2025年06月19日「主の祈りの学び31 第六祈願 3」

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主の祈りの学び31 第六祈願 3

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。 マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 主の祈りの学びも、今日で31回目となり、第六祈願では3回目となります。

 前回は悪魔・サタンの存在とその恐るべきやり方や力を、旧約・新約の聖書全体から学びました。

 

 ところで、前回触れなかった試みや悪にもう一つの面がありますので、それに簡単に触れておきます。何でしょう。自分では全くその積りはないのですが、私たちが自覚しないまま、悪魔・サタンの道具となって、他の誰かを苦しめ、傷つけて、躓(つまず)かせ、神から遠ざけてしまうという、そういう罪と悪の問題です。サタンは、他の人を通して私たちに罪を犯させ、私たちを滅びに引き入れるだけでなく、私たち自身の不信仰で罪深い言葉や態度、振舞いを使って人を神から遠ざけ滅ぼそうとしても働いているのです。ですから、「私たちを試みにあわせないで、悪からお救い下さい」と祈る時、今言いましたような他の人への罪や悪とそれを巧妙に利用するサタンから「何卒私たちをお救い下さい」と真剣に祈りたいと思います。

 以上、私たちは、主の祈りの最後の第六祈願により、悪や罪それ自体からの、またそこに巧妙に絡んで来る目に見えない恐るべきサタン・悪魔からの救いを、父なる神に祈り求めるべきことを教えられました。

 しかし正直な所、人間の内にある腐敗した罪の性質に絡んで来るこういう悪魔・サタンのやり方に、私たちクリスチャンは勝てるのでしょうか。勝てます!

 但し、それは私たちが絶対に一度も負けることも失敗することもないということではありません。失敗はしても、ウェストミンスター小教理問答の問36が明らかに告白しますように、主にすがる信仰者は、最後まで恵みの内に堅忍することを許されるという意味です。

 実際の所、教会も個々のクリスチャンも、一時は負け、神を怒らせ、悲しませ、また自分がひどく惨めになり、エゼキエル20:43や36:31にありますように、強く自己嫌悪することもあります。しかしその都度、泣きながらでも主に懸命に寄りすがる者を、神は退けず、赦し、慰め、励まし、守って来られました。ですから、旧約時代も含め全歴史を通じて、また今も、全世界に真(まこと)の教会と真(まこと)のクリスチャンは存在しています。神はご自分の民を知っておられるのです。

 以上のことを心に留めつつ、最後に四つほど大事なことをお話して終ります。

 第一に、私たちは罪の誘惑であれ試練であれ、何を使ってでも私たちを神から遠ざけ滅ぼそうとしている悪魔を決して忘れてはなりません。悪魔を忘れ、悪魔を甘く見て、見くびっている人ぐらい、悪魔にとって扱いやすい人間はいません。ですから、Ⅰペテロ5:8、9は「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなた方の敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、誰かを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい」と命じるのです。

 第二に、罪の強い誘惑を感じる時、主イエスがマタイ4:10や16:23で言われましたように、「サタンよ、退け」と叫ぶぐらい、サタンと罪の誘惑を断固退けることです。中途半端は駄目です。

 宗教改革者ルターは、1521年のヴォルムス国会のあと、ヴァルトブルク城に一時匿(かくま)われ、新約聖書をドイツ語に翻訳しました。その時、悪魔が現れ、彼がインク瓶を投げつけた時にできたという染み(しみ)が今も残っているそうです。実際にルターが何を見たかは分りませんが、サタンと罪の力を感じる時、断固とした姿勢で退けることが大切です。

 第三に、試みにあっても、まだそれは罪ではないこと、しかし、たといそれに負けたとしても、何もかも終ったのではないことを、よく覚えておきたいと思います。決して「もう駄目だ」と自暴自棄になってはいけません。即座に悔い改め、罪の赦しと罪そのものからの救いを神に祈るのです。マーティン・ロイドジョーンズは、「祈りとは、恵みの神に手を差し出すことである」と言いました。その通り、祈りの手を神に差し出すなら、神の恵みの御手は、必ず私たちの手を掴み、私たちを主イエス・キリストの恵みの中に入れ続けます。何と感謝なことでしょうか。

 第四に、主イエスが「私たち」を試みに遭わせず、悪から救って下さい、と教えられたように、自分の家族や親しい方々、教会員をも是非覚えて祈りたいと思います。罪と悪、また悪魔の誘惑は、どんな人にも天に召される時まで続きます。主がお教え下さったこの祈りを、他の誰かに祈ってもらう必要のないほど強い信仰者は、この世に一人もいません。

 罪と悪魔に勝つには、何と言っても御言葉の武具を身に着けることが誰にも不可欠です。エペソ6:11は言います。「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神の全ての武具を身に着けなさい。」それと共に、この第六の祈願を繰り返し唱え、試みの多い悪の世で私たちのために主イエスが既に踏みしめて下さった救いの道を、是非、皆で支え合い、踏み締めて行きたいと思います。

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