聖書の言葉 マタイによる福音書 6章9節~56節 メッセージ 主の祈りの学び37回目の今日も、前回同様、主の祈りの結びの言葉を学びます。マタイ6:13の第六祈願のすぐあとに付く結びの言葉は、新改訳聖書の終りの注にあります。「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」文語訳では「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメン」です。 前回申しましたが、これは後世の教会がⅠ歴代誌29:10~13のダビデの祈りなどから付け加えたようであり、聖書本文ではありません。しかし、内容は聖書的ですので、教会はずっとこれを唱えて来ました。ですから、宗教改革者のカルヴァンは1542年の『ジュネーヴ教会信仰問答』の中でこれを説明し、また1563年に作られたハイデルベルク信仰問答や1647年にできたウェストミンスター大教理問答と小教理問答も、これを正しく用いるために説明をしました。 この結びの言葉を学ぶ機会は少ないと思いますので、今、私たちは少し学んでいます。 さて、ウェストミンスター大教理問答の問196はこう教えます(宮崎彌男訳)。この言葉は、「私たちに、次のことを教えています。すなわち、自分自身や、何であれ他の被造物の中にあるどのような相応しさをも論拠とすることなく、神が示しておられる根拠に基づいて、私たちの願いを一層強くすること、また、神にのみ永遠の主権と全能と栄光に輝く卓越性とを帰する賛美を、私たちの祈りに加えることです。これらのことに関して、神は、私たちを助けることができ、喜んで助けて下さるのですから、私たちは信仰によって心励まされて、神が私たちの求めをかなえて下さるようにと神に嘆願し、神がそうして下さるものと信じて、静かに神に寄り頼むのです。そして、このような自分の願いと確信とを言い表すために、私たちは『アーメン』と言います。」 これを分りやすく要約しましたウェストミンスター小教理問答の問107はこう教えます(日本キリスト改革派教会 公認訳)。この言葉は「祈りにおける励ましを神だけから受けるということと、私たちの祈りにおいて、国と力と栄光を神に帰して神を賛美するようにと教えています。そして、祈りが聞かれるようにという願いと、それが確かに聞かれるという確信の証しとして、私たちは『アーメン』と言うのです。」 大切なことを三つ教えていることが分ります。前回は一つ目の「祈りにおける励ましを神だけから受ける」という点を見ました。カルヴァンも『ジュネーヴ教会信仰問答』問294(外山八郎訳)で「我々の祈りの基礎が、神に祈るため口を開く価値のない我々の中にではなく、むしろ、神に、その能力と慈愛とにあることを、我々に新しく記憶させるため」に、と同じように教えます。私たちが神に祈れること自体、神の恵み以外の何ものでもないことがよく分っていた信仰の先輩たちの敬虔な信仰に教えられます。 今日は二つ目を学びます。ウェストミンスター小教理は言います。「私たちの祈りにおいて、国と力と栄光を神に帰して神を賛美するように」と。カルヴァンも「我々の全ての祈りを、神賛美をもって結ぶことを我々に教える」と、同じように言います。 ところで、「国と力と栄光」とありますが、「国」は、聖書では支配を意味する。ですから、万物を支配される神の永遠の主権をまずハッキリ意識し、次に無から有を生じさせ、闇を光に、死を命に変え、罪人を完全にお救いになれる神の全能の「力」を覚え、そして「栄光」を決して私たちにではなく、ただ神に帰し、神を賛美して祈りを終えることを教えられます。 主の祈りの結びの言葉を唱える時、私たちはどういう意識でいるでしょうか。礼拝の中で公的に祈る時とか、公的な場で祈る時には、私たちは努めて「主の御名を賛美致します」とか、「神様、あなたは何と偉大で素晴らしいお方でしょう。あなたの御名をほめたたえます」などと言い、神賛美の言葉もあると思います。 しかし、他の時の祈り、例えば、食前の祈りの時などに、「神様、今日もご飯を下さり、感謝致します。これによって私たちの体を強め、あなたのご用に立たせて下さい」とは祈ります。しかし、信仰の先輩たちが教えましたように、「全ての祈りを、神賛美をもって結」んでいるでしょうか。 マタイ6:9の主の祈りの第一祈願から、私たちは「御名が聖なるものとされますように」、あるいは「御名を崇めさせたまえ」と、神に栄光を帰し、神を賛美することから祈り始めることを教えられています。しかし、祈りを始める時だけでなく、終る時にも、例えば、昔、ダビデがソロモンを王に就かせる時、「主よ、あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳はあなたのものです」(Ⅰ歴代誌29:10~11)と神を様々な点から高らかに賛美したように、私たちも特にイエス・キリストにおいてご自分を見事に表された神を意識的に仰ぎ、神賛美をもって閉じてみると、どうでしょう。すごく励まされることをきっと体験するでしょう。賛美には、そういう素晴らしい恵みもあるのです。「主よ、ありがとうございます。あなたを賛美致します!アーメン」ですね。 関連する説教を探す 2025年の祈祷会 『マタイによる福音書』
主の祈りの学び37回目の今日も、前回同様、主の祈りの結びの言葉を学びます。マタイ6:13の第六祈願のすぐあとに付く結びの言葉は、新改訳聖書の終りの注にあります。「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」文語訳では「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。アーメン」です。
前回申しましたが、これは後世の教会がⅠ歴代誌29:10~13のダビデの祈りなどから付け加えたようであり、聖書本文ではありません。しかし、内容は聖書的ですので、教会はずっとこれを唱えて来ました。ですから、宗教改革者のカルヴァンは1542年の『ジュネーヴ教会信仰問答』の中でこれを説明し、また1563年に作られたハイデルベルク信仰問答や1647年にできたウェストミンスター大教理問答と小教理問答も、これを正しく用いるために説明をしました。
この結びの言葉を学ぶ機会は少ないと思いますので、今、私たちは少し学んでいます。
さて、ウェストミンスター大教理問答の問196はこう教えます(宮崎彌男訳)。この言葉は、「私たちに、次のことを教えています。すなわち、自分自身や、何であれ他の被造物の中にあるどのような相応しさをも論拠とすることなく、神が示しておられる根拠に基づいて、私たちの願いを一層強くすること、また、神にのみ永遠の主権と全能と栄光に輝く卓越性とを帰する賛美を、私たちの祈りに加えることです。これらのことに関して、神は、私たちを助けることができ、喜んで助けて下さるのですから、私たちは信仰によって心励まされて、神が私たちの求めをかなえて下さるようにと神に嘆願し、神がそうして下さるものと信じて、静かに神に寄り頼むのです。そして、このような自分の願いと確信とを言い表すために、私たちは『アーメン』と言います。」
これを分りやすく要約しましたウェストミンスター小教理問答の問107はこう教えます(日本キリスト改革派教会 公認訳)。この言葉は「祈りにおける励ましを神だけから受けるということと、私たちの祈りにおいて、国と力と栄光を神に帰して神を賛美するようにと教えています。そして、祈りが聞かれるようにという願いと、それが確かに聞かれるという確信の証しとして、私たちは『アーメン』と言うのです。」
大切なことを三つ教えていることが分ります。前回は一つ目の「祈りにおける励ましを神だけから受ける」という点を見ました。カルヴァンも『ジュネーヴ教会信仰問答』問294(外山八郎訳)で「我々の祈りの基礎が、神に祈るため口を開く価値のない我々の中にではなく、むしろ、神に、その能力と慈愛とにあることを、我々に新しく記憶させるため」に、と同じように教えます。私たちが神に祈れること自体、神の恵み以外の何ものでもないことがよく分っていた信仰の先輩たちの敬虔な信仰に教えられます。
今日は二つ目を学びます。ウェストミンスター小教理は言います。「私たちの祈りにおいて、国と力と栄光を神に帰して神を賛美するように」と。カルヴァンも「我々の全ての祈りを、神賛美をもって結ぶことを我々に教える」と、同じように言います。
ところで、「国と力と栄光」とありますが、「国」は、聖書では支配を意味する。ですから、万物を支配される神の永遠の主権をまずハッキリ意識し、次に無から有を生じさせ、闇を光に、死を命に変え、罪人を完全にお救いになれる神の全能の「力」を覚え、そして「栄光」を決して私たちにではなく、ただ神に帰し、神を賛美して祈りを終えることを教えられます。
主の祈りの結びの言葉を唱える時、私たちはどういう意識でいるでしょうか。礼拝の中で公的に祈る時とか、公的な場で祈る時には、私たちは努めて「主の御名を賛美致します」とか、「神様、あなたは何と偉大で素晴らしいお方でしょう。あなたの御名をほめたたえます」などと言い、神賛美の言葉もあると思います。
しかし、他の時の祈り、例えば、食前の祈りの時などに、「神様、今日もご飯を下さり、感謝致します。これによって私たちの体を強め、あなたのご用に立たせて下さい」とは祈ります。しかし、信仰の先輩たちが教えましたように、「全ての祈りを、神賛美をもって結」んでいるでしょうか。
マタイ6:9の主の祈りの第一祈願から、私たちは「御名が聖なるものとされますように」、あるいは「御名を崇めさせたまえ」と、神に栄光を帰し、神を賛美することから祈り始めることを教えられています。しかし、祈りを始める時だけでなく、終る時にも、例えば、昔、ダビデがソロモンを王に就かせる時、「主よ、あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳はあなたのものです」(Ⅰ歴代誌29:10~11)と神を様々な点から高らかに賛美したように、私たちも特にイエス・キリストにおいてご自分を見事に表された神を意識的に仰ぎ、神賛美をもって閉じてみると、どうでしょう。すごく励まされることをきっと体験するでしょう。賛美には、そういう素晴らしい恵みもあるのです。「主よ、ありがとうございます。あなたを賛美致します!アーメン」ですね。