2025年06月26日「主の祈りの学び32 第六の祈願4」

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主の祈りの学び32 第六の祈願4

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。 マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今日も主の祈りを学びます。通算で32回目、第六祈願では4回目の学びになります。

 今までも夫々の祈願を学ぶ時に、信仰の先輩たちが告白してきたものを見て来ましたが、今日はハイデルベルク信仰問答を見ます。

 第六の願いは何かという問に、問127は「『我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ』です」と答えた後、こう告白します。「すなわち、私たちは自分自身あまりに弱く、ほんの一時(ひととき)立っていることさえできません。その上私たちの恐ろしい敵である悪魔やこの世、また自分自身の肉が、絶え間なく攻撃をしかけてまいります。

 ですから、どうかあなたの聖霊の力によって、私たちを保ち、強めて下さり、私たちがそれらに激しく抵抗し、この霊の戦いに敗れることなく、ついには完全な勝利を収められるようにして下さい、ということです。」

 1517年10月31日に、ルターにより始まった宗教改革は全ヨーロッパに広がり、ローマ・カトリック教会も1545年から1563年まで飛び飛びにトリエント公会議を開き、プロテスタントに対抗し、同時に内部の課題もまとめていました。そんな中、1563年にドイツで作られたのがハイデルベルク信仰問答であり、まだ厳しい状況にありましたが、ここに表れているのは、信仰の先輩たちの真実な信仰です。

 まず前半部分で教えられるのは、自分自身の弱さ、存在の小ささ、惨めさを告白する彼らの謙虚さです。こう告白しています。「私たちは自分自身あまりに弱く、ほんの一時(ひととき)立っていることさえできません。」

 ここは、詩編103:15、16の「人、その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。風がそこを過ぎると、それはもはやない。その場所さえも、それを知らない」を証拠聖句としています。自分の弱さをよく知る何と謙虚な自己認識でしょうか。

 これだけではありません。続けて「その上私たちの恐ろしい敵である悪魔やこの世、また自分自身の肉が、絶え間なく攻撃をしかけてまいります」と告白します。彼らは命がけで霊の戦いをして来ました。それだけに、外からの脅しや誘惑だけでなく、信仰の土台を攻撃し、根こそぎ崩そうと絶えず挑んで来る悪魔とこの世の力の恐ろしさを、どんなにリアルに感じたことでしょう。

 その上、「自分自身の肉が」と言うように、罪深い肉の性質がしぶとく残り、それが自分を虜(とりこ)にしようと働くのを感じないではおられませんでした。ローマ7:23、24のパウロの告白、「私の体には異なる律法があって、それが私の心の律法に対して戦いを挑み、私を、体にある罪の律法の内にとりこにしていることが分るのです。私は本当に惨めな人間です」を思います。

 ですから、「私たちを試みにあわせないで、悪からお救い下さい」と第六祈願を捧げる時、私たちは口だけでなく、自分の弱さと惨めさをとことん覚え、呻くようにして父なる神に真剣に祈りたいと思います。

 後半部分からも大事なことを教えられます。どう告白しているでしょう。「ですから、どうかあなたの聖霊の力によって、私たちを保ち、強めて下さり、私たちがそれらに激しく抵抗し、この霊の戦いに敗れることなく、ついには完全な勝利を収められるようにして下さい」です。

 「ですから」とあります。つまり、前半で告白した自分の弱さ、小ささ、惨めさ故に、非常に強く神に願い求めています。当然でしょう。自分の弱さ、小ささ、惨めさを真(しん)に自覚するなら、どうして神に激しく祈り求めないでおられるでしょうか。

 そして信具体的には第一に、「あなたの聖霊の力によって、私たちを保ち、強めて下さり」と言います。私たち自身の力など、最初から当てになりません。ですから、ハッキリ「聖霊」が私たちを保ち、強めて下さるようにと、祈るのです。

 第二に、「私たちがそれらに激しく抵抗し」と言います。確かに弱い私たちですが、だからといって戦いを放棄するのではなく、聖霊に強められて戦えるように祈るのです。この意識が極めて大切です。

 第三に、「この霊の戦いに敗れることなく、ついには完全な勝利を収められるようにして下さい」と完全な勝利を祈るのです。

 これは無謀な祈りでしょうか。いいえ、違います。聖書で神はお約束下さっているからです。ハイデルベルク信仰問答が証拠聖句として上げていますⅠテサロニケ5:23、24は言います。「平和の神ご自身が、あなた方を完全に聖なるものとして下さいますように。あなた方の霊、魂、体の全てが、私たちの主イエス・キリストの来臨の時に、責められる所のないもものとして保たれていますように。あなた方を召された方は真実ですから、そのようにして下さいます。」

 ですから、勝利の希望をしっかりもって、第六祈願を祈りたいと思います。それが主イエス・キリストの御心(みこころ)です。

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