2020年02月02日「御言葉(みことば)を宣べ伝えなさい」

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御言葉(みことば)を宣べ伝えなさい

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
テモテへの手紙二 4章1節~5節

聖句のアイコン聖書の言葉

新改訳聖書 2017年度版

 4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
4:5 けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。
テモテへの手紙二 4章1節~5節

原稿のアイコンメッセージ

 今日の午後の会員総会でも確認しますが、当教会の今年の標語は「教会設立を目指して-福音に生き、福音を飾り、親しい方をお誘いしよう-」です。要は、伝道に精一杯取り組もうということです。今朝はそれに関係する説教を致します。

 信者でない方には分りにくいと思いますが、今この教会は、正式には教会ではなく、伝道所と呼ばれる段階にあります。

 使徒の働き14:23が伝えますように、使徒パウロは伝道の結果生れた教会毎に長老たちを選び、教会運営を彼らに託しました。彼らの中で、特に御言葉(みことば)・福音を教え伝える働き、つまり、宣教に携わる長老(宣教長老)が、やがて牧師と呼ばれるようになり、一方、信徒や求道者のケアを初め、教会の諸々の運営に携わる者が、長老(治会〈ちかい〉長老)と呼ばれるようになります。

 そして現在のことで言いますと、まだ長老のいない伝道所の段階では、色々なことの最終判断とその責任は牧師にありますが、伝道所が成長し、牧師と長老とで構成される会議で全てが良く諮られ、聖書と信条と教会規程に従って健全に決めることのできる状態になりますと、教会と呼びます。当伝道所は、やがて長老が立てられ、教会に種別変更される、いわゆる教会設立を目指しています。

 何故教会になるべきなのか。この大事な点は、いつか改めて時間を取って学びたいと思います。そこで今朝はキチンとした教会となるために大切な、伝道の動機と心構えという基本的なことを確認したいと思います。

 

 まず、伝道の動機を確認します。そもそも教会設立をする・しないに関らず、伝道は教会とクリスチャンにとって最も尊い働きです。何故なら、それは神の御心だからです。更に言いますと、神が私たち人間を愛しておられるからです。

 神は、誰一人、罪のために永遠に滅びることを望まれず、永遠の救いに至ることを望んでおられます。Ⅰテモテ2:4は言います。「神は、全ての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」それは神が私たち人間を愛しておられるからであり、その神の愛は神が御子イエスを世に遣わされたことに最も鮮やかに表れています。ヨハネ福音書3:16は言います。「神は、実に、その独り子をお与えになった程に世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 そもそも私たちが神の恵みによって信仰を与えられ救いに入れられたのも、私たちの幸せのためだけではありません。私たちがこの世界の祝福となるためでした。信仰の父と呼ばれたアブラハムに、神は4千年も前にこう言われました。創世記12:2、3「あなたは祝福となりなさい。…地の全ての部族は、あなたによって祝福される。」

 ですから、伝道、すなわち御言葉を伝える最大の動機は、罪ある私たち全人類への神の愛に他ならず、単にキリスト教の拡大のためではありません。そのままでは滅びゆく隣人の魂を悲しむこともなく、愛のない単なる勢力拡大が動機の伝道など、主の御心ではありません。パウロは言いました。Ⅰコリント13:3「たとえ私が持っている物の全てを分け与えても、たとえ私の体を引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」

 伝道の最大の動機は、御子イエス・キリストの十字架に最も鮮やかに表されているように、全ての人への神の愛なのです。この根本的なことを忘れず、その上で具体的な伝道の理由や目的を考えることが大切と言えましょう。

 そこで、教会設立との関連で言いますが、私たちがしっかりした教会を設立するためには、伝道がもう少し進み、教勢面でも会計面でも成長し、安定することが重要です。

 教会運営、つまり、教育や牧会や交わりなどの諸活動、それと会計の面で、私たちの教会がただ安定し、まあまあ出来ていれば良いのではありません。私たちの属する四国中会や日本キリスト改革派教会全体や海外宣教に対して、また地元岡山の他のキリスト教諸教会、更に地域社会や隣人へのディアコニアと呼ばれる愛の奉仕の点でも、より豊かに奉仕や支援の出来ることが大切です。神はそういうことを期待しておられます。ですから、当教会の伝道がもう少し進むことが必要だということです。

 そういうわけで、今年の教会標語を「教会設立を目指して-福音に生き、福音を飾り、親しい方をお誘いしよう-」にし、「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」という聖句を選びました。

 そこで大きな二つ目として、伝道の心構えという点に進みます。この点で「福音に生き、福音を飾り、親しい方をお誘いしよう」と少し具体的な文言を標語に入れました。

 まず「福音に生きる」ですが、これは、この世の価値観や人生観、死生観をではなく、福音、すなわち、聖書の神の教え、御言葉をこそ、ハッキリ私たちの生きる原理とするということです。今朝はこれ以上触れられませんが、来週の主の日からマタイ福音書5~7章、つまり、イエス・キリストの語られた山上の説教を学ぶ中でおいおい触れたいと思います。とにかく私たち自身が福音に生きることが最も伝道に繋がります。心したいと思います。

 次は「福音を飾る」です。テトス2:9、10でパウロは、初代教会に多かった奴隷のクリスチャンたちに教えるべき内容に触れ、その中で「それは、彼らがあらゆる点で、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです」と述べています(10節)。ここで「飾る」と訳されているギリシア語・コスメオーは、英語のコスメティック、つまり、化粧品とか整髪などの言葉の語源となるものです。おしゃれは自分のためですが、人のための身だしなみとしての整えた顔や髪の毛は、人に好感を与えます。同様に、私たちがイエス・キリストを心から信じ、福音に従うことは、神の清い教えを飾ることになり、伝道に結び付きます。実際、私たちと接する方々が私たちの中に真実で清いものを感じ、キリスト教や教会に興味と好感を抱き、求道して下さるなら、何と感謝なことでしょう。

 第三の「親しい方をお誘いしよう」については、説明の必要がないと思います。ただ一言(ひとこと)言い加えますと、私たちが社会に出て色々な方と親しくしていなければ、人は誘えません。親しくしていればチャンスは与えられます。その意味で、普段から色々な人と進んで親しくすることは、どんなに大切でしょうか。

 最後に、伝道の心構えということで、教会標語の聖句、Ⅱテモテ4:2「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」を見ます。が、むしろ1~5節の全体を見ておきます。ここは直接には、牧師また伝道者であったテトスへの教えですが、私たちクリスチャン皆への教えとして学んでも良いでしょう。

 伝道に励むにあたり、第一に1節から教えられますように、世の終りとイエス・キリストの再臨とその裁きの時が近づいていることをしっかり意識したいと思います。裁きは、生きている人にも死んでいる人にも、またクリスチャンでない方にも私たち伝道する側のクリスチャンにも臨みます。しかも、「思いがけない時」(マタイ24:44)に突然来ます。是非この終末意識をもって伝道に真剣にいそしみたいと思います。

 第二に2節「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」とあります。私たちの生きる周囲の状況についての私たちの気持だけで、伝道しやすい・しにくいなどと一喜一憂するのではなく、とにかくコンスタントに粘り強く励むことを教えられます。この点を標語に入れた今年は、事実、粘り強く励みたいと思います。

 第三に2節「忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら」とあります。元のギリシア語を直訳しますと、「全ての忍耐と教えをもって」となります。昨年出ました聖書協会共同訳は「忍耐と教えを尽くして」と、うまく訳しています。恐らくここは、忍耐を尽くして教えよ、ということでしょう。私たちは、何でもすぐ結果が表れないと気落ちしやすいですが、罪ゆえの人間の頑なさや鈍感さを思えば、伝道は勿論、教会内での信徒や子供たちへの教育も、忍耐を尽くしてすることは、どんなに大切でしょうか。

 第四に2節「責め、戒め、また勧めなさい」とあります。要するに、罪や不信仰をキチンと鋭く指摘し、が同時に神の愛をもって温かく励ます、というこの両面が大切だということでしょう。

 そして第二、第三、第四点を書いた理由が3、4節で言われます。読んでおきます。「というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい教えを聞こうと、自分の好みに従って自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。」教会の外に向っての伝道でも教会内の教育でも、これは昔も今も同じです。

 そこで、最後、第五に5節が述べられます。「あなたは」という言葉が原文では強調されています。すなわち、周りがどうであれ、私たち自身が自分を良く支配し、伝道する者として神の前に最後までひたすら忠実であれということです。伝道の何と大切な心構えでしょうか。

 以上、今年の教会標語を覚え、伝道の動機と心構えという大事な点を確認しました。

 神が全ての人を愛しておられる!だから、教会として、また一信徒として、私たちも伝道にいそしむ!最終的には、隣人への最も尊い愛の奉仕である福音宣教の業(わざ)を、特にこの一年、主が導き、繰り返し私たちを励まし、鼓舞して下さることを、祈り願います。

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