2025年12月18日「神は信仰者を見捨てない-忍耐-」

問い合わせ

日本キリスト改革派 岡山西教会のホームページへ戻る

神は信仰者を見捨てない-忍耐-

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 2章1節~6節

聖句のアイコン聖書の言葉

2: 1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった時、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2: 2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために木来ました。
2: 3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
2: 4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2: 5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
2: 6  「ユダの地、ベツレヘムよ。
     あなたはユダを治める者たちの中で
     決して一番小さくはない。
     あなたから治める者が出て、
     私の民イスラエルを牧するからである。」マタイによる福音書 2章1節~6節

原稿のアイコンメッセージ

 この前の主日礼拝で、私たちはマタイ福音書2:1以降に注目しましたが、マタイは主イエスが全世界の救い主として誕生された時のことを、彼らしい意図に基づいて伝えています。それはそれとして、今日は、神は信仰者を、すなわち、ご自分の民を決してお見捨てにならないので、忍耐が必要なことを、改めて聖書と歴史から学びたいと思います。

 東の国から博士たちがエルサレムに来て、ユダヤ人の王、つまり、全世界の救い主として誕生された方はどこにおられるのかと尋ねました。これを聞き、エドム人なのにユダヤの王の座を手に入れたヘロデは、自分の王座を奪われるかも知れないと思って不安を抱き、救い主の誕生場所を宗教者たちに尋ねました。彼らは5節「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、私の民イスラエルを牧するからである。』」と答えました。6節に書かれていますが、旧約聖書のミカ書5:2の預言が成就したのです。

 預言者ミカは、紀元前8世紀に、ユダの地で神の言葉を伝えました。その頃、アッシリアがイスラエルの都サマリアを陥落させ、更にユダにも侵略しようとしていました。人々は戦々恐々としていました。そんな中、罪を悔い改め、神に救いを願い求める者もいました。そういう状況で神からミカに臨んだのが、先程の預言でした。ダビデ王の出身地であるユダの小さな町ベツレヘムからイスラエルを治める者、すなわち、救い主が出るという預言です。人々はそれを待ちました。

 しかし、救い主は現れず、やがてアッシリアは滅び、新しく興ったバビロンにユダは攻撃され、ついに紀元前586年、エルサレムは陥落し、多くの人が殺され、捕えられてバビロンへ連れ去られました。いわゆる、バビロン捕囚です。

 そのバビロンも紀元前539年、メディア・ペルシアに倒され、ユダヤ人はパレスチナへ戻ることを許されました。しかし、そこでも困難が待ち受け、祖国再建は容易ではありませんでした。

 次にギリシアが台頭し、ユダヤ人は異教のギリシア文化を押し付けられ、抵抗し、旧約外典のマカバイ記が伝えるように、ひどい迫害に遭いました。

 しかし、そのギリシアも弱り、次に強大なローマ帝国が地中海世界を支配し、ユダヤも支配され、属国にされました。

 それでも、神からの救い主はまだ現れません。中には神を疑い、「神の約束はどうなったのか。神は我々を見捨てたのではないのか」と思う者もいたでしょう。しかし、神の約束を心から信じる人たちは尚も忍耐し、神の約束が成就する時を待ちました。そうしてマタイ福音書2章が伝える通り、ついに700年以上の時を経て、ミカの預言通り、神の御子イエスが救い主としてベツレヘムで誕生されたのです。

 こういうクリスマスの出来事に、またその背後にあった歴史の事実に、どんなメッセージがあるのでしょうか。それは、神は信仰者を、言い換えれば、ご自分の民を決してお見捨てにならないということです。

 人間の歴史の中で、また人間の支配の及ばない自然界で、何が起ろうとも、また何十年何百年経とうとも、神はご自分の民を決して見放さず、見捨てず、約束を必ず果されるのです!

 神は全能者ですが、神にもできないことが一つあります。何でしょう。嘘をつくことができないことです。それは神にとって不名誉なことではなく、むしろ名誉に思っておられます。クリスマスの出来事はこれを教えているのです。

 そこで私たちにとって大切なことは、神の時を忍耐して待ち、神の約束の実現に確実に与ることです。弱い私たちには、もうこれ以上は無理と思える時があります。待つこと、忍耐することは容易ではありません。しかし歴史を振り返りますと、無数の信仰の先輩たちが、忍耐することにより、神の恵みと祝福を体験しました。

 私たちの願いや疑問に、神の答がすぐないとか、私たちが生きている間にない場合もあります。しかし、それでも多くの信仰者はなおも神に希望を抱き、地上の旅路を進め、やがて天に召され、御国(みくに)で神からの計り知れない報いと慰めに与りました。ですから私たちも、自分にできることやすべきことはあくまで誠実に果たし、でも天を仰ぎ、神の時を忍耐して待ち、最終的に神の永遠の祝福に、是非、ご一緒に与りたいと思います。

 ヘブル人への手紙10:35~37は言います。「あなた方の確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。あなた方が神の御心を行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅れることはない。』」

 旧約聖書のヨシュア記1:5で神はこう言われました。「私は…あなたと共にいる。私はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」

 クリスマスに伴うメッセージには色々あります。今日は神が信仰者を決してお見捨てにならないこと、それ故、神の約束を信じて待つ忍耐について、改めて深く心に刻みたいと思います。

関連する説教を探す関連する説教を探す