歳を重ねて
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書 テモテへの手紙二 4章16節~18節
4:16 私の最初の弁明の際、誰も私を支援してくれず、みな私を見捨ててしまいました。どうか、その責任を彼らが負わされることがありませんように。
4:17 しかし、主は私と共に立ち、私に力を与えて下さいました。それは、私を通して御言葉(みことば)が余すところなく宣べ伝えられ、全ての国の人々が御言葉を聞くようになるためでした。そうして私は獅子の口から救い出されたのです。
4:18 主は私を、どんな悪しきわざからも救い出し、無事、天にある御国に入れて下さいます。主に栄光が世々限りなくありますように。アーメン
テモテへの手紙二 4章16節~18節
今日は「歳を重ねて」と題して、お話させて頂きたいと思います。
自動車で町を走っていても、若い人たちのシャキッとした姿やキビキビした動きが目に入りますと、私は嬉しくなり、「若いって素晴らしいなぁ。しっかり他の人のためにも生きてね」と心から応援したくなります。こういうことを思う自分を、「あぁ、僕も歳を取ったなぁ」と思いますが、そこに淋しさはありません。
確かに、若さには豊かな可能性があり、素晴らしい感性もあります。もう、かれこれ15年位前になりますが、ある日の朝日新聞の天声人語の欄に、その当時、13歳と10歳の松田梨子さん、わこさん姉妹の瑞々しい歌が紹介されていて、私は今も忘れられません。姉の梨子さんは、妹のわこさんについてこう歌っておられました。「妹の 笑顔の寝顔 かわいくて、歯磨き中の パパまで呼んだ。」また妹のわこさんは、姉の梨子さんについてこう歌っておられました。「玄関で クルッと回ってスカートを、ふわっとさせて、ねえちゃんお出かけ」
私は嬉しくて、すぐこれを家内に見せ、若さに神が与えておられる恵みの素晴らしさ、豊かさを改めて覚えたものです。
では、歳を取ることはどうなのでしょう。ただ、老いの坂を下っていくだけのようなものでしょうか。違います!ご自分の愛しい(いとしい)独り子(ひとりご)イエスを救い主として賜ったほどに私たちを愛して下さっている天の父なる神は、私たちが歳を重ねることにも恵みを与えておられます。それは、若い時とは一味も二味も違う深みのあるものです。そのことを、使徒パウロを通して教えられます。
皇帝ネロの時代、ローマで殉教する前に、パウロはこの手紙を書きました。この時、彼は60歳代だと思われます。当時としては結構な年齢でした。そういう歳を重ねたパウロの姿を念頭に置いてここを読みますと、気付かされることがあります。
その第一は穏やかさです。パウロは言います。14節「銅細工人アレクサンドロが私をひどく苦しめました」、15節「あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちの語ることに激しく逆らったからです」、16節「私の最初の弁明の際、誰も私を支持してくれず、皆私を見捨ててしまいました」と言います。どんなに辛く、悲しかったことでしょう。
しかし、怨み事を言うのではなく、アレクサンドロについては、14節「…その行いに応じて、主が彼に報いられます」と、つまり神に任せ、パウロを助けなかった人たちについても、16節「…どうか、その責任を彼らが負わせられることがありませんように」と、実に穏やかです。
家柄、教養、道徳性でもエリートで、ユダヤ教時代の若い時のパウロは、クリスチャンをためらいなく迫害し、自信に満ちた激しい人でした。が、晩年は、主イエスへの信仰が深まるにつれ、自分の弱さや欠けをますます深く自覚し、他者について注意はしますが神に任せ、愛と赦しをもって祈る誠に穏やかな人になっていました。ここには、かつてよく知らなかったとはいえ、クリスチャンを猛烈に迫害し、がそんな彼の罪を何一つ責めず、十字架にかかって赦し、彼を受け入れて下さった主イエスの愛への、どんなに感謝しても足りない、そういう思いが満ち満ちていたのだと思います。
二つ目は、今までの人生についての神への感謝です。彼は言います。17節「しかし、主は私と共に立ち、私に力を与えて下さいました。それは、私を通して御言葉があますところなく宣べ伝えられ、全ての国の人々が御言葉を聞くようになるためでした。こうして私は獅子の口から救われたのです。」
迫害やイヤなこと、辛いことも沢山ありました。しかし彼は、福音のために生きてきた自分が守られ、恵まれたことだけを書いています。じっくり振り返ってみて、老人のパウロには、主が彼のそばにおられ、普通なら耐えられない様々な苦難の時も力づけ、助けて下さったその感謝なことだけが何より強く感じられるのでした。これは、彼が日々、主への感謝を第一にしてきた積み重ねの結果でなくて何でしょうか。
三つ目は、永遠の天の御国(みくに)と救いの完成についての確信です。18節「主は私を、どんな悪しき業(わざ)からも救い出し、無事、天にある御国に入れて下さいます。主に栄光が世々限りなくありますように。アーメン。」
4:6から分りますように、彼は、悪の力が彼の命を奪おうとしていることも自分の死の近づきも自覚し、知っていました。事実、彼は間もなくローマで殉教します。
しかし今、そんなことはどうでも良かったのでした。ローマ人への手紙 8章の終りで述べていますように、死であろうと何であろうと、キリスト・イエスによって示された神の愛から信仰者を引き離すことは決してできないことを、彼は絶えず覚えて生きてきました。その積み重ねが、晩年には、ここまで救いの確信に満ち満ちたパウロを造り上げていたのでした。
若さは感謝です。しかし、歳を重ねることも感謝ですね。穏やかで、感謝と、救いの確信に満ちたパウロ。ここに歳を重ねることについての一つの素晴らしいモデルがあると思います。共にこのように今年も歳を重ねていきたいと思います。