2026年01月25日「真(まこと)の神を信じる幸い」

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真(まこと)の神を信じる幸い

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 3章16節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:16 神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。ヨハネによる福音書 3章16節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は「真(まこと)の神を信じる幸い」と題してお話致します。

 ところで、「信仰とか信じるといった不確かなものにでなく、人は科学的根拠に基づいて生きるべきだ」という考えがあります。私もクリスチャンになる前は、そういう考えでした。

 しかし私たちは、実は信じないと生きていけません。例えば、私たちは運転手の技術を信じるからこそ、バスに乗れます。またお医者さんを信じるからこそ、検査、診断、治療を受けるのであり、信じないなら病院へも行けません。

 無論、この世は罪に満ちていますから、信じてはいけないないものもあります。振り込め詐欺や怪しげな教えや宗教もあり、私たちは疑う必要があります。

 しかし、信じることで初めて分る真実な喜びや幸いもあります。そこで今朝は、人間の作った偶像ではなく、天と地を造られた真(まこと)の神を信じる幸いを少しお話致します。

 では、早速ですが、このことにどんな幸いがあるでしょうか。

 一つは、死と死後の裁きと滅びの恐れからの解放です。

 ヨハネの福音書3:16は言います。「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 私たちは嘘や卑怯なこと、人への悪い思いを初め、生れた時から良くない罪を一杯犯していないでしょうか。ヘブル人への手紙4:13は言います。「神の目には全てが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私達は申し開きをするのです。」

 神は、私たちが心の中で密かに考えた罪深いことも皆ご存じです。このままですと、私たちは死後、神の裁きを受け、永遠の死、永遠の滅びに至ってしまいます。

 ところが、こんな私たちのために神はご自分の独り子(ひとりご)イエスをこの世に送られ、イエスは私たちの身代りとなって十字架で神の裁きを全部お受けになり、命を捧げて下さいました。ですから、私たちは心からイエス・キリストを信じ、受け入れるなら、罪を本当に全て赦され、永遠の救いに入れられます。

 人間は死が絶対に怖いですね。もう大分昔のことですが、ある偉いお坊さんが医者に重い癌だと言われ、ショックでその場に倒れたといいます。しかし、これは誰も笑えないと思います。動物も死を恐れますが、人間は死を特別に恐れます。死そのものへの恐れと共に、死後の裁きについても本能的に知っているからでしょうね。

 しかし、私たちが自分の罪や不信仰を心から悔い改め、イエス・キリストを信じ、受け入れ、依り頼むなら、神は必ず私たちの罪を全て赦し、永遠の御国(みくに)に入れて下さいます。

 私が以前、勤めていました淀川キリスト教病院のブラウン初代院長は、1981年1月、脳腫瘍のためにアメリカのエモリー大学病院で亡くなりました。その4か月前の手術の前夜、ご家族にこんな手紙を書かれました。

 「私は以前、この世を去ることについて(そんなにはっきりではありませんが)考えたことがあります。そして、そのことをそんなに怖いとは思いませんでした。私の持っているキリスト信仰に何か意味があるとすれば、その信仰が死後の命を通して、死そのものにも意味を持たせるはずであると考えて来ました。

 …死後の命は、漠然とした形のないものとしてではなく、私自身という存在と同じようにはっきり確認することができます。神とお会いして、星や原子、遺伝子、宇宙、時間など、科学や創造物の驚異について学べることが、どんなに素晴らしいことかと、よく思います。

 なぜ造り主である神が、私のことをこのように顧みて下さり、私と神の間の掛け橋となるよう、御子であるイエス・キリストを、この限られた生命の中にお遣わしになったのかを、もっと知りたいと思います。

 それから、神を知らない多くの人々のことを、神がどれほど思っておられるのかを尋ねたい気持です。

 でも私は多くのことを知りません。ですから、死にゆくことは素晴らしい時となるでしょう。それは、愛する他の人々と新しい経験を持てる永遠の世界に入ることなのですから。」

 クリスチャンも死を前にすると無論、怖いですし、あわてます。しかし、神の下さる素晴らしい永遠の命の祝福の方に心の中心が移って行きます。何と幸いでしょう。

 幸いの二つ目に進みます。それは自分が神に愛されていることを知るという最高の喜びのあることです。

 ヨハネの福音書3:16は言います。「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。」この中の「世を愛された」とは、要するに、神は私たち罪人を愛されたということです。

 私は20歳の時に洗礼を受け、クリスチャンになりました。しかし正直な所、神の愛はまだよく分りませんでした。それより、自分が罪人であることがよく分っていましたので、神から、そしてイエス・キリストから離れてはいけないという気持ちの方が強かったですね。

 それでも少しずつ、こんな私を救うために御子イエスを遣わされた神の深く、大きな愛が分るようになり、嬉しくて、とうとう牧師になろうと思ったものです。

 私は動物と動物や人間と動物の触れ合いの動画が好きで、よくパソコンで見ます。ある猫は、大好きだった犬が病気で死んでも、ずっとそばを離れませんでした。そのけなげさに涙が出て、愛の大切さ、尊さをつくづく思ったものです。

 アメリカでの話です。育てられた環境が悪く、暴力事件で施設に預けられたある少年が、一匹の犬の面倒を見るように言われました。少年は、初めは馬鹿らしいと思っていました。しかし、面倒を見る内に、犬は彼を慕うようになり、彼も段々犬を愛するようになり、心から世話をするようになりました。やがて彼は見事に変り、顔まで良くなりました。

 人間でも動物でも、愛されている者には平安があります。まして天と地を造られ、この広大な宇宙よりも大きな神、御子イエスを賜ったほどに私たちを愛しておられる真の神に、自分が愛されていることを知ることは、どんなに幸いでしょう!神の愛が分るこの喜び、この幸いに、是非、皆で与り(あずかり)たいと思います。

 最後にもう一つ見ます。三つ目は、キチンとした価値観、人生観を持って、自分の人生を神に喜ばれるものとして捧げ、そうして神に永遠に受け入れて頂ける、という幸いです。

 真の神を知りませんと、私たちは自分が何のために生き、どう生きるのが一番良いのかが分りにくいと思います。そこで、周りの人たちを見ながら、見よう見まねで生き、そして何となく生きる。生きるしか仕方がないから、生きるという人もいるでしょう。しかし、それですと、気が付けば、もう人生の終りであり、そのまま死ぬだけということになりかねません。

 一方、真の神を知りますとやはり違います。死を超えた永遠の命を神が下さり、また自分の人生を神に喜ばれるものとして献げるというキチンとした明確な目的が分ります。

 コリント人への手紙 第一 10:31は「あなた方は、食べるにも飲むにも、何をするにも、全て神の栄光を現すためにしなさい」と教えます。これは言い換えますと、何をするにも、ただ周囲の人に合せるとか、自分を喜ばせ自分を誇るためとかではなく、神に喜ばれることをこそ目指しなさい、ということです。

 このようにではなく、人も企業も国も自分を優先し、自分の利益だけを考えているために、どんなに色々な問題が起り、不幸が絶えないでしょうか。ヤコブの手紙1:14、15は言います。「人が誘惑にあうのは、夫々自分の欲に引かれ、誘われるからです。そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」

 一方、何を考え、何を語り、何をするにせよ、神に喜ばれることを目的として生きることには、良心の呵責も空しさもありません。特に謙って、しかし喜んで神と人に仕えることを目的として生きることには、苦労があっても、必ず爽やかな充実感また感謝と喜びがあります。

 それだけではありません。地上の命が終って神の前に立つ時こそ、その幸せは最高となります。何故なら、神と人に仕え、人生を神に喜ばれるものとして捧げた人には、天の父なる神からの永遠の報いが待っているからです。その時のことをイエスは、神を忠実なしもべをほめる主人に例え、その言葉をこう言われます。マタイの福音書 25:23「よくやった。良い忠実なしもべだ。お前はわずかな物に忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の喜びを共に喜んでくれ。」つまり、多くの報いをお与え下さるということです。また、こうも言われます。25:34「さあ、私の父に祝福された人たち、世界の基が据えられた時から、あなた方のために備えられていた御国を受け継ぎなさい。」

 使徒パウロは晩年にこう述べました。テモテへの手紙 第二 4:8「あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しい裁き主である主が、その日、かの日にそれを私に授けて下さいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人たちには、誰にでも授けて下さるのです。」

 神を信じることには、他にも色々な幸いがありますが、今朝は割愛させて頂きます。

 神を信じて生きることには、神に背を向けるこの世では、苦労もあります。しかし、神は必ず助けて下さり、何より全宇宙を造られた永遠の神が私たちの味方となられ、最後には必ず全てを益として下さいます。この真の神を信じ、全てを神に委ねて、歩みたいと思います。

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