2026年05月17日「神のものは神に返しなさい。」

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神のものは神に返しなさい。

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 22章15節~22節

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聖句のアイコン聖書の言葉

22:15 そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにしてイエスを言葉の罠にかけようかと相談した。
22:16 彼らは自分の弟子たちを、ヘロデ党の者たちと一緒にイエスの下に遣わして、こう言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、誰にも遠慮しない方だと知っております。あなたは人の顔色を見ないからです。
22:17 ですから、どう思われるか、お聞かせ下さい。カエサルに税金を納めることは律法に適っているでしょうか、いないでしょうか。」
22:18 イエスは彼らの悪意を見抜いて言われた。「なぜ私を試すのですか、偽善者たち。
22:19 税として納めるお金を見せなさい。」そこで彼らはデナリ銀貨をイエスのもとに持って来た。
22:20 イエスは彼らに言われた。「これは誰の肖像と銘ですか。」
22:21 彼らは「カエサルのです」と言った。その時イエスは言われた。「それなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」
22:22 彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。マタイによる福音書 22章15節~22節

原稿のアイコンメッセージ

 イエスに敵対していた紀元1世紀のユダヤ教の権威者たちに、イエスは21:28以降、21:33以降、22:1以降で三つの譬により彼らの不信仰を指摘されました。彼らはいまいましく思ったでしょう。

 そこで、今度は彼らが三つ質問をし、イエスを打ち負かそうとしました。今朝はその第一の納税についての問答を見ます。

 15、16節を読みます。「その頃、パリサイ人たちは出て来て、どのようにしてイエスを言葉の罠にかけようかと相談した。彼らは自分の弟子たちを、ヘロデ党の者たちと一緒にイエスのもとに遣わした。」

 パリサイ人たちは卑怯でした。

 第一に、彼らは言葉の罠にかけようとしました。正面切っての真剣な質問でなく、言葉尻を捕える姑息なやり方をしました。

 第二に、彼ら自身は後ろにいて、弟子たちに質問させました。

 第三に、日頃は考え方で対立し、相容れないでいたヘロデ党の者たちとも手を組むのでした。

 ユダヤ教の一般信徒の中で熱心だったパリサイ人たちは強い選民意識を持ち、神に選ばれたユダヤ民族は、異邦人の王である17節「カエサル」、つまりローマ皇帝に納税する義務はないと考えていました。一方、ヘロデ党は、ヘロデ家をかつてのヘロデ大王の時代のように再び強くするためにローマ帝国に協力し、従って納税すべきという考えでした。

 両者は対立していましたが、イエスを陥れるためには、パリサイ人たちは簡単にヘロデ党と手を組んだのでした。何といい加減でしょう。

 さて、遣わされた人たちはイエスに言いました。16節「先生、私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、誰にも遠慮しない方だと知っております。あなたは人の顔色を見ないからです。」

 最高のお世辞ですね。でも、これは当っていると思います。ですから、福音書記者マタイは、彼らの言葉を敢えて全部再現したのかも知れません。

 それはともかく、彼らはイエスに質問しました。17節「カエサルに税金を納めることは律法に適(かな)っているでしょうか。いないでしょうか。」

 彼らは、私たち人間が従うべき正しい生き方、つまり、旧約聖書で啓示されている神の律法に、カエサルへの納税は適っているのか、いないのかと、如何にも信仰上の真面目な問いのように装って尋ねました。

 でも、これは罠でした。全てを見抜いておられるイエスは直ちに、18節「なぜ私を試すのですか。偽善者たち」と厳しくおっしゃったのでした。

 彼らの意図は明白でした。もしイエスが「カエサルに税金を納めるべきだ」と答えるなら、パリサイ人たちやユダヤ人ファーストで過激な熱心党と呼ばれた人たち、それに一般民衆からもそっぽを向かれ、怒りさえ受けることになるでしょう。

 その逆に、「カエサルに税金を納めるべきでない」と答えたなら、どうなるでしょうか。ヘロデ党の人たちやローマ帝国に好意的な人たちは、イエスを、ローマ帝国とヘロデ王家に歯向かう危険分子として騒ぎ、訴え、イエスはたちまちローマ兵に捕えられるでしょう。

 どちらを答えても、イエスは窮地に追い込まれます。聖書に基づいて、神の御心に適っているのか、いないのかと真面目に真理を問うのではなく、単に罠にかけるためだけの実に姑息な質問でした。

 ですが、彼らの心を見抜いておられた神の御子イエスは彼らに言われました。19節「税として納めるお金を見せなさい。」予想もしなかった言葉がイエスから返ってきて、彼らは驚いたでしょう。が、とにかくデナリ銀貨をイエスのもとに持って来ました。一デナリは当時、人が一日働いた時にもらえる金額でした。

 イエスは彼らに言われました。20、21節「『これは誰の肖像と銘ですか。』彼らは『カエサルのです』と言った。その時イエスは言われた。『それなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。』」

 貨幣にローマ皇帝カエサルの肖像と銘が刻んであるということは、それがカエサルのものであることを表します。またそれがユダヤで流通しているということは、ユダヤを統治していたのがローマ帝国であることを表します。

 そのローマ帝国のやり方は、ユダヤでも相当強権的であり、横暴さが目立ちました。しかし、その一方で、近隣諸国からのユダヤへの攻撃や侵略は抑えられ、ユダヤはそのお蔭で、ある程度平和でした。よくラテン語でパックス・ロマーナ(Pax Romana)、つまり「ローマの平和」と言われるものがあったわけです。こうした点も踏まえ、「納税すべきである」とイエスはお教えになりました。

 同様に、パウロもローマ13:6、7で「あなた方は税金も納めるのです。…全ての人に対して義務を果たしなさい。税金を納めるべき人には税金を納め」と教え、ペテロもⅠペテロ2:13以降で「人が立てた全ての制度に、主の故に従いなさい。それが主権者である王であっても」と教えました。

 無論、上に立つ権威者が明白に神の律法に反することを行う時、私たちは暴力によらない抗議や抵抗によって改革を求めてかまいません。しかしながら、良い部分もあるなら、私たちは義務や責任は果たすのです。国や社会に対するこの基本原則は大切です。

 さて、国や社会の一員としての私たちの義務と共に、イエスはもう一つ、更に大切な義務として「神のものは神に返しなさい」と、つまり、私たちを造られた神への大切な義務をお教えになります。

 創世記1:27は「神は人をご自身の形として創造された」と教えます。つまり、私たち人間には、神に応答することのできる知性や道徳性や宗教性を備えた人格という素晴らしい神の形が刻まれているのです。

 ということは、デナリ銀貨にカイサルの肖像が刻まれ、それがカイサルのものであることを示すのと同じように、私たちは神のものだということです。これは何と大切な点でしょうか。これをしっかり覚えていたいと思います。

 人間はこの世、この社会で生きる時、自分を中心に「これはすべきだ。これはすべきでない」と考え、誰かと対立したり手を組んだりします。でも、もっと大切なことがあります。神がお造りになり、神のものである私たち自身を、喜んで神にお返しし、神に献げることです。

 パリサイ人たちは、異邦人であるローマ人に神の民ユダヤ人が税を納めなくてはならないことが不満でたまりませんでした。ヘロデ党の人たちは、ヘロデ王家再建のためにユダヤ人がローマに納税するのは当然としました。しかし、どちらにも大事な点が抜けていました。

 人と人、国と国、また自分の一族をどうこうといった点ではなく、光栄あることに私たちをご自分の形に似せて造られ、私たちにご自分の形・似像を刻み、また命と息、水や空気、美味しい食べ物、疲れた心を慰め癒してくれる美しい自然などを下さっている神に、感謝して自分自身をお返しする。つまり、献げるという姿勢、それが真(まこと)の信仰なのですが、それが抜けていました。

 特にパリサイ人について言いますと、マタイ23章には、彼らの偽善を指摘し糾弾される主イエスの言葉がずうっと続きます。彼らは一見した所、立派で信仰深い人たちに見えました。ですが、イエスは言われました。23:5「彼らがしている行いは全て人に見せるためです。」また彼らは 23:7「広場で挨拶されること、人々から先生と呼ばれることが好きです」と。

 イエスは彼らを偽善者と言われました。偽善とは、結局、自分がほめられ、自分が讃えられるなど、自分が主役であり、自分の栄光が大好きで、私たち罪人のために御子を十字架におつけになったほどに私たちを愛し憐れんで下さっている神への思いがないのです。

 私たちには、いつか必ず自分の全存在を神にお返しする日が来ます。分っていますよね。でも、もう今から、日々賛美や感謝を神にお返しし、与えられているものの中からも献金という形で喜んで神にお返しし、また体や時間も必要な時には奉仕という形で喜んで献げ、神にお返ししたいと思うのです。

 やがて世の終りにイエスはもう一度来られ、サタンを、また最後まで神を拒否し、神に敵対した者たちを裁き、一掃され、栄光に満ちた神の国を完全に現わされます。神の国が完成するのです!私たちクリスチャンは、そのことに、もう今この瞬間から、喜んでお仕えしたいと思うのです。

 もう一度確認致します。

 第一に、神の摂理の下にあるこの世の平和、秩序、安定、福祉のために、私たちは神の御心に従い、一市民、一国民として、誠実に義務を果たし、自分を献げたいと思います。

 と同時に第二に、神の形が刻まれ、御子イエスが命を捧げて贖って下さった私たち自身を、いつも感謝して神にお返しし、お献げし、人からほめられたとしても、一切の栄光を神に帰し、また尊いイエス・キリストの福音を少しでも隣人に伝え、隣人と分ち合うために、与えられているものを神にお返し、そういうかたちで神に用いられたいと思います。「私に、私が、私こそ」といった自分中心の生き方から、一つ一つ、「神に、神が、神こそ」と神を中心にする生き方、それが神にお返しすることの意味ですが、そのようなきよい、そして幸いな生き方に、ますますご一緒に変えられていきたいと思います。

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