2020年09月03日「ぶどうの木と枝 1 イエスに留まる」

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ぶどうの木と枝 1 イエスに留まる

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 15章5節

聖句のアイコン聖書の言葉

5節  私はぶどうの木、あなた方は枝です。人が私に留まり、私もその人に留まっているなら、その人は多くの実を結びます。私を離れては、あなた方は何もすることが出来ないのです。ヨハネによる福音書 15章5節

原稿のアイコンメッセージ

 今日は、葡萄の木と枝の関係から、イエス・キリストと私たちとの大切な関係を改めて教えられたいと思います。

 聖書の舞台・パレスチナでは、大昔から人々は葡萄の収穫を喜び、絞ってそのまま飲むこともあれば、保存のために発酵させ、薄めて飲むとか、そのまま飲んだりしてきました。とにかく葡萄は、天地の造り主なる真(まこと)の神を信じるユダヤ人には、大変親しい植物でした。かつて詩篇80:9、10は、イスラエルを葡萄の木に喩え、神にこう歌いました。「あなたは、エジプトから葡萄の木を引き抜き、異邦の民を追い出して、それを植えられました。その木のために、あなたが地を整えられたので、それは深く根を張り、地の全面に広がりました。」

 こういう背景の下、主イエスは弟子たちに「あなた方は新しい神の民イスラエルである」と言われるのです。

 葡萄がたわわに実っている様子は、想像するだけでも嬉しくなり、心が弾んできますね。逆に、実っていない状態程、淋しく悲しいものはありません。イエスはそういう葡萄の様子を思い起させつつ、ご自分と弟子たちとの大切な関係を語られます。5節「私は(ギリシア語原文では「この私は」というニュアンス)は葡萄の木、あなた方は枝です。人が私に(ギリシア語原文では「この私の内に」というニュアンス)留まり、私もその人に留まっているなら、その人は多くの実を結びます。私を離れては、あなた方は何もすることが出来ないのです。」

 葡萄の枝は、自分だけでは実を結べません。しかし、木に繋がっているなら、実を結ぶことが出来ますし、それも豊かに結べます。

 同様に、私たちも救い主イエス・キリストに留まっているなら、神に喜ばれ、自分でも「感謝だ」と思える清い実を必ず結ぶことが出来る、と主はお約束下さるのです。

 では、どんな実でしょうか。色々あります。ガラテヤ5:22、23は「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」と言い、「御霊の実」として九つの実を上げています。これらは、イエスが信仰者の内面に結ばせて下さる大切な清い性質と同じものです。

 これらも次回以降に取り上げてお話する積りですが、今日はこれらとは別に、大切な点を一つだけ、確認したいと思います。それは、何度も言いますが、私たちが愛と慈しみに満ちた救い主であられる神の御子イエス・キリストに、信仰によってとにかく留まっていることの大切さです。

 肉体や精神を極限まで痛めつけるような難行苦行に耐えるとか、自分のあらゆる欲を厳しく抑える生活をすれば、自分の何かが変り、強くなるのではないかと考え、一生懸命そういうことをする人たちは結構います。しかし、果たしてそれが何だというのでしょうか。

 確かに、普通の人には耐えられないようなことまで自分は耐え抜き、或いは、自分の内なる欲望と戦って打ち勝ったということで、ある種の達成感や満足感、自負心は持てるでしょうね。自分を誉めてやりたいかも知れません。

 けれども、果たしてそれにどれ程の意味があるでしょうか。それにより、例えば、ローマ12:15で「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい」と言われていますが、人間としてもっと尊く、他者の痛みや悲しみ、苦しみ、涙が分り、喜びや感謝に共感出来る真実な愛や思いやりを持った者に変えられ、自分も絶えず物事の真実を追求し、神と人に仕えることをこそ尊び、喜べるような謙(へりくだ)りと積極性を持った者になれるでしょうか。

 人間としての厚み、深み、高さ、豊かさ、清さ、真実といった人格的事柄は、実は人格的な世界においてしか、すなわち、他のより優れた人格と、豊かに真実に交流し、接触し、身につける以外ありません。ここが大切です。愛や清さ、真実に満ちておられる神の御子イエスに、私たちが常に魂の深みにおいて繋がり、留まり続ける。すなわちヨハネの福音書8:31にありますように、イエスの言葉に留まること、つまり、御言葉を常に瞑想し、それに生きることです。イエスの側(そば)から離れず、イエスと交わり、イエスに祈り、イエスに呼び掛け、或いは沈黙してイエスの御声に耳を傾け、喜んで従うのです。

 思いがけず巧く出来た時や順調な時は、決して高ぶらず、心から主に感謝し、失敗し、間違った時には謙(へりくだ)って心から悔い改め、主に赦しを頂き、またその理由や原因を心を低くして考える。このようにして私たちがイエス・キリストに留まっているなら、イエス御自身が必ず人格的な麗しい実を私たちの内に豊かに結んで下さるのです。

 大切なことは、主イエス・キリストに、私たちが信仰と生活において、より深く、真実に、喜んで繋がり、留まっていることです。主は言われます。5節「私は葡萄の木、あなた方は枝です。人が私に留まり、私もその人に留まっているなら、その人は多くの実を結びます。」

 今日はこの大切な一点を学びました。夫々が改めて心に深く刻みたいと思います。

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