聖書の言葉 21:1 ヨブは答えた。21:2 私の言い分をよく聞いてくれ。 それを、あなた方から私への慰めにしてくれ。21:3 まず、この私が話すのを許してくれ。 私が話し終わってから、あなたは嘲るがよい。ヨブ記 21章1節~3節 メッセージ 今日は「聞くことは力」と題してお話致します。 1、2章が伝えますように、ヨブは多くの家畜や大勢の使用人、また息子や娘を、略奪や自然災害で一挙に失い、彼自身も体中ひどい皮膚病にかかり、遠くからでは彼だと見分けられないほどでした。 彼を慰めようとして、3人の友人が来ました。ヨブは辛い気持を語りました。しかし、彼らはいわゆる因果応報思想によって、問題の原因はヨブ自身の罪にあるのであり、彼が悔い改めるなら、神はまた祝福して下さるだろう、と論じました。ヨブはこれに強く反発しました。 そういうやりとりの中での言葉が21:2です。「私の言い分をよく聞いてくれ。それをあなた方から私への慰めにしてくれ。」 ここの2行目を新共同訳聖書は「聞いてもらうことが私の慰めなのだ」と訳しています。分りやすい翻訳だと思います。何よりもまず、同じ地平に立って、人の話をよく聞くことの大切さを思います。 ペンシルベニア医科大学臨床医学の元准教授で、慢性疾患や障害の対処についての教育をNPOでしてこられたアリシア・コニル医師(2014年4月死去)の“Listening is Powerful Medicine”(聞くことは力ある医療)という文を少し長いですが、ご紹介致します。 「研究によれば、患者が話し出してから医師が話をさえぎるまで約18秒しかかからないことが分かっています。 ある日曜日のこと。もう一人患者を診たら終り。私は急いで病室へ行き、戸口に立ちました。患者は年配の女性で、ベッドの端に座り、むくんだ足に靴下を履こうと苦労しています。私は部屋に入り、看護師と手短に話し合い、カルテをざっと読み、患者が安定していることを確認しました。「後もう少しだ」と私は思いました。 私はベッドの手摺に寄りかかり、患者を見下ろしました。靴下を履くのを手伝ってくれないかと彼女は言いましたが、代りに、私はこのように独白を始めました。「気分は如何ですか。血糖値も血圧も高かったけれど、今日はいいですね。今日訪ねてこられる息子さんに会うことが心配だと、看護師が言っていました。ご家族が遠くから来られるのはいいですね。お会いになるのは楽しみでしょう。」 すると、彼女はキッとした強い声で言いました。「座って下さい。先生。今は先生ではなく、私が話す番です。」私は驚き、恥しかったです。私は座って靴下の手伝いをしました。 彼女は話し出しました。一人息子は近くに住んでいるのに、5年間会っていない。そのストレスが体調を崩したことに影響していると思う、と。 話を聞き、靴下を履かせた後、「何か他に私にできることはありますか」と尋ねた。彼女は首を横に振り、微笑みました。彼女は私にただ聞いてほしかったのです。 人の話は一つ一つ違います。細かい話があれば、曖昧な話もあります。初め、中間、終りという話もあれば、取り留めのない話があります。本当の話もあれば、そうでない話もあります。しかし、これらのことはどうでも良いのです。話している人にとって大切なのは、さえぎりや決め込みや批判をせずに、その話を聞いてもらえることなのです。 患者の話を聞くことは、費用の高い精密検査よりも安く、癒しにも診断にも重要です。 あの女性が教えてくれたことを、私は時々考えました。立ち止り、座り、よく聞くことは、大切なのだとよく思い出しました。そして間もなく、予期せぬことで、私も患者になってしまいました。31歳の時に多発性硬化症と診断されたのです。20年後の今、私はいつも座っています。車椅子に。 車椅子でできる限り患者の診察を続けましたが、手まで侵され、辞めざるを得ませんでした。しかし、今でも医師また患者としての観点から、医学生や医療の専門家たちに教えています。 私は彼らに、聞く力を確信していると話しています。誰かが立ち止り、座り、私の話を聞いてくれる時、私の内に計り知れない癒しが起るのだという私自身の経験から、彼らに話しています。」 如何でしょうか。忙しい医療現場の医療関係者だけでなく、毎日毎日、忙しく動き回っている人は、この話に少し距離を感じるかも知れません。 とはいえ、人の話に耳を傾けること、すなわち、傾聴は何と大切でしょう。ヨブ記21:2でヨブが言っていますように、人は誰かに話を聞いてもらうことで、本当に慰められ、癒されるのです。ヤコブの手紙1:19も言います。「人は誰でも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」 私たちも、祈りを通して神によくお話し、主に聞いて頂きましょう。また、自分がまず自分の話を喋るのではなく、他の人が話しやすい場と空気を作り、他の人の話に自分の耳を傾けることに習熟し、そうして是非、救い主イエス・キリストの尊い御用に立つことができればと思います。実際、人の話を聞くことに、神は慰め、癒しの力を与えて下さっているのです。何という恵みでしょうか。 関連する説教を探す 2026年の祈祷会 『ヨブ記』
今日は「聞くことは力」と題してお話致します。
1、2章が伝えますように、ヨブは多くの家畜や大勢の使用人、また息子や娘を、略奪や自然災害で一挙に失い、彼自身も体中ひどい皮膚病にかかり、遠くからでは彼だと見分けられないほどでした。
彼を慰めようとして、3人の友人が来ました。ヨブは辛い気持を語りました。しかし、彼らはいわゆる因果応報思想によって、問題の原因はヨブ自身の罪にあるのであり、彼が悔い改めるなら、神はまた祝福して下さるだろう、と論じました。ヨブはこれに強く反発しました。
そういうやりとりの中での言葉が21:2です。「私の言い分をよく聞いてくれ。それをあなた方から私への慰めにしてくれ。」
ここの2行目を新共同訳聖書は「聞いてもらうことが私の慰めなのだ」と訳しています。分りやすい翻訳だと思います。何よりもまず、同じ地平に立って、人の話をよく聞くことの大切さを思います。
ペンシルベニア医科大学臨床医学の元准教授で、慢性疾患や障害の対処についての教育をNPOでしてこられたアリシア・コニル医師(2014年4月死去)の“Listening is Powerful Medicine”(聞くことは力ある医療)という文を少し長いですが、ご紹介致します。
「研究によれば、患者が話し出してから医師が話をさえぎるまで約18秒しかかからないことが分かっています。
ある日曜日のこと。もう一人患者を診たら終り。私は急いで病室へ行き、戸口に立ちました。患者は年配の女性で、ベッドの端に座り、むくんだ足に靴下を履こうと苦労しています。私は部屋に入り、看護師と手短に話し合い、カルテをざっと読み、患者が安定していることを確認しました。「後もう少しだ」と私は思いました。
私はベッドの手摺に寄りかかり、患者を見下ろしました。靴下を履くのを手伝ってくれないかと彼女は言いましたが、代りに、私はこのように独白を始めました。「気分は如何ですか。血糖値も血圧も高かったけれど、今日はいいですね。今日訪ねてこられる息子さんに会うことが心配だと、看護師が言っていました。ご家族が遠くから来られるのはいいですね。お会いになるのは楽しみでしょう。」
すると、彼女はキッとした強い声で言いました。「座って下さい。先生。今は先生ではなく、私が話す番です。」私は驚き、恥しかったです。私は座って靴下の手伝いをしました。
彼女は話し出しました。一人息子は近くに住んでいるのに、5年間会っていない。そのストレスが体調を崩したことに影響していると思う、と。
話を聞き、靴下を履かせた後、「何か他に私にできることはありますか」と尋ねた。彼女は首を横に振り、微笑みました。彼女は私にただ聞いてほしかったのです。
人の話は一つ一つ違います。細かい話があれば、曖昧な話もあります。初め、中間、終りという話もあれば、取り留めのない話があります。本当の話もあれば、そうでない話もあります。しかし、これらのことはどうでも良いのです。話している人にとって大切なのは、さえぎりや決め込みや批判をせずに、その話を聞いてもらえることなのです。
患者の話を聞くことは、費用の高い精密検査よりも安く、癒しにも診断にも重要です。
あの女性が教えてくれたことを、私は時々考えました。立ち止り、座り、よく聞くことは、大切なのだとよく思い出しました。そして間もなく、予期せぬことで、私も患者になってしまいました。31歳の時に多発性硬化症と診断されたのです。20年後の今、私はいつも座っています。車椅子に。
車椅子でできる限り患者の診察を続けましたが、手まで侵され、辞めざるを得ませんでした。しかし、今でも医師また患者としての観点から、医学生や医療の専門家たちに教えています。
私は彼らに、聞く力を確信していると話しています。誰かが立ち止り、座り、私の話を聞いてくれる時、私の内に計り知れない癒しが起るのだという私自身の経験から、彼らに話しています。」
如何でしょうか。忙しい医療現場の医療関係者だけでなく、毎日毎日、忙しく動き回っている人は、この話に少し距離を感じるかも知れません。
とはいえ、人の話に耳を傾けること、すなわち、傾聴は何と大切でしょう。ヨブ記21:2でヨブが言っていますように、人は誰かに話を聞いてもらうことで、本当に慰められ、癒されるのです。ヤコブの手紙1:19も言います。「人は誰でも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」
私たちも、祈りを通して神によくお話し、主に聞いて頂きましょう。また、自分がまず自分の話を喋るのではなく、他の人が話しやすい場と空気を作り、他の人の話に自分の耳を傾けることに習熟し、そうして是非、救い主イエス・キリストの尊い御用に立つことができればと思います。実際、人の話を聞くことに、神は慰め、癒しの力を与えて下さっているのです。何という恵みでしょうか。