2021年01月14日「祈りと共にある教会と信仰者」

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祈りと共にある教会と信仰者

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
使徒言行録 2章40節~42節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:40 ペテロは、ほかにも多くの言葉をもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
2:41 彼の言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
2:42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
使徒言行録 2章40節~42節

原稿のアイコンメッセージ

 昨年の8月まで、祈祷会では主の祈りをやや詳しく学び、9月以降はヨハネ福音書15:5の葡萄の木と枝の譬から、イエスに留まる信仰者に与えられる霊の実について学びました。それも終り、主の祈りに戻ろうと思いましたが、来週から礼拝説教で主の祈りを扱いますので、今日は、信仰者また教会と、祈りとの不可分な関係を聖書全体から改めて見てみたいと思います。

 ウェストミンスター小教理問答88は「キリストが贖いの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な普通の手段とは、キリストの規定、特に御言葉、礼典、祈祷です。この全てが、選民にとって救いのために有効とされます」と述べます。その通り、御言葉と礼典と祈祷は、主御自身が定められた尊い恵みの手段であり、祈りとはそれ程大切なものなのです。

 このことは聖書全体から良く分ります。例えば、創世記4章は、アダムの子カインによるアベル殺害とカインの子孫、特にレメクの罪深さに言及し、一方で、新たに生れたアダムの子セツとその子孫に触れ、26節「その頃、人々は主の名を呼ぶことを始めた」と伝えます。神に背を向ける罪がますます広がる中、神ご自身が信仰者をお残しになり、その彼らの特徴は「主の名を呼ぶ」こと、つまり、祈りを中心とする礼拝であることを伝え、祈りがそれ位、信仰者の顕著な特徴であることが分かります。

 創世記32章は、兄エサウに会うことをひどく恐れたヤコブが、ヤボクの渡しの近くのペヌエルで、一晩中、神の使いと格闘したことを伝えます。それ程、激しく神に祈ったのでした。その結果、彼は冷静にエサウに会うことができ、神は信仰者ヤコブとその一族を守られました。

 ペルシア王アルタクセルクセスに仕えたユダヤ人ネヘミヤは、バビロンに連れて行かれずユダヤに残された人々がペルシアの都スサに来た時に彼らから祖国の荒廃した様子を聞き、ショックの余り、座り込んで泣き、数日間嘆き悲しみました。しかし、それだけでなく、彼は断食し、神の前に心を傾けて祈りました。その祈りがネヘミヤ記1:5~11に記されています。その熱い真剣な祈りがあったからこそ、神はペルシア王の心を動かされ、ネヘミヤを強め、洞察力も知恵も与え、エルサレムの城壁再建という大事業を彼に可能とされたのでした。どんな偉大な業(わざ)も祈りから始まることを、ネヘミヤ記は教えます。

 エステルも、ペルシアにおいてユダヤ人絶滅が起ろうとする時、モルデカイに言いました。エステル記4:16「行って、スサにいるユダヤ人を皆集め、私のために断食して下さい。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにして下さい。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにした上で、法令に背くことですが、私は王の所へ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」そして彼女もユダヤ人たちも皆断食し、全身全霊を傾けて真剣に祈りました。神はこれを聞かれ、驚くべきどんでん返しが起り、ユダヤ人は絶滅を免れました。この出来事の中心にも祈りがありました。

 そして全部で150篇からなる詩篇があります。詩篇は、元は旧約時代の信仰者たちの祈った祈りが中心です。感謝、喜び、賛美、願い、嘆き、確信の表明、信仰告白、執り成しなど、信仰者のあらゆる種類の祈りが集められた詩篇が聖書に綴じられていることの意義は、何と大きいでしょう。信仰は事実、祈りと不可分なのです。信仰は祈りとなって現れないではおられません。

 そして、このことは新約時代になっても単に同じというだけでなく、むしろ、もっと明確かつ鮮やかな形で示されます。

 誰よりも主イエスご自身、その公生涯を、マタイ4章が伝えるように、40日40夜の断食をもって、つまり、全身全霊を傾けた祈りをもって始められました。

 主は、そのご生涯において、一体何度朝早く起き、人里離れた所へ行って父なる神に祈られ、御父と交わりを持たれたことでしょう。

 主はまた十字架の前夜、ゲツセマネの園で汗が血の滴るように地面に落ちる程、祈られました。

 それどころか、ルカ福音書23:46が伝えますように、最後は十字架の上で大声で叫ばれ、「父よ、私の霊をあなたの御手に委ねます」と、いわば天の父に祈って息を引き取られました。

 そして先程お読みしました使徒の働き2:40以降ですが、42節は伝えます。「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」ここは代表的なものの一つであり、初代教会が実によく祈ったことを、使徒の働きはここかしこで伝えます。個々人もまた当然同じだったでしょう。そしてここに、初代教会の霊的活力の源があったことを教えられます。

 以上、聖書により神が教えておられる信仰者と教会の姿を見てきました。何があろうとも、素晴らしい恵みの手段である祈りと共にある教会また信仰者でありたいと思います。

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