聖霊を信じる(ペンテコステ礼拝説教)
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書 使徒言行録 2章1節~8節
2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると、皆が聖霊に満たされ、御霊が話させるままに、他国の色々なことばで話し始めた。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
2:6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
2:7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちは皆、ガリラヤの人ではないか。
2:8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国の国語で話を聞くとは、いったいどうしたことか。使徒言行録 2章1節~8節
今日は世界中の教会でペンテコステ礼拝が捧げられます。
神の御子イエスが世に来られる前の旧約時代から、ユダヤでは春の過越祭直後の日曜日から数えて50日目の日曜日に大切な祭がありました。これが2:1「五旬節」であり、ギリシア語でペンテコステと呼びます。しかし、イエスの復活後50日目のペンテコステの日曜日には、2:1以降が伝えますように、聖霊が弟子たちに特別に働かれ、大勢の人が回心し、洗礼を受け、新約時代の教会が始まりました。
こういう特別な出来事はこの時だけでしたが、この後、使徒の働きが伝えますように、聖霊は非常に豊かに働かれ、弟子たちはイエスの福音を大胆に伝え、真(まこと)の神を知らない大勢の人が罪と永遠の滅びから救われて行きました。そして今日に至っています。全ては聖霊の御業(みわざ)です。今朝は、その聖霊について再確認したいと思います。
最も大切なことは、聖霊を心から信じ、聖霊に自分を明け渡すことです。
御霊(みたま)とも呼ばれる聖霊は、父なる神、子なる神イエスと共に、三位一体の真の神の第三位格であられます。キリスト教の異端は、聖霊を神の力やエネルギー位にしか考えませんが、「聖霊を欺く」ことを「神を欺く」ことと言い換えています使徒5:3、4などからも、聖霊が神であられることは明白です。ですから、クリスチャンは、天地の創り主・全能の父なる神とその独り子イエス・キリストを信じるのと同じように、聖霊を心から信じ、寄り頼んで生きます。これが真(まこと)のキリスト教信仰です。
さて、聖霊は非常に豊かな働きを、御父と御子と共になさいます。天地創造は勿論、世界と歴史の一切に関られ、私たちは聖霊に生かされています。心臓と血液循環、呼吸器、消化器、内分泌の働き、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、精神活動も皆聖霊に支えられています。
しかし一番大切なことは、聖霊が私たちの救いに関わっておられることです。ですから、聖霊に寄り頼むことがとても大切です。
御子イエスは、父なる神のご計画に従って、人間が守るべき神の聖い戒めを全部守られ(積極的服従)、また私たち罪人に臨むはずの永遠の裁きを十字架で私たちに代って全部受けられました(消極的服従)。こうして全世界を救って、なお余りある贖いを完成され、今、天の父なる神の右におられます。
聖霊は、主イエスが獲得されたその絶大な救いの恵みを、私たち個々人に具体化されます。宗教改革者カルヴァンが聖霊を「キリストと私たちとを結ぶ帯」と言った通り、聖霊により私たちがイエス・キリストに結び付けられることで、イエスの恵みが私たちに及び、私たちは罪と滅びから救われ、イエス・キリストに似る者へと清められます。こういうお働きをされる聖霊への信仰が大切です。
前にもお話しましたが、「救いの順序」(ラテン語でオルド・サルティス)と呼ばれるものを改めて確認しておきたいと思います。聖霊のお働きの豊かさを、改めてよく知るためです。
人がイエス・キリストにより永遠の救いに与る第一歩は、魂に飢え渇きを覚え、真実なものを求め、真(まこと)の神を求める所から始まります。実はこれは聖霊によります。教理的に、有効召命と再生と言います。
次に、人は教会の礼拝に出席し、聖書を読み、自分の罪を自覚し憎み、神を恐れ、謙虚にされ、しかしこんな自分の罪を全部背負い、十字架で命を捧げて下さった神の御子イエス以外に救いがないことを知り、イエスに依りすがるようになります。これが悔い改めと信仰です。これも聖霊によります。Ⅰコリント12:3が言いますように、聖霊によらなければ誰も「イエスは主です」と言うことは出来ないからです。
次に、人は教会で信仰を公に告白して洗礼を受け、クリスチャンとして踏み出します。救いの確信はまだ弱いかもしれません。しかし、教会で、説教、聖餐式、祈り、交わりなど恵みの手段に忠実に与っていますと、自分がただイエス・キリストへの信仰により罪赦され、義とされ、特に神の子供とされている確信と喜びを必ず強められます。これも聖霊によります。ローマ8:15、16は言います。「あなた方は、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父よ』と叫びます。御霊ご自身が、私たちの霊と共に、私たちが神の子供であることを証しして下さいます。」
厳しい宗教改革の中、ルターは、聖霊に導かれた者が神を父と呼べることが如何に大切かを繰り返し語りました。彼自身そこに立ち、辛い時も信仰の戦いが出来たのでした。ですから、私たちも追い詰められ、もう駄目だと思うような時でも、「そうだ!私は洗礼を受け、神の子とされている!天地を造られた神が私の父だ。だから、何があっても神は私の魂を守られる」と、クリスチャンは自分に説教するのです。事実、聖霊は私たちの霊と共に働かれ、私たちを守られます。
また聖霊は私たちを、「罪に死に、義に生きる」者にさせ、この世で完全聖化はありませんが、死の瞬間に私たちを全く清め、御国に入れて下さいます。
要するに、最初から最後まで私たちの救いの全ては、イエス・キリストの救いの恵みを取り次がれる聖霊によります。ですから、聖霊に謙虚に信頼し、自らを明け渡したいと思います。そのような信仰者に、聖霊はますます働かれます。
以上、聖霊の中心的な働きを確認しました。しかし、本当は他にも沢山あります。その中から、今朝はただ三つだけ確認して終りたいと思います。
第一に、聖霊は根本的に私たち信仰者の味方でいて下さいます。
ヨハネ14章で、イエスは聖霊を「助け主」と呼ばれます。これは「慰め主」とか「弁護者」とも訳せます。要するに、聖霊は信仰者の味方であられます。Ⅰコリント6:19が教えますように、聖霊は私たちをご自身の宮とされ、私たちの体も魂も妬むほど愛し、私たちを応援されます。このことを是非覚えておきたいと思います。辛い時にも、勇気や忍耐力を与えられます。
第二に、聖霊は神の真理を私たちに悟らせて下さいます。
十字架の前夜、イエスはご自分の代りに聖霊を遣わすと、弟子たちに何度も言われました。「私が父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与え下さり、その助け主がいつまでも、あなた方と共にいるようにして下さいます。この方は真理の御霊です。」(ヨハネ14:16、17)
聖書には神の知恵と真理が満ちています。詩篇119:130は「御言葉の戸が開くと、光が射し、浅はかな者に悟りを与えます」と言い、98節も「あなたの仰せ(おおせ)は、私を敵よりも賢くします」と言います。とは言え、聖書の御言葉の意味が分りませんと、意味がありません。ですから、説教をよく聞き、聖書をよく読み、生活の中で御言葉が思い出され、自分が体験していることと一致する「御言葉体験」というものが大切です。聖霊はそれを私たちにして下さいます。イエスは言われました。ヨハネ14:26「助け主、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなた方に全てのことを教え、私があなた方に話した全てのことを思い起させて下さいます。」
聖書註解や聖書辞典の活用と共に、聖書を読む時も説教を聞く時も、聖霊が私たちの心を照らし、生活の中で御言葉の真理を体験させて下さるように、是非、祈りたいと思います。
第三に、聖霊は私たち信仰者のために父なる神に執り成して下さいます。
信仰者ではあっても、私たちは何と弱い者でしょうか。順調な時は祈ることが出来ても、逆境の中ですと、どうでしょう。「ああ、こんな時こそ祈らなければ」と思うのですが、祈れないこともあります。しかし、まさにこんな私たちに代り、御霊自ら神に執り成して下さるのです。ローマ8:26、27は言います。「御霊も、弱い私たちを助けて下さいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分らないのですが、御霊ご自身が、言葉にならない呻きをもって、執り成して下さるのです。人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。何故なら、御霊は神の御心に従って、聖徒たちのために執り成して下さるからです。」ですから、祈れなくても、クリスチャンは絶望してはなりません。
しかも聖霊は、「神の御心に従って」執り成して下さいます。私たちの願う内容が、神の御心でないこともあります。けれども、御霊は私たちの先々のことも皆ご存じです。ですから、その時には私たちに納得出来ず、辛くても、究極的には必ず私たちの益となるように天の父に取り次がれます。従って、聖霊を信頼し、本当に委ねたいと思います。
以上、聖霊なる神の恵みを、今朝、改めて確認しました。
私たちは聖霊なる神に是非語りかけ、聖霊に祈りたいと思います。15世紀から16世紀にかけて活動しました宗教改革者メランヒトンはこう祈りました。「永遠の父と子とより出で、ペンテコステの日に使徒たちに注がれた真理と純潔の全能なる聖霊よ。私たちはあなたに感謝致します。あなたは神の御言葉に対する私たちの信仰を固くし、強めて下さいました。あなたは私たちを慰めて下さいますので、私たちの心が神の内に安らぎ、全ての善い物を神に乞い求め、また期待するに至るのです。私たちの体と心の幸いのためにして下さる備えに対して感謝致します。聖霊よ、全ての栄光と誉れと賛美と感謝が、とこしえにあなたにありますように。アーメン」
私たちも是非、聖霊なる神に語りかけ、祈りたいと思います。聖霊が私たちをますます清め、福音を生活で飾らせて下さり、主イエス・キリストの芳しい(かぐわしい)香りを放つ者にして下さいますように!