2025年05月22日「主の祈りの学び28 第五祈願 5」
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主の祈りの学び28 第五祈願 5
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 6章9節~15節
聖書の言葉
6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
6:14 もし人の過ちを赦すなら、あなた方の天のちちもあなた方を赦して下さいます。
6:15 しかし、人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の過ちをお赦しになりません。マタイによる福音書 6章9節~15節
メッセージ
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主の祈りの学びも、通算で28回目、第五祈願では5回目となる今日は、信仰の先人たちが告白した信条文書の内、1647年に英国で作られたウェストミンスター大教理問答に学びたいと思います。
問194は告白します。
「第五の祈願において、私たちは、自分も他の全ての人も、原罪と現行罪の双方において咎ある者であり、そのために神の義に対して負債のある者となっていること、また、その負債に対して自分も他のどのような被造物も、最小限の償いすらなし得ないことを認めた上で、自分自身と他の人たちのために、次のことを祈ります。
すなわち、神が、その無償の恵みから、信仰によって認識され、かつ適用されるキリストの服従と償いを通して、私たちが罪の咎と罰のいずれをも免れるようにして下さること、愛する御子において私たちを受け入れて下さること、私たちに対して憐みと恵みを持続して下さること、私たちの日毎の失敗を赦して下さること、また、日毎にいよいよ罪の赦しの確信を与えて、私たちを平和と喜びで満たして下さることです。
このような罪の赦しの確信は、私たちが心から他人に対してその罪過を赦しているという証しを自らの内に持つ時、一層大胆に願い求め、一層励まされて期待することができるのです。」
ハイデルベルク信仰問答同様、主の祈りを真摯に捧げようとした先人たちの信仰が垣間見られて、大切なことを色々教えられます。
第一に「自分も他の全ての人も、原罪と現行罪の双方において咎ある者であり、そのために神の義に対して負債のある者となっている」…「その負債に対して自分も他のどのような被造物も、最小限の償いすらなし得ないことを認め」とあり、人間の罪と悲惨さについての深い認識を教えられます。
これは聖書をよく読んでいると共に、自分を打ち叩きたいほどの自分の罪についての認識、そして自分の罪と咎は何によっても償えないという絶望感がないと告白できるものではありません。ルカ18:13が伝える主イエスの喩えの中の取税人の姿、すなわち、「目を天に向けようともせず、自分の胸を打ち叩いて言った。『神様、罪人の私を憐れんで下さい。』」を、それと詩篇49:7、8の御言葉、「兄弟さえも、人は贖い出すことができない。自分の身代金を神に払うことはできない。魂の贖いの代価は高く、永久に諦めなくてはならない」を思います。人間の罪と悲惨さについての深い認識の大切さを改めてハッキリ教えられます。
第二に「自分自身と他の人たちのために、次のことを祈り」とあり、主の祈りを祈る時、必ず他の人たちを覚えて祈ることを明確に教えられます。
第三に「神が、その無償の恵みから、信仰によって認識され、かつ適用されるキリストの服従と償いを通して」と述べ、キリストの服従と償いこそ、私たちが神から頂く全ての恵みの絶対的根拠であることを確認させられます。
そして具体的にまず「私たちが罪の咎と罰のいずれをも免れるようにして下さること」と、何より根本的な罪の赦しを私たちに求めさせ、続いて「愛する御子において私たちを受け入れて下さること」と、つまり、神が私たちをご自分の子として受け入れて下さることを求めさせます。
次に「私たちに対して憐みと恵みを持続して下さること、私たちの日毎の失敗を赦して下さること」と述べ、神の恵みと憐みを絶えず、また日毎に求めさせ、更に「日毎にいよいよ罪の赦しの確信を与えて、私たちを平和と喜びで満たして下さること」と述べ、私たちの心に明るい希望の光を灯らせる神の素晴らしい恵みを求めさせます。
大教理が上げている証拠聖句を読んでおきます。ローマ15:13「どうか、希望の神が、信仰による全ての喜びと平安であなた方を満たし、聖霊によって希望に溢れさせて下さいますように。」
最後、第四に「このような罪の赦しの確信は、私たちが心から他人に対してその罪過を赦しているという証しを自らの内に持つ時、一層大胆に願い求め、一層励まされて期待することができるのです」と教えて終ります。
これは既に学んだことですが、救い主イエス・キリストを通しての神の無償の愛と憐みにより自分が赦されているという認識とその感謝から、私たちが他の人の罪を実際に赦す時、それが出来た喜び、感謝、幸せを覚えないではおられません。すると、私たちは信仰をすごく励まされ、自分のもっと大きな罪の赦しについても一層大胆に神に願い求め、期待することが出来るということです。ウェストミンスター大教理問答を作った先人たちも、赦しに伴う嬉しい励ましを体験していたので、きっとこのように言うことが出来たのでしょうね。
私たちも彼ら同様、こういう励ましを一層味わうことを、是非許されたいと思います。