2025年06月12日「R.B.カイパー著『聖書の教会観』から学んでいること」
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R.B.カイパー著『聖書の教会観』から学んでいること
- 日付
- 説教
- 古口直美 伝道所委員
- 聖書
申命記 6章6節~9節
聖書の言葉
6:6 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとめなさい。
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
6:8 これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。
6:9 これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。申命記 6章6節~9節
メッセージ
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本日は、R.B.カイパーの『聖書の教会観-キリストの栄光のからだ-」という1958年に米国で出版され、1972年に日本でも翻訳出版された本のごく一部分からですが、お奨めしたいと思います。
この本については、これまで何度も教会全体で学んできました。個人的には、鈴蘭台教会の青年会時代に、また直近では2002年~2007年に5年かけて、岡山西伝道所でも学びました。岡山教会時代にも、教会設立を目標にこの本で学んで来たと思います。
昨年(2024年)の10月から伝道所委員4名で毎週1章ずつ各自で同じ所を読もうと、心新たに始めました。全部で53章あるので、ちょうど1年かけて読む感じです。一つの章の分量は少なくても、内容が消化しきれなくなり、ペースが各自だんだんと乱れてきたかも知れませんし、私などはただ読んでいるという状態のこともあります。伝道所委員会時に田村先生は「いつでも分らないことは聞いてください」と言ってくださいました。質問するほどの理解に至っていませんが、とりあえず先に読み進めようというような時もあります。現在53章中の34、35章あたりなのですが、全部を短くまとめることはできませんので、最近、読んだ箇所からお分かちしたいと思います。
まず、この本は「キリスト教教理、特に改革派信仰をわかりやすく説いてほしいという切なる要望にこたえて、…キリスト教会に関する聖書の教えを述べようとするものです。教会の<栄光>について書くことにした」と「はじめに」にあります。「神の誤りなき御言葉からキリストの<からだ>の驚くべき栄光を示すことにある」と。しかし当時の現状は「教理的関心は薄れ、誤りなき神の言葉から神について学ぶために教会へ行くのではなく、精神を安定させるために出かけるのです」と書かれていますように、「教会の差し迫った危機はその内部から生じている。その代表的なものは、世俗化、契約期分割主義者が主張する教会についての低い評価(教会は単なる挿入部分である・間奏曲である・休憩時間でしかないと主張するようなもの)、教理的無関心」などです。
この本の各章は、キリストのからだである教会の固有の栄光をいろいろの観点から述べるシリーズとなっています。各章のタイトルだけを見ても、「あー、そうだ!そうか!」と恵みを受けます。一度に続けて読むことができなくても、1章ずつ毎週読む、毎月読むのに適しています。ここが大事とかではなく、すべてが教会についての恵みを教えてくれます。この本が書かれた時代と現在と、時代の変化に伴い難しく感じる部分もありますが、今も変わらずに大切なことを教えてくれます。教会の<栄光>について知ることで、私たちの生き方や実践が示されます。教会がキリストの愛と憐れみ、そして救済の具体的な場であることが学べます。また、教会が社会と密接に結びつき、様々な問題に積極的に関わるべきことがわかります。「聖書の教会観」は、教会が機能し、役割を果たすために重要であることがわかります。
前置きが長くなりましたが、具体的な教会の栄光のそのひとつとして、第34章「青少年期の契約の子の教師」から、見たいと思います。
「キリスト教会の主要な任務は、神のことばを教えることです。教えるという教会の働きは、説教に限られるべきではない。この任務を遂行するにあたって、教会がその契約の子らに対して細心の配慮を払わねばならない。
① 必然的な任務
聖書は契約の子の宗教教育を非常に強調。
神が救いの恵みを代々にわたってお与えになるという真理は、恵みの契約の教理の一つの重点である。しかしながら、契約の継続は自動的で、例外なしというものではない。信仰をもっている両親の子らが皆、信者になるのではない。契約の子らは宗教教育なしにクリスチャンとして育つはずはない。宗教教育は必須。神が備え、命じられた手段。
② 包括的な任務
キリスト教は「生活」であると同時に「教理」です。両者に先立ってキリスト教は「歴史」です。教会は、これら三面にわたってキリスト教を教えなければなりません。
③ 実り豊かな任務
この任務が最も感受性の強い年頃の人間に関係を持つということ。若木は成長し続ける。
契約の子らに関する契約責任を忠実に果たす教会を、真実にいます契約の神が、たしかに豊かに祝福される。
では、教会のこの働きに神が報われる祝福とは何でしょうか。
・教会の将来を約束する。
・多くの回心を産む。
・教会を真理のうちに保つ。
・御言葉をよく理解し、わきまえる聴衆を産む(御言葉のかたい肉を消化できる会員のいる教会のなんと少ないことか!)。
・光栄ある職務の責任を果たしえる人々に事欠かない教会とする(やがて主のブドウ園で働く人の豊かな供給をもたらす道となる)。
・健全なクリスチャン世代を産む(宗教的知識の欠如は教会中に広まる。聖書についての知識こそが治療剤であり予防薬である)。 」
どの教会にも、その教会ならではの特徴や環境、構成員の違いがあります。教会員は、いつも自分が所属して出席している教会以外は知りませんので、恵みに気がつきにくいものですが、私たちの教会には、感謝なことに、契約の子が多く与えられています。クリスチャンホームの数は多くはなくても、家庭数ではなく、子どもの魂は一人一人、特別です。幼児洗礼式のたびに、喜びと感謝と、同時に大きな責任を感じます。親の義務であり特権である幼児洗礼で、教師は両親に対して、神への服従と献身を、また聖書を理解させること、良い模範を示すことを公的に説いて勧めます(勧告)。親は神と教会の前に誓約しますが、このことが、親の特権であるだけでなく、必然的かつ包括的な教会の任務なのです。教会によるこの任務の軽視はゆるしがたいことです。そして実り豊かな任務なのです。
そこで、現在の当伝道所の教会学校の生徒の構成を具体的に見てみますと、ジュニアクラス(中高校生)、オリーブクラス(小学中学年以上)、こむぎクラス(小学低学年と幼児)です。いのちのことば社の教案誌『成長』を用い、3年サイクルのカリキュラムで、旧新約聖書の重要箇所を学んでいますが、教師たちの毎週の準備とその内容について、他の教会員は特別に覚えて祈る必要があることを今回、強く思いました。大切な奉仕です。教師同士も協力し合い、助け合っています。ここにもキリストの愛と憐れみが具体的に現れる場であることがわかります。
また日本キリスト改革派教会の教案誌もあり、こちらは1年~2年サイクルです。大会教育委員会のホームページからダウンロードできます。2001年3月~2022年3月まで21年かけて、季刊誌として刊行されてきました。現在は休止中ですが、ネットで現在もカリキュラムが公開されています。ホームページ内の掲示板システムでアイデアや各種ノウハウを共有し合っています。どのカリキュラムを用いるのか、今後の課題です。このようにCS教師会の話し合いもとても重要なことです。
もちろん、契約の子らの教育は、礼拝前の教会学校のことだけではありません。宗教教育は、朝の挨拶から始まり、大人同士の会話、態度、礼拝中の聴衆の姿勢、礼拝での御言葉と祈り、午後の学びやまじわり、様々な奉仕などのすべてです。神様から、こんなに重大な任務を任されていることの自覚を共通に強めたいです。
こうして、「青少年期の契約の子の教師」というこの一つの章を見ても、これがキリストの栄光の<からだ>、つまり教会なのだと認識できました。人間的な現実を見ると、教会って何だろう?と思うことがありますが、ただ聖書から、教会って何か?を学ぶことが、必要なのです。
この章だけを見ていますので、教会はとても内向きと感じるかもしれませんが、当然、この章の前に、『聖書の教会観』では「教会の最高任務は、神のことばを教え、宣べる(広く知らせる)ことです」と教えられます。「プロテスタント諸信条では、教会を『その中で、福音が正しく教えられるところの聖徒の集まり』」と定義しています。
【教会は】旧約時代から、今も、そして永遠に存在する。見える教会(可視的教会)が見えない教会(不可視的教会)に懸命に近づこうと努力し、悪魔の子らと戦い、神の主権的な行為で、神の真理の御言葉と真理の御霊によって神ご自身によって存在させられ、普遍的(すべての者に通じる性質)で超国家的で、真理の宣教者で、普遍的な職務があり、愛と感謝に燃え、喜びをもって主に仕えるのです。
以上が『聖書の教会観』から学んでいることです。