2025年05月01日「主の祈りの学び26 第五祈願 3」
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主の祈りの学び26 第五祈願 3
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 6章9節~15節
聖書の言葉
6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
6:14 もし人の過ちを赦すなら、あなた方の天のちちもあなた方を赦して下さいます。
6:15 しかし、人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の過ちをお赦しになりません。マタイによる福音書 6章9節~15節
メッセージ
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今日も続けて主の祈りをご一緒に学びたいと思います。今日で、通算26回目、第五祈願では3回目の学びとなります。
第五祈願をもう一度読みます。マタイ6:12「私たちの負い目をお赦し下さい。私たちも、私たちに負い目のある人を赦します。」
祈りの大切な模範、モデルとして主イエスがお教え下さったこの主の祈りから、これまで、第一に、この世で生きる限り、私たちは自分自身の罪の赦しを繰り返し神に真剣に祈り求める必要のあること、第二に、私たちに対して犯された人の罪を私たちが赦すことの大切さを改めて教えられました。この二番目の点については、イエスが14節、15節でもう一度取り上げられ、「もし人の過ちを赦すなら、あなた方の天の父もあなたを赦して下さいます。しかし、人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の過ちをお赦しになりません」と念押ししておられることからも、その重要性がよく分ると思います。
さて、今日は第三点に進みます。何でしょうか。それは他の人の罪の赦しのために祈ることの大切さ、尊さです。主の祈りの中にある他の祈願でも同じですが、第五祈願でも、「私たち」の罪をお赦し下さい、と一人称複数で祈ることを主イエスはお教えになります。
主の祈りは、教会という信仰共同体の中で、互いを意識し、覚え合いつつ祈ることを主イエスは想定しておられたと思いますが、とにかく主は私たちに、主語を「私たち」という一人称複数にすることをお教えになります。従って、教会の兄弟姉妹たちのことがまずあります。しかし更に言いますと、もっと広く他者を覚えて祈ることも含まれていると思われます。
とにかく、今、私たちが学んでいます第五祈願において、主イエスは、私たちと同じように色々な罪を犯す他の人の罪の赦しのためにも祈ることをお教えになります。これも何と大切なことでしょうか。
私たちは生れ持った罪の性質のために自己中心的な者になっています。自分や自分の家族、あるいは特別に親しい人たちの健康や日常生活のためには祈っても、それ以外の方々のことまでは、なかなか思い至らない者だと思います。ましてや、色々な方々の罪や不信仰の赦しのために神に祈ることなど、余程の場合以外、そもそも思い付きもしないのではないでしょうか。しかし、この世に罪を犯さない人など、一人もいません。
自分や自分の家族や親しい人のことだけで祈りが終始する時、残念なことに私たちは信仰者としてあまり成長しません。まして、人の罪や不信仰に気付いても、彼らの赦しのために祈るどころか、ただ彼らに苛々し、彼らを裁くだけではどうでしょうか。
一方、人の罪の赦しのために祈る時には、どうでしょうか。感謝なことに私たち自身も変えられ、人として高められ、豊かにされ、清くされていきます。何故でしょうか。それは、人への愛を最も問われ、人への愛を最も必要とすることだからです。
人の罪の赦しのために祈る!このことで、聖書はヨブの様子を伝えます。ヨブ1:5は、もう大人になっていた自分の子供たちのたちに、彼が絶えず神に執り成しの礼拝を献げた理由をこう伝えます。「『もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない』と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。」ヨブはそこまで本当の意味で子供たちを愛していました。ですから、彼は子供たちのために真剣に執り成したのでした。
私たちはどうでしょう。自分の配偶者については勿論、子供や孫、自分を育ててくれた両親、一緒に育った者たちの罪と不信仰の赦しのために、また教会の兄弟姉妹を覚え、必ず罪や不信仰な所のある一人一人の赦しのために、どれだけ祈っているでしょうか。
復活された私たちの主イエス・キリストは、今も天で、私たちの罪の赦しのために、眠ることもまどろむこともなく、父なる神に、日夜、執り成し続けて下さっています。私たちを真に愛しておられるからです。ですから、私たちもまた自分の家族や親しい人や教会の兄弟姉妹の罪や弱さを覚えて是非お祈りしたいと思います。
信仰によって大祭司イエス・キリストに繋がり、主の大切な役割に与り、それと、ある意味、祭司のようなことをしたヨブの例からも分りますように、クリスチャンは、本当は皆、神に直接仕える祭司であり、また他の人のために愛をもって絶えず執り成す祭司とされているのです。イザヤ60:6は言います。「あなた方は主の祭司と呼ばれ、我々の神に仕える者と言われる。」黙示録1:6はこう祈ります。「ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司として下さった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。」
私たちと同じように、罪と弱さのある多くの方々のことを改めて深く覚え、心をグイと広げて「我らの罪を赦し給え」と、是非、愛をもって祈り続ける私たちでありたいと思います。