2025年07月10日「主の祈りの学び34 第六の祈願6」
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主の祈りの学び34 第六の祈願6
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節
聖書の言葉
6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。 マタイによる福音書 6章9節~13節
メッセージ
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主イエス・キリストが祈りの模範としてお教え下さった「主の祈り」を今日も学びます。通算で34回目、第六祈願では6回目となります。
前回に続き、1647年にできましたウェストミンスター大教理問答(宮崎彌男訳)の問195の後半を見てみます。
前半部分で、私たち自身の罪と弱さを深く自覚させた上で、大教理問答はこう教えます。
神が世界とその中にある全てのものを支配し、肉を従わせ、サタンを抑制し、万事を統御し、恵みの手段を残らず与えて祝福し、私たちが目を覚ましてこれを用いるようにと奮い立たせ、その結果、私たちと全ての神の民が、神の摂理によって、罪に誘われることから守られるようになること、たとい誘われても、御霊(みたま)によって、力強く支えられて、試みの時に立っていることができるようになること、あるいは、倒されてしまった時には、再び起き上がらされ、誘惑から立ち直らされて、これを益となるように、きよく用いる事ができるようになることです。
さらに、私たちは、自分たちの聖化と救いとが全うされ、サタンが私たちの足の下に踏みにじられ、私たちが罪と誘惑と悪そのものとから、完全かつ永遠に解放されるようになるようにと祈ります。」
ウェストミンスター大教理問答は、非常に多くのことを教えています。そして証拠聖句が夫々に上げられていて、どれも大切であることがよく分ります。ウェストミンスター神学者会議の出席者たちの聖書知識の豊かさ、敬虔さ、信仰深さ、そして牧会的配慮と熱心とを覚えないではおられません。
一回で全体を見るのは無理ですが、とにかく学んでみます。
最初の部分は、神の大きな恵みの基本内容を述べ、私たちに神を期待させます。もう一度読みます。「神が世界とその中にある全てのものを支配し、肉を従わせ、サタンを抑制し、万事を統御し、恵みの手段を残らず与えて祝福し、私たちが目を覚ましてこれを用いるようにと奮い立たせ、その結果、私たちと全ての神の民が、神の摂理によって、罪に誘われることから守られるようになる」と。
大教理問答の前半が教えましたように、信仰があっても私たちには、この世でなお罪の性質が残っていて、大変愚かで弱い者です。その自覚がとても大切です。
しかし、それと共に、こんな罪人の私たちをなおも愛し憐れんでいて下さる真(まこと)の神の完全なご支配、力、また私たちへの大いなる励ましと導きへの期待と希望を、私たちは決して忘れたくないと思います。信仰と希望は切り離せません。ヘブル人への手紙11:1は言います。「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるもの」だと。新共同訳聖書はここをこう訳しています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
さて、他にも大事な点を大教理問答は教えます。すなわち、神が「恵みの手段を残らず与えて祝福し、私たちが目を覚ましてこれを用いるようにと奮い立たせ」と言います。注目したいのは「恵みの手段」とあることです。これは具体的にはどういうものでしょうか。ウェストミンスター小教理問答の問88(大教理問答では問154)は、「キリストによる贖いの恵みを私たちに分かち与える外的手段」として「キリストの諸規定、特に、御言葉と聖礼典と祈り」を教えます。注目したいのは、後半の三つの恵みの手段です。第一が御言葉、すなわち、聖書とその解き明かしである説教、第二が聖礼典、すなわち、洗礼と聖餐の礼典、そして第三が祈り、特に皆で祈り合う祈祷会に参加するといった祈りの機会に与(あずか)ることは何と尊く、素晴らしいことでしょう。一回一回には余り恵みの実感がなくても、その積み重ねが私たちに与えるイエス・キリストの贖いの恵みの豊かさと確実さは、とてつもなく大きなものです。
従って私たちは、大教理問答が教えますように、「目を覚ましてこれを用いるようにと奮い立たせ」られ、「その結果、私たちと全ての神の民が、神の摂理によって、罪に誘われることから守られるようになること、たとい誘われても、御霊によって、力強く支えられて、試みの時に立っていることができるようになること、あるいは、倒されてしまった時には、再び起き上がらされ、誘惑から立ち直らされて、これを益となるように、きよく用いることができるようになること」を、是非、許されたいと思います。
そして、こうなるために大教理問答が上げています御言葉を二つ読んでおきます。
マタイの福音書26:41「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」
詩篇19:13「あなたのしもべを傲慢から救って下さい。それらが私を支配しないようにして下さい。その時、私は大きな背きから解き放たれて、全き者となるでしょう。」
第六の祈願に関連して、今日は特に「恵みの手段」に与ること、与り続けることの重要性と素晴らしさを、改めて深く心に刻みたいと思います。