2025年05月29日「主の祈りの学び29 第六祈願 1」

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主の祈りの学び29 第六祈願 1

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。 マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 29回目となります今日の主の祈りの学びでは、第六祈願、すなわち13節「私たちを試みにあわせないで、悪からお救い下さい」に進みます。

 少し振り返ります。私たちは、主の祈りの後半最初の第四祈願で、まず私たちの根本的な生存に必要なものを父なる神に祈り願うことを主イエスに教えて頂きました。次に、私たちの罪の赦しを祈り願うこと、それと共に私たちへの他人の罪を赦すべきことを第五祈願で教えられました。

 では、これに続く最後の第六祈願で、主はどういうことを祈るようにお教えになるでしょうか。ひと言で言って、それは私たちにとって最も大きな問題である「罪そのものからの救い」を祈り願うことと言えます。犯してしまった罪と咎の赦しではなく、そもそも罪を犯すこと自体からの救いを祈り願いなさい、と主はお教えになります。

 ここに私たちは、私たちの弱さをよく分っておられる主イエスの深い愛と憐みを思わないではおられません。実際、主は私たちの弱さを何と良く分って下さっていることでしょうか。

 私たちは、思いと言葉と行いにおいて犯す自分の罪が神の怒りに値することをよく知っています。ですから、その赦しを私たちは仲保者イエス・キリストを通して天の父なる神に真剣に祈ります。そして父なる神は、御子イエスへの信仰の故にご自分の子供にして下さった私たちの祈りを喜んでお聞きになり、罪をお赦し下さいます。

 けれども、罪の力には底知れないものがあります。この世に生きている間、私たちには罪の腐敗した性質が最後まで残っているため、罪や失敗を何度も繰り返します。そんな自分が情けなく、腹立たしくもあります。詩篇32篇や51篇のダビデの詩のように、良心が疼き、自分自身が惨めで、罪をもう犯したくありません。

 しかし、そのことに真剣であればある程、私たちは自分の余りの弱さ、罪深さに打ちひしがれます。罪の力は恐ろしく強く、巧みにまた執拗に何度も働いて私たちを動かし、虜(とりこ)にし、私たちを打ち負かす。その結果、罪にまた負けてしまった惨めな自分に、私たちは絶望的になります。パウロもローマ7:24で「私は本当に惨めな人間です」と言いました。

 ですから、全知全能の神の憐れみ以外に、私たちを罪そのものから守り、あるいは罪の誘惑を跳ね返し、罪に打ち勝たせるものはありません!が、まさにこのように罪の力と自分の無力さをとことん知っている悔い砕かれた魂に、主はこの祈りをお教えになるのです!「我らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え」と。

 実際の所、私たちは最後にはこう祈るしかないのだと思います。けれども、魂を絞り出すようにこう祈る者を父なる神は憐れんで下さり、徐々にでも罪に打ち勝てるように強め、罪そのものから助け出されます。ここに私たちは、私たちの弱さをよくお分りで、だからこそ、この祈りにより私たちを救おうとされる主イエスの愛と憐れみに一層気付かされます。

 ここで念のために確認しておきます。私たちには大きな問題が二つあります。一つは悪魔・サタンの存在とその巧妙で恐ろしい力です。そして、もう一つは繰り返しになりますが、信仰を持ってはいても、なお私たちの内に残る腐敗した罪の性質であり、そこから来る私たちの霊的な弱さ、無力さです。時間が残り少ないですので、今日は、あとの方の点だけを少し取り上げます。

 実際、信仰があっても、私たちの内に残る腐敗した罪の性質のために、私たちはどんなに罪に傾きやすく、罪を犯す傾向が強いでしょうか。自分についてのこの認識が希薄で甘いと、私たちが罪から解放されることは極めて困難です。この事実を改めてよく覚えておきたいと思います。

 しかしこの自己認識があることで、私たちは主イエス・キリストに何度でも寄りすがり、父なる神に罪そのものからの救いを求め、言葉にならない呻きをもって切に祈ります。すると神は、ただ御子イエスへの信仰の故にご自分の子供にして下さった私たちに、本当に働いて下さるのです。

 ですから、苦しいことではありますが、私たちが自分の内にある汚れと弱さ、また抗し切れず、しばしば負けてしまう罪の性質を思って絶望し、神に呻くことしか出来なくても、実は呻けることは神の素晴らしい恵みなのです。この点を決して忘れないでいたいと思います。ローマ8:26、27は言います。「御霊も、弱い私たちを助けて下さいます。何をどう祈ったら良いか分らないのですが、御霊ご自身が、言葉にならない呻きをもって、執り成して下さるのです。人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。何故なら、御霊は神の御心に従って、聖徒たちのために執り成して下さるからです。」

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