2024年02月22日「賜物を生かして互いに仕える」

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賜物を生かして互いに仕える

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ペトロの手紙一 4章10節

聖句のアイコン聖書の言葉

4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。ペトロの手紙一 4章10節

原稿のアイコンメッセージ

 今お読みした中で、ペテロは7節「万物の終りが近づきました」と述べ、世界の終末が近いという意識の下で、神の民が如何に生きるべきかを語っています。

 世の終りに、私たちは皆神の前に立ち、隠れた行いも言葉も心の中の密かな思いも全てご存じの神から、自分の全生涯について裁きを受けるという終末意識は、私たちが真実に生きる上でとても大切です。今日は、そういう終末意識の下に、特に私たちの持っているものに対する正しい姿勢を教えられたいと思う。

 ペテロは言います。10節「夫々が賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」

 第一に覚えたいことは、健康や知識、能力、お金、その他何であれ、私たちの持っているものは皆、この世で神から暫く「受けている」預り物、賜物であり、私たちはその管理者だということです。

 私たちは、何か良いものや優れたものが自分にありますと、それらを、つい自分のものと考え、愚かにも自慢するとか、誇りやすい傾向があります。しかし、本当は全て神から受けたものに他ならず、私たちはこの世にいる間、その管理を神から任されているのであり、その意味では責任ある者なのです。この根本的なことをまずしっかり認識したいと思います

 第二にもう一つ覚えたいことは、私たちが神から受けた良いもの、賜物の用い方についてです。ペテロは10節で「その賜物を用いて互いに仕え合いなさい」と言います。

 無論、私たちはそれらを自分のために使ってかまいません。しかし、神は特に私たちがそれらの賜物を生かして「互いに仕え合う」ことを願っておられるのです。

 ですから、例えば、頭の良い人は、それを自慢したり、自分だけが幸せになるために使うのではなく、まして、自分より知的な点で劣る人を馬鹿にしたり蔑むのではなく、人に仕え、人の益となることのためにそれをよく用いるのです。そのためにこそ、頭の良さが神から預けられているのであり、これが神の御心なのです。結局、どう良いことに用いるかという責任も伴っているのです。

 手も足も心臓も丈夫で健康な人は、重い病気や障害のために働きたくても働けない方々のためにも働かせて頂くのです。

 金銭的に多少とも余裕のある人は、自分の楽しみのためだけに使うのでなく、私たちが注意さえすれば気付くのですが、多くの貧しい人、今困っている人のために用い、彼らが最低限、人間としての尊厳性をもって生きられるように、彼らに仕えるためにも預かっています。これが神の御心なのです。

 世界の人口は、2022年11月15日に80億人に達したと言われています。今から申し上げるのは、10数年以上前の数字ですが、ある資料によりますと、当時、1日1ドル以下で生活している人は5人に1人で、飢えている人は7人に1人でした。慢性的栄養失調の人も多く、飢えのための病気による死者は毎年1800万人でした。ビタミンやミネラルなど、微量栄養素の不足している人が20億人。毎年1000万人いる5歳未満の子供の死の半分は、栄養失調に関連していました。

 私は以前、淀川キリスト教病院に勤務していた時、『性虐待と貧しさに苦しむアジアの子供を救う会』に入って献金し、今は、子供が売られることがないようにとの目的のNPO法人のあるプロジェクトに協力していますが、今もアジアの色々な所でどんなに悲しい酷い現実があることでしょうか。

 かつて、マザー・テレサはこう述べました。「富やお金は私たちを豊かにはしません。私たちを豊かにするのは、私たちのそれに対する態度なのです。神は私たちに、分かち合うために物を与えて下さいます。取っておくために与えて下さるのではありません。私たちが分ち合うことを身につければつける程、私たちは互いにもっと分り合うようになり、愛し合うようになります。そして、もし私たちが互いに愛し合うようになれば、私たちが持っている喜びをこそ、分ち合うことが出来るようになるでしょう。」

 教会内のことに戻ります。聖書知識も教理知識も豊富で、信仰的感性の豊かな人もいます。学歴や社会的地位もあり、貧しくなく、一般教養や社会経験で恵まれている人もいます。総じて人から高く認められ、色々なことが出来る人もいます。

 しかし、それらは皆、神の下さったものであり、決して己を誇るために頂いたのではありません。ただ神の栄光が現され、また皆が主の前に高められ、ますます主に感謝して生きる者になれるようにと、捧げ用いるためにあります。改めて自分を見つめ、神と人のために自分の賜物を喜んで用い生かし合う、そういう岡山西教会でありたいと思います。

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