2020年10月01日「ぶどうの木と枝 5 喜び2」

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ぶどうの木と枝 5 喜び2

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 15章5節

聖句のアイコン聖書の言葉

 私はぶどうの木、あなた方は枝です。人が私に留まり、私もその人に留まっているなら、その人は多くの実を結びます。私を離れては、あなた方は何もすることが出来ないのです。
     (2017年度版 新改訳聖書)ヨハネによる福音書 15章5節

原稿のアイコンメッセージ

 葡萄(ぶどう)の木と枝の喩から、私たちがイエス・キリストに留まっているなら、神に喜ばれ、また私たちにも大変感謝な霊の実を必ず結ぶことを続けて学んでいます。

 前回はガラテヤ5:22、23が言う九つの霊の実の2番目、喜びについて学びました。D.M.ロイドジョンズが『霊的スランプ』という本の初めに、喜びのないクリスチャンの問題に触れていたと思いますが、確かに喜びはクリスチャンの大きな特徴の一つですね。そして実際、大変豊かな喜びがあります。前回の喜びについての私の話は、やや中途半端でしたので、今日、もう少しお話したいと思います。

 私たちがイエスに留まるなら、第一に、私たちは必ず知的な面でも最高の喜びを与えられます。それはウェストミンスター小教理問答の問1が答えるように「その存在、知恵、力、聖、義、善、真実」に満ちた無限、永遠、不変の、つまり、私たち人間にとって究極の真理であられる生ける真(まこと)の神を知る喜びを、ますます味わうことを許されるからです。真の神を知る以上の知的喜びはありません。

 第二に、私たちはその素晴らしい神に自分のような罪深い者が確かに愛されていることが、ますます分るようにされます。特に礼拝で御言葉(みことば)を誠実に聞き続けるなら、御言葉と共に働かれる御霊により、これは必ず分かるようにされます。人間でも動物でも、他の誰かに愛されていることは、大きな喜びですね。まして天地の創り主なる真の神に愛されていることは、どんなに大きな喜びでしょう!例えようもありません。

 第三に、イエスに留まるなら、もはや何が起っても、それこそ大宇宙が爆発しようとも、神の愛から私たちを引き裂くことは決して出来ません。何という喜びでしょう。パウロは言います。ローマ8:38、39「私はこう確信しています。死も、命も、御使い(みつかい)も、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 第四に、イエスに私たちが留まっているなら、全知全能の神が、私たちを最後まで背負い、それどころか天国まで必ず持ち運び、救って下さいます。何という感謝、喜びでしょう。神は言われます。イザヤ46:4「あなた方が年をとっても、私は同じようにする。あなた方が白髪になっても、私は背負う。私はそうしてきたのだ。私は運ぶ。背負って救い出す!」

 第五に、この世で如何に重い試練に遭っても、私たちがイエスに留まっているなら、必ず耐えさせられます。何と感謝なことでしょう。Ⅰコリント10:13は言います。「あなた方が経験した試練は、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練に遭わせることはなさらず、試練と共に脱出の道をも備えていて下さいます。」

 第六に、色々イヤなことや辛いこと、不安で心配だらけなことがあっても、私たちがイエスに留まり、特に神を愛しているならば、神は最後には必ず万事を益として下さいます!ローマ8:28は言います。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちには、全てのことが共に働いて益となる…」と。神を本当に愛しているなら、何が起っても最後にはすべてのことが益とされる!何という喜びでしょう。

 第七に、私たちがイエスに留まっているなら、私たちは、もはや愚かで弱く罪深い私たち自身のものではなく、神のもの、主のものとされ、死ぬ時も主のものであり続けます。何という喜びでしょう!イザヤ43:1、2で主は言われます。「恐れるな。私があなたを贖ったからだ。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの!」

 

 この喜びをハイデルベルク信仰問答の問1はこう語ります。問「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」答「私が私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方は御自分の尊い血をもって私の全ての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力から私を解放して下さいました。また、天にいます私の父の御旨でなければ、髪の毛一本も落ちる事が出来ない程に、私を守っていて下さいます。」

 イエスに留まるなら、第八に、私たちは世の終りに、もう二度と罪を犯すことのない完全に清められた体と魂をもって復活し、全ての愛する兄弟姉妹たちと共に神の御前に最高の感謝と賛美をもって進み出ることを許されます。復活の祝福に浴する!何という喜びでしょう。

 イエスに留まっているなら、第九に、私たちは必ず神の尊い御用に立たせて頂けます。私たちが如何に欠けだらけの小さな者であろうと、主に用いて頂ける!何という光栄また喜びでしょう!

 イエスは言われます。「私は葡萄の木、あなた方は枝です。人が私に留まり、私もその人に留まっているなら、その人は<多くの実>を結びます!」(ヨハネ福音書15:5)

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