週報コラム 2025.12.14
十字架の下で
「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。」ガラテヤの信徒への手紙 6:14
尾張旭教会の屋根の十字架にはかつてはスポットライトが当てられていましたが、何らかの原因でだいぶ前から点かなくなっており、この度十字架本体にLED照明をつけました。暗くなるとセンサーが感知して自動的に点灯します。夜間も、十字架が見えるようになりました。新たな案内看板も、会堂西側の壁とカーポートの南側に、そしてフェンスに2か所つけました。玄関が通りから見えないので初めて来た方には役立つと思います。
私たちが教会の屋根に十字架を掲げたり、看板に十字架のしるしを入れたりするのは、一般にも知られている十字架を掲げて、教会の存在をわかりやすくするためです。十字架はお守りや、拝む対象や、単なるアクセサリーとされることもあるようですが、十字架を掲げる意味を私たちもよく弁えたいものです。
ガラテヤの教会には割礼という儀式を受けていることを誇る人々が入り込んでいました。それで使徒パウロは自分には十字架のほかに誇るものなどあってはならないと書いたのです。
十字架を誇るとは、私たちの罪がキリストの十字架によってだけ取り除かれると信じ、それにのみ依り頼むことです。自分の業や何らかの儀式その他によっては、人は救われないからです。
会堂の最も高い所に十字架を掲げ、しかも夜でも見えるように目立たせているとしたら、その下で語られる言葉は十字架の言葉であり、集まってその言葉を聞く信徒たちも、十字架だけを誇りとする信仰に生きている者である。照明がつき、夜空に浮かぶ十字架を見て、改めてそのことに思いを至らせられた次第です。
その十字架の意味を思い巡らしながら、あえて苦しみと辱めを受けて十字架で御自身を献げてくださった救い主をあがめましょう。
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