2026年04月23日「ここに希望がある11 神が共にいて下さる 4」
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ここに希望がある11 神が共にいて下さる 4
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
出エジプト記 4章10節~15節
聖書の言葉
4:10 モーセは主に言った。ああ、わが主よ、私は言葉の人ではありません。以前からそうでしたし、あなたが僕に語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」
4:11 主は彼に言われた。「人に口をつけたのは誰か。誰が口をきけなくし、耳を塞ぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、私、主ではないか。
4:12 今、行け。私があなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教える。」
4:13 すると彼は言った。「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」
4:14 すると、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう言われた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。私は彼が雄弁であることをよく知っている。見よ、彼はあなたに会うために出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぶだろう。
4:15 彼に語り、彼の口に言葉を置け。私はあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなた方がなすべきことを教える。」出エジプト記 4章10節~15節
メッセージ
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「ここに希望がある」と題して、ここ10回ほどお話し、ここ3回は、特に神が信仰者と共にいて下さる幸いとそれに伴う希望を見て来ました。今日は、希望の源であります「神が共にいて下さること」を、聖書の様々な箇所で神が約束され、事実そうであられ、また信仰者の方も神と共にいようとしたことなどを、聖書を追いながら少し確認したいと思います。
まず創世記5:22は、「エノクはメトシェラを生んで三百年、神と共に歩み」と伝え、24節も重ねて「エノクは神と共に歩んだ」と伝えます。至る所で人間の罪と不信仰がはびこり、その分、非常に希望を抱きにくい時代と社会の中で、エノクは「神と共に」歩みました。それは取りも直さず、神が彼と共にいて下さることを彼が知っていたからでした。それは、厳しい時代と社会に生きていた彼に、どんなに大きな希望を与えたことかと思います。
次はノアです。創世記6:8は、「ノアは主の心に適っていた」と述べ、9節でも「ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神と共に歩んだ」と言います。こういう彼に、神が共にいて下さったことは、約1年間も彼と彼の家族が、辛くても全員が守られ生き抜いたあの驚くべき箱舟の事実によ~く表れていると思います。神が共にいて下さったことは、動物の鳴き声と臭いが満ち、暗くて閉ざされた箱舟の中のノアに、どんなに希望を与え続けたことでしょう。
次は、更に時代が下り、奴隷にされていた古代イスラエル民族を神に導かれてエジプトから脱出させたモーセです。
モーセの場合、興味深い表現が見られます。出エジプト記4章が伝えますように、主はモーセをエジプトからイスラエルを救い出す指導者に召されたのですが、彼は尻込みして主に言いました。4:10「ああ、わが主よ、私は言葉の人ではありません。以前からそうでしたし、あなたが僕に語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」
そこで神は彼に言われました。11、12節「人に口をつけたのは誰か。誰が口をきけなくし、耳を塞ぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、私、主ではないか。今、行け。私があなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教える。」
しかし、モーセは13節のように答え、なおも主の召しから逃げようとしました。すると14節、主は怒られ、モーセの兄で雄弁なアロンをモーセの口にすると言われ、15節「私はあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなた方がなすべきことを教える」と言われ、モーセを説き伏せられたのでした。
興味深いのは、私たち信仰者と共にいて下さる神は、人間の救いを中心とする大切な働きや奉仕にも共にいて下さり、それらをお用いになるという点です。
今の私たちに当てはめて言いますと、聖書の御言葉の説き明かしと適用である説教や奨励は特にそうですが、他にも色々あります。礼拝の司式や奏楽奉仕、祈りの奉仕、録音やインターネット配信の奉仕、教会学校の子供への信仰教育の奉仕、各会の活動奉仕など、本当に色々あります。神が教会のそういう奉仕や働きにも共におられ、神の国の進展に用いられることをもう一度よく心に留め、欠けだらけの私たちですが、希望をもって、勤しみ(いそしみ)たいと思います。
またモーセにアロンが協力しましたように、大切なご用のために誰かに協力し、また協力してもらう、つまり協同作業というものにも神が共にいて下さることを覚え、そこにも希望をもって歩みたいと思います。
次は、モーセの後継者ヨシュアです。忠実な信仰者でしたが、モーセ亡き後(なきあと)は、相当不安だったでしょう。しかし、主は彼に言われましたる。ヨシュア記1:5、6「あなたの一生の間、誰一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。私はモーセと共にいたように、あなたと共にいる。私はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強く、雄々しくあれ。」
ヨシュアにとって、モーセはずっと尊敬して来た信仰の大先輩であり、信仰者としてのモーセの姿や振る舞い方を心に刻んで来たでしょうね。感謝なことに、主は「私はあなたがよく知り尊敬しているそのモーセと共にいたように、あなたと共にいる」(5節参照)と、敢えてモーセの名前を出して約束されました!不安はあっても、ヨシュアはどんなに励まされ、勇気と希望を与えられたことでしょうか!
私たち夫々にも、尊敬する信仰の先輩が与えられていると思います。実はそれは、神が彼らと共におられたように、私たちとも共にいて下さることを教える具体例でもあるのです。神が私たちにお見せ下さった信仰の先輩とは、無論、彼らも失敗することがありましたが、主が共にいて下さることの具体例として、私たちを励ますためにも、神から与えられ存在していたのです。こういう点を改めてよく覚え、感謝し、私たちも希望をもって歩みたいと思います。