2025年08月28日「神への畏れと命の質」

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神への畏れと命の質

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
雅歌 10章27節

聖句のアイコン聖書の言葉

10:27 主への恐れは日数を増やす。
    悪しき者の年は短くなる。雅歌 10章27節

原稿のアイコンメッセージ

 箴言10:27は「主への恐れは日数を増やす」と言います。直訳しますと「命の日を多くする」となります。ここの「恐れ」は、恐怖というより畏れ敬うという意味です。

 ここと同じように、神を畏れる者の命の日は多くされ、神に背く者の命の日は短くなるという教えは、箴言に多く見られます。3:2は神の教えを忘れず、心に保つと、「長い日々と、命と平安の年月が、あなたに増し加えられる」と言い、4:10も「わが子よ、聞け、私の言うことを受け入れよ。そうすればあなたの命の年月は増す」と言います。

 しかし、本当にそう単純に言えるのでしょうか。聖書は、実はそうでない現実もよく知っています。例えば、伝道者の書8:12は「悪を百回行っても、罪人は長生きしている」と言い、7:15は「私はこの空しい人生において、全てのことを見て来た。正しい人が正しいのに滅び、悪しき者が悪を行う中で長生きすることがある」と言い、矛盾と不条理に満ちた罪の世の現実を語っています。ですから、これらのことも承知の上で、私たちは箴言10:27「主への恐れは日数を増す」を受け止めたいと思います。

 さて、この御言葉はやはり真理だと言えます。

 第一に、一般論としてこう言えます。例えば、造り主なる真(まこと)の神を無視し、神を畏れることもなく、罪深い生活を送っている人とか、毎日お酒を沢山飲み、煙草を何本も吸い、暴飲暴食をし、不規則な生活で体も心も顧みない人の命は、一般的に短くならざるを得ません(煙草1本で11分命が縮まるというのは、欧米では常識になっています)。

 第二に、これは永遠的次元でも言えます。自分の不信仰や罪深い利己的な生き方を心底悔い改め、私たち罪人の本来受けるべき神の永遠の裁きを私たちに代って十字架で受けて死なれ、復活された神の独り子(ひとりご)イエスを自分の救い主と心から信じ、その福音に生きようとする人は、本当に全ての罪を赦され、神の子供とされ、永遠の命と天国の祝福に与れ(あずかれ)ます。箴言10:27が「主への恐れは日数を増やす。悪しき者の年は短くなる」と言う通りです。イエスも言われました。ヨハネの福音書11:25「私を信じる者は死んでも生きるのです。」

 第三に、もう一つ大切な点があります。神を畏れて生きた人の寿命が、仮に他の人と比べて短かったとしても、その少ない年数と日数の中に、とても意義深く、密度の高い豊かな時間を生きることができることです。

 私は、時間というものを、神が造られたものの中で最も不思議で神秘的なものの一つだと思います。同じ一日でも、ある人には素晴らしく内容が充実し、中身の濃い凝縮した一日であり、空しい愚かなことに時間を浪費して生きる人のまさに何年にも何十年にも匹敵することが実際あり得ます。

 例えば、朝起きたら、まず神の前に頭を垂れ、祈って静かに神を仰ぎ、自分を整え、神を畏れ敬う。時々聖書を開いて御言葉に親しむ。小さなことでも神と人にしっかり感謝を覚える。得意なことがなくても、少しでも人の役に立たせて頂きたいと願い、人のために祈って生きる。こういう人の一日は、どうでしょうか。

 感謝することもせず、常日頃から不満や愚痴が多く、人を批判し悪口はよく言い、人にすぐ突っかかり、人に注文するばかり。またよく不機嫌な顔をし、刺のある言葉を口にしては、回りの人をイヤな思いにさせ、傷つけている。こういう人の、それこそ何十年にも勝る値打ちがあるのではないでしょうか。

 人の命は、物理的長さだけでなく、その内容と生き方、要するに「命の質」次第で、貧弱で残念なものにも、豊かで温かく幸いなものにもなります。まさに箴言10:27「主への恐れは日数を増やす。悪しき者の年は短くなる」と言えます。

 神の御子イエス・キリストへの信仰は、今までは見えず、聞こえず、感じられなかったものにも、新しく感謝できるようになり、たとえこの世で自分に残された時間は僅かであっても、これを真に意味のある充実したものとして神の前に完成することのできる恵みを私たちに与えます。しかも、そのような意義深い内容は、イエス・キリストの恵みにより、永遠まで繋がっている!

 「正直なところ、私の人生は辛く、苦しく、悲しいことばかりで、自分でも馬鹿なことをして、自分を嫌悪し、気持が荒み(すさみ)、自暴自棄になったこともあります。しかし、今日まで生きてきて本当に良かったと思います。感謝です。嬉しいです」と、心から神にも人にも自分自身にも言える!こんな幸いがあるでしょうか!

 しかし、これこそキリスト教信仰の与える最も素晴らしい祝福の一つです。この祝福を改めて心に留め、神を真に畏れ、敬い、主イエス・キリストの道を、感謝と賛美、愛と真実をもって、歩んで行きたいと思います。

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