖冒瀆・迷信・あるいは悪意により、神の称号・属性・規定・御業に言及したり用いたりすることによって、神の御名を濫用することです。それは次のことによってなされます。冒瀆と偽りの誓い。~神の聖定や摂理に対してつぶやいて苦情を言ったり、好奇心でせんさくしたり、誤用すること。~呪文を唱えるためや、罪深い欲望と実践のために悪用すること。~その信仰を恥じること~。」
昔から、神業という言葉があり、何かの折に耳にします。常人にはできないようなすごいことができる人の技能に対して言われます。近年では、あるスポーツで非常に秀でた選手に、何々(スポーツの名称)の神、と言うことがあり、芸術の分野でも同様のことはありそうです。あるいは何かに対する寛大な対応を神対応などと言ったりもします。
日本では、上古の時代(大和・奈良時代)においては人を尊んで「加美(かみ)」といったのは普通のことだと新井白石が言っています。「神とは人である。わが国の習俗では、およそ尊ぶ人を「加美」と呼んだ。いにしえもいまも、そのことばはたがいに同じである。~漢字を仮りに用いるようになって「神」と記したり、あるいは「上」と記したりするというような分化も現われてくる」(『「古史通」巻の一』中公バックス『日本の名著』15、p.265、270)。そういうことから、特に日本人は、人に対して「神」という尊称をつけることにあまり抵抗を感じないのかもしれません。
私たちは「天地の創造主」である方だけを「神」と呼んで尊ぶことをよくよく意識する必要があります。同時に、神の聖定や摂理に対してつぶやいて苦情を言うのは、特に神を信じる者が注意せねばならないことです。
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