2020年08月02日「塩気を効かせ、光を輝かせよ」

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塩気を効かせ、光を輝かせよ

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 5章13節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

5:13 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れることができません。
5:15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
   (新改訳聖書 2017年度版から)マタイによる福音書 5章13節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちは、マタイ5:13~16の箇所から、地の塩、世の光としてのクリスチャンの使命を学んで来ました。今日でここの学びを終ります。

 今朝注目したいのは、13節「あなたは地の塩です」の後と、14節「あなた方は世の光です」の後から16節までの所です。イエスはクリスチャンの使命について、13節「あなた方は地の塩です」と語った後、「もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです」と、結構厳しく弟子たちに語られました。何故でしょうか。

 何度も言いますが、当時のユダヤ人の多くはローマ帝国からの独立や自分たちの救いには熱心で、自分たちは神の民だとの誇りがありました。けれども、神から与えられている使命、すなわち、神の愛と清い御心を世に表すという自覚は希薄でした。そこで、そういう中で育った弟子たちにもイエスは神の民としての使命を再教育されたわけです。

 さて、当時、塩は地中海や死海から取られ、岩塩も多く使われました。特に岩塩の場合、天然の石膏が混じると塩気がなくなって使い物にならず、外に捨てられることがよくあったそうです。

 いずれにせよ、今日の私たちクリスチャンも問われています。地の塩としての私たちの自覚、すなわち、真(まこと)の神をまだ知らず、そのために、自分の生きる意味や目的も分らずに生きている人も多い中で、クリスチャンはこの世の腐敗や堕落への傾向を少しでも防ぎ、生きる喜びや感謝などの味付けをする塩として置かれているという自覚は、どうでしょうか。私たちもまた自分のことだけを考え、神が愛しておられるこの世への使命や自分の救われた目的を忘れ、自分を喜ばせることや自分にとって益ありと思えることには熱心でも、他人のことには関心がなく、自己中心になって、塩気を失っていることはないでしょうか。

 塩の役割と価値は、他のものでは決して代用出来ない塩気にあります。それだけに、塩気が失われるなら、存在価値がなくなります。そこでイエスは、クリスチャンにしか出来ないこの大切な塩気を私たちに期待され、光栄ある働きをさせたくて、こう言われるわけです。

 クリスチャンが塩気を失うのはどんな時でしょうか。この世的考えやあり方に妥協し、あるいは倣い、無自覚に取り入れる時です。しかし、それは地の塩であるクリスチャンの自殺行為であり、神の役にも人の役にも立たない者になってしまうことです。むしろ、世がどう変っても、皆と違う価値観を持ち、意味ある言葉を語り、異なる生き方をし、人に疑問を投げかける存在であるからこそ、真に人に貢献出来るのです。それでこそ、人に、生きること・死ぬことの意味、死後の世界、永遠の命など、最も大切なことを考えさせ、創り主なる神に立ち返ってもらえるのです。どんなに涙の多い生涯であっても、最後には神と周りの人に「本当に感謝です」と微笑み、天の国に入って頂ける人生を多くの方に送って頂く!これこそ、塩味を生かしてクリスチャンが出来る最も素晴らしい奉仕であり貢献です。

 ですから、ローマ12:2は言います。「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えて頂きなさい。そうすれば、神の御心は何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるかを見分けるようになります。」

 次に14節以降を見ます。「あなた方は世の光です。山の上にある町は、隠れることができません。また、明かりを灯して升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる全ての人を照らします。このように、あなた方の光を人々の前で輝かせなさい。人々があなた方の良い行いを見て、天におられるあなた方の父を崇めるようになるためです。」

 山の上にあって隠れられる町などありません。また明かりは周囲を照らすためにあり、燭台の上に置かれます。要するに、イエスによれば、クリスチャンは人に見られるために存在しています。この点を、主は16節「あなた方の光を人々の前で輝かせなさい」と強調されます。 

 光とは良い行いを指します。そしてそれを人に見られる目的は、16節「人々があなた方の良い行いを見て、天におられるあなた方の父を崇めるようになるため」です。

 少し整理します。まず聖書の言う良い行いとは、十戒に代表される神の清い律法に心を込めて生きることであり、紀元1世紀のユダヤ教パリサイ派の人にしばしば見られた外面的な善行ではありません。真に神を畏れ、心から愛をもって人に仕えようとする思いから来る行いです。あるいは、イエス・キリストに倣おうとする愛と熱心から出る行いと言っても良いでしょう。

 では、その目的は何でしょうか。今、パリサイ派の人たちのことに少し触れました。マタイ6:1~4でも言われていますが、彼らは人前で良い行いをしましたが、しばしばそれは偽善的でした。見せかけの善行と、イエスの言われる良い行いとの違いは何でしょうか。彼らのそれは自分が人から称賛されることが目的ですが、イエスの言われるのは、神が崇められることが目的です。クリスチャンの良い行いの目的は、あくまでも人がそれを見て、真の神への思いを起され、神を崇めるようになることです。

 このことは、イエスの弟子、ペテロの心に余程深く刻まれたようです。迫害や中傷など辛いことも多かった紀元1世紀後半のクリスチャンたちに彼はこう教え、励ましました。Ⅰペテロ 2:12「異邦人の中にあって立派に振る舞いなさい。そうすれば、彼らがあなた方を悪人呼ばわりしていても、あなた方の立派な行いを目にして、神の訪れの日に神を崇めるようになります。」

 人は、クリスチャンの言葉は信用しないかも知れません。しかし、行いは見ています。これは真の神を知ってもらう上で、とても大切な点です。

 数年前、あるクリスチャンの家に伺った時、興味深い話を聞きました。彼女の父親は、かつて彼女がどんなに教会へ誘っても、キリスト教を拒み続けたそうです。言葉だけで信用できない、というのが理由でした。ところがある時、淵田美津雄さんの本を読み、クリスチャンになられたというのです。そこで、淵田さんのことを少し紹介します。

 真珠湾攻撃の総隊長だった淵田美津雄さんは、敗戦後も米国への反感と憎悪を募らせていました。ある時、日本軍捕虜が送還され、彼は米軍による捕虜虐待を知りたくて、話を聞いて回りました。ところが意外な話を聞きます。

 ある米軍キャンプにいつ頃からか、20歳位の米国人の娘が現れ、日本軍捕虜に色々親切にしました。肉親も及ばない親切に皆心を打たれ、やがて、どうしてそんなに親切にしてくれるのかと尋ねました。彼女は返事を渋っていました。しかし、とうとう話し始めました。「私の両親が日本軍に殺されたからです。」

 フィリピンで宣教師をしていた彼女の両親は、日本軍が来たので山の中に隠れました。ところが、米軍に追われて山へ逃げてきた日本軍に見つかり、スパイ容疑で殺されることになりました。しかしその前に、「私たちはスパイではない。だが、どうしても斬るなら仕方がない。死ぬ支度をするから、30分の猶予をほしい」と頼み、聖書を読み、神に祈ってから殺されました。これを知らされた彼女は、日本軍を激しく憎みました。

 しかしある時、殺される前の両親の祈りをふと思いました。「神様、今日本軍が私たちの首を切ろうとしています。どうか彼らを赦して下さい。彼らが悪いのではなく、地上に憎しみや争いが絶えないで戦争が起るから、こんなこともついてくるのです。」両親のこういう祈りが彼女には分り、彼女は変りました。それで一所懸命日本軍捕虜に愛をもって親切にしたのでした。

 それを知って淵田さんは深い感銘を受けました。また中国で日本軍の捕虜となり、虐待されて日本人を憎み、しかし、聖書を読んでクリスチャンとなり、後に宣教師として来日したジェイコブ・デシェーザーさんの話も聞き、淵田さんは聖書を読み始めました。ついにルカ23:34の十字架上のイエスの執り成しの祈り、「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは、自分が何をしているのかが分っていないのです」を知り、全てが分りました。1951年、淵田さんは洗礼を受け、伝道者として日本や米国各地で証しをし、1976年、天に召されました。

 このことが、先程の女性の父親を変え、ついに天の父を崇めるようになったのでした。

 ローマ帝国時代、クリスチャンは迫害されました。しかし迫害下でも、彼らは社会の底辺層の人たちを熱心に助けました。313年、キリスト教は公認されましたが、約50年後、キリスト教を捨てて背教者と呼ばれた皇帝ユリアヌスの一時期、再び迫害されます。けれども、クリスチャンの愛の実践には感銘を受けていた彼は、声明書の中で、「クリスチャンが我々の神の強力な敵になった理由は、病人や貧困者に対する彼らの兄弟愛のためである」と述べ、全てのローマ市民はこの精神を学ぶようにと命じました。何と興味深い事実でしょうか。

 主イエスは言われます。16節「このように、あなた方の光を人々の前で輝かせなさい。人々があなた方の良い行いを見て、天におられるあなた方の父を崇めるようになるためです。」

 イエス・キリストに自分を明け渡し、そうして天に召される時まで塩味を発揮し、不十分な私たちですが、素晴らしいキリストの光を少しでも反射して周りに輝かせ、愛と真実をもって丁寧に人に仕える者でありたいと思います。

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