2026年05月21日「ここに希望がある13 神が共にいて下さる 6」

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ここに希望がある13 神が共にいて下さる 6

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
エレミヤ書 1章4節~8節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:4 次のような主の言葉が私にあった。
1:5 「私は、あなたを胎内に形造る前から あなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」
1:6 私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧下さい。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」
1:7 主は私に言われた。
   「まだ若い、と言うな。私があなたを遣わす全てのところへ行き、私があなたに命じる全てのことを語れ。
1:8 彼らの顔を恐れるな。私があなたと共にいて、あなたを救い出すからだ。--主のことば。」エレミヤ書 1章4節~8節

原稿のアイコンメッセージ

  「ここに希望がある13 神が共にいて下さる 6」と題して、今日は希望の源である神が共にいて下さることを神が信仰者に約束され、事実そうであられることを見たいと思います。

  旧約時代の信仰者たちの生涯からこの点を学んで来ました。今日は預言者エレミヤを見ます。

  エレミヤ1:1が伝えますように、彼はエルサレムの北東約4kmの所にあったアナトトに生れ、祭司の子孫でした。彼が主の召しを受けたのは、2節によるとユダの王ヨシヤの治世の第13年、つまり紀元前627年頃でした。彼は20歳位だったでしょうか。

  ある時、彼に主の言葉が臨みました。5節「私は、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎内を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」

  これに彼はどう答えたでしょうか。6節「ああ、神、主よ、ご覧下さい。私はまだ若くて、どう語ってよいか分りません。」すると主は言われました。7節「まだ若い、と言うな。私があなたを遣わす全てのところへ行き、私があなたに命じる全てのことを語れ。彼らの顔を恐れるな。私があなたと共にいて、あなたを救い出すからだ。」こうして、神は彼と共におられることを最初から約束されたのでした。

  このことは1:19「私があなたと共にいて」と再度約束され、15:20でも「私があなたと共にいて」と繰り返されます。

  ご承知のように、エレミヤは、ユダの罪と不信仰の故に、主が災いをもたらすことを民全体に告げました。例えば、19:15「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ。私はこの都と全ての町に、私が告げた全ての災いをもたらす。彼らがうなじを固くする者となって、私の言葉に従おうとしなかったからである。」

  しかし、こう述べたために、祭司パシュフルは20:2「預言者エレミヤを打ち、彼を主の宮にある、上のベニヤミンの門にある足かせにつな」ぎました。他にもエレミヤは人々から反感を受け、20:10、皆は彼がつまずき、倒れることを願い、彼は苦しみます。がそんな中でも彼は言います。20:11「しかし、主は私と共にいて」と。

 とはいえ、状況は厳しく、20:14では「私の生れた日は、呪われよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな」とまで、つい彼は言います。が、それでもエレミヤは、21:10「私がこの都に顔を向けるのは、幸いのためではなく、災いのためだ」という神の言葉を告げることをやめませんでした。その預言通り、バビロンのネブカドネツァルはエルサレムを攻め、王や側近をバビロンへ連れて行きました(紀元前605年、同597年)。エレミヤと同じように、主の御名によって預言していた26:20、ウリヤは命を狙われ、エジプトへ逃げましたが、連れ戻され、23節、エホヤキム王に殺されました。

 しかし尚も主の言葉を伝えたエレミヤに、28:1、2、ギブオン出身の預言者ハナンヤが敵対しました。

 興味深いことに、29章は、バビロンへ連れて行かれた捕囚の民に励ましと希望の手紙をエレミヤが送ったことを伝え(特に11節)、30章は、やがて回復の時が主から与えられることを彼は告げ、31:17では「あなたの将来には望みがある」との主の言葉も語りました。

 ですが、37:2、ユダ王国最後の王ゼデキヤも皆も、バビロンに歯向かうなという主の言葉に聞き従いません。そしてエレミヤは捕えられ、38:6が伝えるように、監視の庭にある水溜めへ綱で吊り降ろされ、泥の中に身を沈められることさえ味わいます。ゼデキヤ王は優柔不断な王でしたが、エレミヤを見捨てず、救ってやりました。

 けれども、やがて39:1、2、ゼデキヤ王の第11年、つまり、紀元前586年、エルサレムはついにバビロン軍の手に陥落し、逃げたゼデキヤをバビロン王ネブカドネツァルは捕え、ゼデキヤの両眼を潰し、バビロンに連れて行きました。

 エレミヤはバビロン王の計らいでエルサレムに残されましたが、43:6、7が伝えるように、残された不信仰な人たちがエジプトへ逃げる際に一緒に連れて行かれ、そこで死にます。しかし、そこでも彼は最後まで、特に43:10にある「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる」という一つの表現で、大胆に主の言葉を告げ続けました。この表現は44:2、7、11、25でも繰り返され、42:15、18でも既に用いられていました。

 こうして見て来ますと、一体、何というエレミヤの生涯でしょうか。エジプトへ連れて行かれても、主の言葉を伝え続けたこの強さ!これは、彼が若い日に神の召しを受けた時の「私があなたと共にいる!」という神の約束をあくまでも信頼したからこそ、波乱万丈の生涯でも希望を失わず、事実、神が共にいて下さったからでなくて何でしょうか。今、天の御国で、彼の払った多くの労苦と流した涙に神が全て報いて下さり、何より神が本当に永遠に共にいて下さる例えようもない喜びを、全ての贖われた誠実な聖徒たちと共に、思いっ切り味わっていることでしょう!

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