2020年08月20日「主の祈りの学び18 第四祈願 1」

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主の祈りの学び18 第四祈願 1

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
    (新改訳聖書 2017年度版)マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今日から、主イエス・キリストが祈りの手本としてお教え下さった主の祈りの第4祈願「私たちの日毎の糧を、今日もお与え下さい」(マタイ6:11)の学びに入ります。

 この第4祈願から、私たち自身の必要に関する祈りに入ります。前にも申しましたが、イエスは、私たちがすぐ自分の願いから始めるべきでないことをお教えになります。第一に「御名が聖なるものとされますように」、第二に「御国が来ますように」、第三に「御心が天で行われるように、地でも行われますように」と、この世界と人間を造られた真(まこと)の神のことから祈るように教えられます。

 これは、何でも自分のことから始める傾向の強い私たちには、じれったいかも知れません。しかし、非常に大切なことです。こうでもして教えられなければ、私たちは、神が人間に与えられた魂の最も真摯な行為である祈りにおいてですら、自分を優先し、自分のことのみに終始しやすいからです。

 では、今日の所を見ます。この祈りから私たちは自分自身のことで祈って良く、しかも感謝なことに私たちが食べて生きて行く上での具体的な必要まで神に祈って良いこと、それも大胆に願って良いことを教えられ励まされます。

 「キリスト教では何より魂が大事だ。衣食住など次元の低いことは、祈るべきでない」と妙に精神主義的に考える人たちも時々います。でも、それは間違いですね。神の御子イエス御自身が「私たちの日毎の糧を、今日もお与え下さい」と祈るようにお教え下さっていますのに、何故、衣食住を初めとして私たちが生きて行く上での具体的な必要のために祈ることが、次元の低い卑しいことでしょうか。

 むしろ私たちは、食べ物、飲み物、着物、住い、体と心の健康、仕事や収入のことなど、私たちがこの世で生きて行く上で必要な様々なことのために、具体的に、また大胆に祈って良く、むしろ祈るべきことを、御子によって励まされているのです。

 繰り返します。私たちの体も心も魂も何もかもご存じの主が、「私たちの日毎の糧を、今日もお与え下さい」と天の父なる神に祈るようにお教えになります。ですから、私たちは遠慮せず、無論、神への真実な思いと従順さ、つまり、神を真に畏れる信仰によって、体、健康、生活、命や生存に必要なことのために率直に神に祈り求めたいと思います。

 もう少し学びます。第一に、聖書全体から言えることですが、こういう祈りを私たちは自分の必要や欲望の満たしだけを目的として祈ってはなりません。

 私たちクリスチャンの生きる目的として、Ⅰコリント10:31は「あなた方は、食べるにも飲むにも、何をするにも、全て神の栄光を現すためにしなさい」と言います。生活上の満たしや楽しみ自体が目的ではなく、天と地と私たちを造られた真の神に私たちが少しでも喜ばれる者となり、隣人に、またキリストの体なる教会に良く仕えることが出来、神の栄光が表されるために、食べもし飲みもするということです。こういう目的意識の下に、生活上の様々なことのために神に祈ることを忘れないでいたいと思います。

 第二に、もう一点確認して終ります。それは、必要な分だけ願うべきだということです。

 11節で「日毎の」と訳されているギリシア語には、「今日の」とか「必要な」という意味もあります。新共同訳聖書は「必要な」と訳し、一昨年に出た共同訳は「日毎の」と訳しています。とにかく、主は「あり余るほど沢山の糧」ではなく、「必要な」或いは「日毎の」糧を、「今日与えて下さい」と祈るようにお教えになります。これからずっと先の分までではなく、その時々に必要な分をということです。

 ここに私たちは、贅沢や過剰な求め方を戒められ、慎ましさを教えられます。人間は安心を手に入れたいため、しばしば先々の分まで沢山欲しがり、却って失敗することがありますね。ルカ12:19で、愚かな金持は言いました。「わが魂よ、これから先何年分もいっぱい物が貯められた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」けれども、神は言われます。同12:20「愚か者、お前の魂は、今夜お前から取り去られる。お前が用意した物は、いったい誰の物になるのか。」

 箴言30:8の祈りを思います。「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養って下さい。」すると、神は喜んで私たちを養って下さいます。また御子イエスは言われました。マタイ6:33「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは全て、それに加えて与えられます。」

 神への信仰から出る率直な、でも心配し過ぎず、欲に振り回されるのでもなく、慎ましい願い!これをイエスは第四祈願においてお教えになります。感謝ですね。改めて自分を見つめ、私たちの生存の一切が神の御手の内にあるとの確信と信頼に立ち、「日毎に」歩みたいと思います。

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