2026年07月16日「神の愛の故に ー生きて良いー」

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神の愛の故に ー生きて良いー

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 3章16節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:16 神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。ヨハネによる福音書 3章16節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、ヨハネの福音書3:16から少し自由にお話させて頂きます。

 ここは多くのクリスチャンに愛されている聖書箇所であり、福音が見事に要約されています。「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 神はご自分の愛しい(いとしい)独り子(ひとりご)を、救い主として世に送られ、その独り子イエスは、神に背く私たちに対して、神の計り知れない愛を表されました。が、それを理解しない当時の不信仰なユダヤ人たちに十字架で殺されました。しかし、そこにも神の計り知れないご計画がありました。主イエスの死は、私たちを罪と永遠の裁き、滅びから救う贖い(あがない)の死だったのです。

 イエスは、旧約聖書の預言とご自分のお約束通り、三日後に復活されました。全く正しく、きよい主イエスが死に支配されるはずがないからです。そして、復活後、40日間、度々弟子たちにご自分を現わし、天の父なる神の御許(みもと)へ昇られました。天の父なる神から天と地のあらゆる権能を授かった主は、今、万物を支配され、ご自分を信じ、受け入れ、依り頼む者に罪の赦しと永遠の命を与え、絶えず執り成し続けて下さっています。「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 これは短い御言葉ですが、御子を心から信じる者への大変豊かな恵みを語っています。

 で、その恵みの一つは、「自分に何かができるから、私たちには生きる価値があるというのではない」ということです。私たちをご計画によって造られ、信仰をもお与え下さった神が、御子を賜ったほどに私たちを愛しておられる。ですから、私たちは天に召される時まで、生きていてかまわないのです。無論、教会員として教会に属し、教会の中にいて良い。色々失敗し、信仰が薄くて毎日罪を犯し、情けなくて自分がイヤになり、またアタフタしながらも、生きていて良いのです。

 何事もそうですが、私たちが自分を考える時も、出発点は神なのです。御子を賜ったほどに私たちを愛しておられ、ただ御子イエスへの信仰の故に私たちを受け入れ、私たちの存在そのものを喜んでおられる神が出発点なのです。これを外(はず)しますと、私たちは自分の生きる意味も価値も分らなくなります。これを改めて深く心に刻んでおきたいと思います。

 私が以前、勤めていましたキリスト教病院の若い看護師さんが、かなり前のことですが、毎朝持たれる朝の礼拝で語られたお話の原稿を下さっていましたので、その一部をご紹介したいと思います。「看護師としてもクリスチャンとしても不十分な自分がここで働き続けること。」このことに、当時、とても辛くなっておられたのですが、それを乗り越え、次のように語られました。

 「これでいいのか、ここにいていいのかと悩んでいた根底には、『私はこの場所で何一つ働きがなせていないのでは。…何も目に見える結果が残せていない…』という不安があり、何かをすることだけが自分自身を評価する基準となり、それだけが自分の存在意義となっていることに気付きました。そして、何もできていないと感じる自分が、クリスチャンとしての存在意義もないように感じていたのです。

 けれども、何かができるから私たちはクリスチャンではないのです。何かができるから神様は愛して下さるのではないのです。神様を信じていること。それだけで、またそれこそがクリスチャンなのです。そして、こんな私でいいのだと言って下さり、私が今ここにいる。ただそれだけで神様は喜び、そして愛して下さっているのです。

 私のすることが全て正しいというのでは、勿論、ないですし、これでいいから何も努力もしない、というのではありません。けれども、自分を否定するのではなく、今私がここにいること、それは神様の大きな大きなご計画の中にあり、神様が喜んで下さっているということが大切なのだと思いました。」

 まさにこの通りですね。何かができるから、私たちを神が愛して下さるのではない。失敗し、挫け(くじけ)、不信仰で罪深く情けない自分自身に泣くこともある。けれども、主イエスをのみ希望とし、主に従いたいと願っている!それだけで、神には大きなお喜びなのです!御子を賜(たまわ)ったほどに、神は私たちを本当に愛して下さっているからです。

 無論、自分自身の怠惰や傲慢や自己中心性は戒めなくてはなりません。しかし、自分の考えだけで自分を卑下(ひげ)し過ぎたり、裁き過ぎることはやめ、ただ神の愛の故に一切を神に委ね、詩篇146:1、2に「ハレルヤ、わが魂よ、主をほめたたえよ。私は生きている限り、主をほめたたえる」とありますように、是非、私たちも、主に感謝し、また笑顔で、自分にこのように命じたいと思います。

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