2025年08月07日「主の祈りの学び38 結びの言葉3」
問い合わせ
主の祈りの学び38 結びの言葉3
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節
聖書の言葉
6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。 マタイによる福音書 6章9節~13節
メッセージ
関連する説教を探す
主の祈りの学びも今日の38回目で終ります。今日は「結びの言葉」の3回目の学びとなります。マタイ6:13の第六祈願の後につきます「結びの言葉」は、新改訳聖書2017では、後ろの注の中に印刷されています。「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン」です。文語文では「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメン」となります。
既にお話しましたが、これは主イエスご自身の言葉ではなく、のちの教会がⅠ歴代誌29:10~13のダビデの祈りなどから付け加えたものと考えられます。しかし内容が聖書的ですので、教会はこれをずっと唱えて来ました。ですから、カルヴァンも1542年の『ジュネーヴ教会信仰問答』の中で、また1563年のハイデルベルク信仰問答や1647年のウェストミンスター大・小教理問答も、皆がこれを正しく用いることを願って説明しました。
さて、大教理問答問196はこう教えます。この言葉は「私たちに、次のことを教えています。すなわち、自分自身や、何であれ他の被造物の中にあるどのようなふさわしさをも論拠とすることなく、神が示しておられる根拠に基づいて、私たちの願いを一層強くすること、また、神にのみ永遠の主権と全能と栄光に輝く卓越性とを帰する賛美を、私たちの祈りに加えることです。これらのことに関して、神は、私たちを助けることができ、喜んで助けて下さるのですから、私たちは信仰によって心励まされて、神が私たちの求めをかなえて下さるようにと神に嘆願し、神がそうして下さるものと信じて、静かに神に寄り頼むのです。そして、このような自分の願いと確信とを言い表すために、私たちは『アーメン』と言います。」
ウェストミンスター小教理問答の問107は短くこう教えます。この言葉は「祈りにおける励ましを神だけから受けるということと、私たちの祈りにおいて、国と力と栄光を神に帰して神を賛美するようにと教えています。そして、祈りが聞かれるようにという願いと、それが確かに聞かれるという確信の証しとして、私たちは『アーメン』と言うのです。」
大切なことですので、敢えて再確認致します。大事なことが三つ教えられています。第一は、「祈りにおける励ましを神だけから受ける」ということです。私たち自身の何か良い点とか、守護天使、守護聖人などに頼るのではなく、神だけが私たちの祈る時の頼りなのです。
第二の点も前回確認しました。小教理が言いますように、「私たちの祈りにおいて、国と力と栄光を神に帰して神を賛美する」ことです。カルヴァンも「我々の全ての祈りを、神賛美をもって結ぶことを我々に教える」と同じように述べています。
「国と力と栄え」とあります。ですから、万物を主権を持って統治される「神のご支配」をまず心に覚え、次に無から有を生じさせ、死を命に変え、罪人を神の前に立つことの出来る義人へと完全にお救いになれる「神の力」を覚え、「栄光」をただただ神に帰し、神賛美をもって祈りを終ることを学びました。苦しみや不安の中で祈る時でも、最後に神を様々な点で賛美しますと、必ず励まされ、力付けられます。
第三点を見て終ります。ウェストミンスター大教理は言います。「私たちは信仰によって心励まされて、神が私たちの求めを叶えて下さるようにと神に嘆願し、神がそうして下さるものと信じて、静かに神に寄り頼むのです。そして、このような自分の願いと確信とを言い表すために、私たちは『アーメン』と言います。」同小教理はこう言います。「祈りが聞かれるようにという願いと、それが確かに聞かれるという確信の証しとして、私たちは『アーメン』と言うのです。」つまり、「アーメン」と唱えることの意味を教えます。
「アーメン」は「~を確かにする、固くする」というヘブル語の動詞アーマンから来ていて、「その通りです。真実です」という意味です。この発音をそのまま音写して、ギリシア語でも「アーメン」といいます。主イエスはヨハネ福音書1:51で「まことに、まことに、あなた方に言います」と言われました。「まことに、まことに」は、ギリシア語聖書では「アーメン、アーメン」となっています。イエスは、ご自分の言葉に偽りはなく、確かにそうなると強調するために「アーメン、アーメン」と重ねて言われたのでした。
主の祈りを唱える時は当然ですが、色々な祈りの時にも、私たちは最後にアーメンと言います。しかし、ただ習慣的にとか 惰性的にアーメンと唱えることはないでしょうか。そうではなく、これを口にする時、一瞬でも心の中で「そうです!私が今祈ったことは、全てその通りであり、真実です!また私はこれらの祈りの一つ一つをあなたが決して無視なさらず、しっかり耳を傾け、愛と知恵により一番良い形でこれらにお応え下さることを信じます」と、心で確認した上で、ハッキリ「アーメン!」と唱えたいと思います。