2025年05月15日「主の祈りの学び27 第五祈願 4」

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主の祈りの学び27 第五祈願 4

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~15節

聖句のアイコン聖書の言葉

6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
6:14 もし人の過ちを赦すなら、あなた方の天のちちもあなた方を赦して下さいます。
6:15 しかし、人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の過ちをお赦しになりません。マタイによる福音書 6章9節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 主イエスが祈りのお手本として弟子たちに教えられました主の祈りを続けて学んでいます。

 通算で27回目、第五祈願では四回目となる今日は、今までもしてきましたが、信仰の先輩たちがその置かれた時代状況の中で告白しました信条文書の中で、特に1563年にドイツで作られましたハイデルベルク信仰問答の問126を見てみます。

 これは第五祈願を次のように告白します。「私たちのあらゆる過失、更に今なお私たちに付いてまわる悪を、キリストの血の故に、惨めな罪人である私たちに負わせないで下さい。私たちもまた、あなたの恵みの証しを私たちの内に見出し、私たちの隣人を心から赦そうと、かたく決心していますから、ということです」と。

 第一に教えられますことは、この信仰問答を作った信仰の先輩たちは、言葉は短いですが、「私たちのあらゆる過失、更に今なお私たちに付いてまわる悪」とか、「惨めな罪人である私たち」と言って、罪故の自らの悲惨さを認識し、聖書に基づきしっかり告白していることです。

 自分の罪とそれ故の自分の惨めさを認識するというこの自己認識は、私たちの信仰の質や程度、その深さ、高さ、豊かさに、大変大きな影響を与えます。それを思いますと、命の危険さえあった厳しい宗教改革のただ中で、この信仰問答を告白した先人たちが自分自身と鋭く対峙し、自分を見つめ、御霊によって導かれた自己認識というものを、覚えないではおられません。

 そして、これは何より聖書に基づいています。例えば、詩篇51:1以降にありますダビデの祈りは、彼の自己認識をよく伝えています。読んでみます。1~3節「神よ、私を憐れんで下さい。あなたの恵みに従って。私の背きを拭い去って下さい。あなたの豊かな憐れみによって。/ 私の咎を、私からすっかり洗い去り、私の罪から、私をきよめて下さい。/ まことに、私は自分の背きを知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。」7~9節「ヒソプで私の罪を除いて下さい。そうすれば私はきよくなります。私を洗って下さい。そうすれば、私は雪よりも白くなります。/ 楽しみと喜びの声を聞かせて下さい。そうすれば、あなたが砕かれた骨が喜びます。/ 御顔(みかお)を私の罪から隠し、私の咎を全て拭い去って下さい。」

 自分の罪と自分の惨めな現実についての自己認識!これは主の祈りの第五祈願と切っても切れない関係にあります。

 二つ目は、「キリストの血の故に、惨めな罪人である私たちに負わせないで下さい」とありますように、自分の罪の赦しの根拠を、あくまでも十字架で流されたキリストの犠牲の血、身代りの死に置いていることです。

 私たちのために十字架につき、流して下さった主の贖いの血、犠牲の死という一点に、ハイデルベルク信仰問答は集中しています。単にキリストを覚え、信じるというのではなく、また聖人でも自分の善行でも自分の人柄でもなく、キリストの十字架の想像を絶する苦しみを、また私たちが本来受けるべき神の怒りと呪いという地獄の苦しみを、主が血を流して全て負って下さったことをひたすら覚え、それ以外に一切救いの根拠を見ない!この重要なことを改めて教えられます。

 最後、三つ目は「私たちもまた、あなたの恵みの証しを私たちの内に見出し、私たちの隣人を心から赦そうと、かたく決心していますから」とありますように、キリストの犠牲を根拠とする神からの無償の罪の赦しの愛に応えて、私たちも隣人を心から赦すという決意を表明していることです。

 そういえば、ルカ11:4にあります主の祈りの第五祈願では、「私たちの罪をお赦し下さい。私たちも私たちに負い目のある者を『皆』赦します」とあり、より強い決意と覚悟の表明の言葉になっています。

 このことで、マタイ18:21~35に記されていますが、イエスがなされた譬え話を覚えます。

 「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか」とペテロが尋ねますと、イエスは「七回を七十倍するまで」とお答えになり、その後、莫大な負債を自分は赦されたのに、僅かな負債のある仲間を決して赦さなかった人に関連して、イエスは言われました。18:35「あなた方も夫々自分の兄弟を心から赦さないなら、私の天の父もあなた方に、このようになさる」と。ハイデルベルク信仰問答もここを証拠聖句に上げています。

 いずれにせよ、私たちも改めて神の無償の赦しの愛に応え、とりわけ厳しい宗教改革時代のさなか、自分の命さえ狙い敵対してくる人たちをも心から赦す決意を、主の祈りを捧げる度にし、福音の宣教と聖書に忠実な教会を建て上げるために勤(いそ)しんだ信仰の先輩たちの信仰に、ハッキリ倣いたいと思います。

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