2026年07月12日「偽善者のわざわい ⑵」

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偽善者のわざわい ⑵

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 23章25節~36節

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聖句のアイコン聖書の言葉

23:25 災いだ、偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは杯や皿の外側は清めるが、内側は強欲と放縦で満ちている。
23:26 目の見えないパリサイ人。まず、杯の内側を清めよ。そうすれば外側も清くなる。
23:27 災いだ、偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。
23:28 同じように、お前たちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ。
23:29 災いだ、偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは預言者たちの墓を建て、義人たちの記念碑を飾って、
23:30 こう言う。「もし私たちが先祖の時代に生きていたら、彼らの仲間になって預言者たちの血を流すということはなかっただろう。」
23:31 こうして、自分たちが預言者を殺した者たちの子らであることを、自らに証言している。
23:32 お前たちは自分の先祖の罪の升を満たすが良い。
23:33 蛇よ。まむしの子孫よ。お前たちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。
23:34 だから、見よ、私は預言者、知者、律法学者を遣わすが、お前たちはその内のある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る。
23:35 それは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でお前たちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、全てお前たちに降りかかるようになるためだ。
23:36 まことに、お前たちに言う。これらの報いは全て、この時代の上に降りかかる。マタイによる福音書 23章25節~36節

原稿のアイコンメッセージ

 私たち罪人を、罪そのものと、死後の神による永遠の裁きから救うために父なる神のもとから来られた神の御子・主イエスを、ユダヤ教指導者たちは敵視し、十字架にかけて殺します。しかし、指導者の罪と不信仰は一般の民衆をも誤らせ、滅びに至らせます。ですから、イエスは彼らの特に偽善を厳しく指摘し、神への恐れと悔い改めを促されました。本日、私たちが学ぶ25節以降もそれが続きます。ここを私たちも自分への警告として真摯に受けとめたいと思います。

 さて、イエスは彼らの罪を色々な比喩を使って指摘されます。その一つは、外側と内側とが違うという偽善です。25、26節「災いだ、偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは杯や皿の外側は清めるが、内側は強欲と放縦で満ちている。目の見えないパリサイ人。まず、杯の内側を清めよ。そうすれば外側も清くなる。」

 ヨハネの福音書2:25が「イエスは、人の内に何があるかを知っておられた」と言いますように、イエスは誰の心もお見通しであり、彼らの偽善は明白でした。彼らの外面は信仰深く、表情にも物腰にも清潔感があり、欲深くて低俗な点などは微塵も感じさせなかったのでしょう。しかし、イエスは「強欲と放縦」で満ちた彼らの内面を知っておられました。彼らは演技者だったのです。しかし、ヘブル人への手紙4:13が言いますように、神の御前(みまえ)にあらわでない被造物など一つもなく、神の目には全てが裸であり、さらけ出されているのです。

 ですから、神の御前で真(しん)に大切なのは、私たちの心であり、内なる人間性なのです。主は何よりそれをご覧になり、時に私たちの罪と不信仰を不快に思われ、お怒りになることもおありです。しかし、私たちが自分のどうしようもない醜さ、罪深さを悲しみ、「主よ、私を憐れみ、赦して下さい。私の心を全く清めて下さい」と泣いて叫ぶ時、主は決して私たちをお見捨てになりません。必ず清めて下さいます。

 そして、私たちの内面が清くなれば、外に表われる私たちの言葉も行いも物腰も、演技など必要でなくなり、自ずと清くなります。26節で、イエスはそれをお教えになるのです。

 外と内が違う偽善をイエスは27節でも指摘されますので、次にここを読みます。「災いだ、偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。」

 昔のユダヤでは、死体に触れると宗教的に汚れるとされていました。そのため、毎年、春に過越の祭などが近づきますと、エルサレムに各地から集まって来る大勢の巡礼者たちがうっかり墓に触れることがないように、墓の外を白く美しく塗ったそうです。無論、中はそのままです。何も変っていません。そして実は彼ら指導者たちもそれと同じだと、イエスは鋭く指摘されるのです。28節「同じように、お前たちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ」と。

 当時のユダヤ教指導者の多くが、外側は良く見せ、しかし内側は「偽善と不法」、つまり、神に対しても人に対しても嘘、偽りと不潔なものでいっぱいだということです。

 しかし、これは決して他人事(ひとごと)ではありません。私たちが鏡の前に立ち、外見をきれいに整えるのは良いことです。しかしそれ以上に、何より私たちの心を映し出す神の御言葉・聖書と真剣に向き合い、対峙し、また聖霊なる神が私たちの心、内面、人間性をこそ根本から清めて下さるように真剣に祈り求め、自らを本気で御霊に明け渡すことこそ、大切です。是非、そうしたいと思います。

 さて、イエスはなおも彼らの偽善を指摘されます。最後の7回目になりますが、「災いだ」(29節)と言って、主は語られます。では、今度はどんな偽善だったのでしょうか。「先祖たちは悪かったが、自分たちは違う」という傲慢さ、自惚れから来る偽善です。主は言われました。29、30節「災いだ、偽善の律法学者、パリサイ人」と。

 旧約聖書を読みますと、神の御心を伝え、人々の罪を指摘した預言者たちを、先祖たちが何人も殺したことが分かります。先祖たちは、自分は自分をそんなに悪い人間とが思っていなかったかも知れません。しかし実際は、気に入らない預言者たちを何人も殺して来たのでした。

 イエスの時代のユダヤ教指導者たちは「預言者たちの墓を建て、義人たちの記念碑を飾」りました。昔の預言者や義人をうやうやしく追悼し、自分たちは良いことをしている信仰深い良い人間だと本当に思っていたようですね。しかし、そういう風に思うこと自体、正(まさ)に先祖たちと同じで、そっくりではないでしょうか。ですから、イエスは、31節「こうして、自分たちが預言者を殺した者たちの子らであることを、自らに証言している」と言われ、32節「お前たちは自分の先祖の罪の升を満たすが良い」と厳しく断罪されたのでした。

 私たちは、かつて日本人がアジアの各地でした罪深い行為とか、日本国内でしていたひどい差別や残虐行為を知っています。これらは今も外国で見られます。「ひどいなぁ」と思います。そして、「自分なら、そんなことはしない」と考えることはないでしょうか。

 しかし、決して自分を過信してはなりません。同じような状況に置かれると、私たちもどうなるか本当に分らないからです。

 過信は自惚れから来ます。私たちは自分の自惚れを強く戒め、また根拠なく自分を特別視する偽善を、何としても自分の中から一掃したいと思います。

 最後にイエスは33~36節で、彼らがそれでも悔い改めないなら、やがて彼らに臨む神の裁きを厳しく告げられます。33節「蛇よ。まむしの子孫よ。お前たちは、ゲヘナ(=地獄)の刑罰をどうして逃れることができるだろうか。」そして34節「だから、見よ。私は預言者、知者、律法学者を遣わすが」と言われます。これらの人々はイエスの弟子たちのことです。

 そして続けてイエスは言われます。「お前たちはその内のある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る」と。初代教会の様子を伝える新約聖書の「使徒の働き」を読みますと、これらのことが分かります。

 更にイエスは言われます。35節「それは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でお前たちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、全てお前たちに降りかかるようになるためだ。」

 アベルは、旧約聖書の一番初めの創世記4章が伝える、つまり、人類の歴史において最初に殺された人です。またヘブル語の旧約聖書では歴代誌 第二が最後に置かれていますので、イエスはその24章から、神の御旨を人々に告げたザカリヤが殺されたことを例として上げておられます。

 歴代誌 第二では、バラキヤではなく、エホヤダとなっています。違いが起きた理由は分りませんが、聖書は、人から人へと多くの人の手で筆写されて来たものですので、いつしか間違いが起きたのでしょう。

 それはともかく、重要な点は、天地を造られた生ける真(まこと)の神を知らされながらも、ユダヤ人の多くが神に背き、神に従う正しい人たちを殺害し、そしてその総仕上げをイエスの時代のユダヤ教指導者たちがしているという事実です。実際、あと数日で彼らはイエスを十字架につけて殺します。そのために神の裁きが臨むのです。イエスは言われました。36節「まことに、お前たちに言う。これらの報いは全て、この時代の上に降りかかる。」

 やがてこの時から40年も経たない紀元70年、エルサレムはローマ軍に徹底的に破壊され、夥しい(おびただしい)数の人が殺され、ユダヤ人は1948年まで国土のない流浪の民となるのでした。

 23:13から7回も「災いだ」と言って、彼ら、当時のユダヤ教指導者たちの偽善や虚栄心や傲慢などの罪と不信仰を指摘された主イエス・キリストの教え、そのメッセージを見て来ました。何度も繰り返しますが、これを決して他人事として終ってはなりません。

 父なる神と御子イエスが、聖書と誠実なキリスト者たち、また歴史を通して、どんなにお語りになっても、偽善、虚栄、傲慢、自惚は、私たちの内に実を結ばせません。何と不幸なことでしょう。いいえ、主イエスによれば、何と災いなことでしょうか。

 大切なことは、神の御声、神の御言葉、神のメッセージを聞いた、今日(きょう)、今、私たちが本気で直ちに悔い改め、偽善や虚栄や傲慢さや自惚れなどを、自分自身の中から一掃することです。これを明日やあさってに先延ばしするのではなく、今日、今、することです!

 最後に、ヘブル人への手紙3章の12、13、15節の御言葉を読んで終ります。

 「兄弟たち。あなた方の内に、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。『今日』と言われている間、日々互いに励まし合って、誰も罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。……今日、もし御声(みこえ)を聞くなら、あなた方の心を頑なにしてはならない。神に逆らった時にように!」

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