2024年01月18日「十戒の学び54 第九戒5」

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十戒の学び54 第九戒5

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章16節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:16 あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。出エジプト記 20章16節

原稿のアイコンメッセージ

 第九戒を今日も学びます。

 前回、私は、ウェストミンスター神学者会議で作られた大教理問答の十戒の一つ一つの解説の中で、第九戒が禁じていることについての問145の答が、一番長いものになっていると言いました。例えば、第六戒「殺してならない」が禁じていることについての記述の約4倍です。第九戒の解説は、内容が実に多岐にわたり、分量がとても多いのです。

 何故そうなのでしょうか。前回申しましたように、これはウェストミンスター神学者会議に参加した人たちの好み、嗜好によるのではありません。全ての記述に証拠聖句が付いていて、皆、聖書から来ています。

 では、何故、聖書には第九戒に関係する記述が多いのでしょうか。これは人間の現実を考えると、分ると思います。例えば、第六戒の「殺してはならない」には、「あんな人はいなくなればいい」などと相手の存在を否定する心の中の殺人も含まれますが、これを人はどの程度犯すでしょうか。第七戒「姦淫してはならない」には、昨今のセクハラ問題や思いと言葉と目による性的な罪も含まれますが、これもどの程度犯すでしょうか。そして第八戒は「盗んではならない」です。盗みも様々であり、案外多いかも知れません。

 とにかく、今、第六戒の殺人、第七戒の姦淫、第八戒の盗みを見てみました。では、これらと比べて、第九戒「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない」はどうでしょうか。いわゆる嘘、偽りの罪を、私たちは皆、どんなに多く、またどんなに色々な形と内容において犯していることでしょう。

 私がまだクリスチャンではなかった17、8歳の頃のことですが、知り合いの3歳前後の子供たちと遊んでいて気付き、驚いたのは、「小さな子供でも、嘘をつくことをちゃんと知っている」ということでした。私はキリスト教の言う原罪の概念をまだ知りませんでしたが、このことを興味深く思いました。それ以来、ずっと心に引っ掛かっていました。

 しかし、自分の幼い頃を振り返りますと、私も同じだったことを思い出します。4歳位の頃だったと思います。近所の男の子が黙って自分の家の物を持ち出し、私に貸してくれました。所が、それを私はなくし、その親から返すように言われ、とても困りました。そこで、私は「その子に帰した」と嘘を言い、責任をなすり付けたことがありました。

 また小学校4年生の時、あることで私は自分を守るために嘘をつき、私を可愛がって下さっていた優しい担任の先生から、悲しい顔でそれとはなしに諭され、自分をとても情けなく思いました。私は今でもこれらのことを思い出しますと、胸が痛みます。

 どうでしょうか。嘘、偽りについては、誰にも胸が痛み、恥ずかしく思う同じような体験や記憶が、結構多いのではないでしょうか。要するに、第九戒に違反する嘘、偽りの罪は、最も幼い日々から最も高齢に至るまでの、私たちの人生の殆どにおいて犯してしまう、言い訳できない罪なのだと思います。ウェストミンスター大教理問答の問144もそうですが、問145が多岐にわたり、罪に該当する内容を列挙するのも、当然と言えます。

 厄介なのは、第九戒を私たちが案外安易に犯してしてしまうことです。第六戒、第七戒、第八戒を破れば、クリスチャンであるなら良心がひどく痛み、苦しくてたまらないでしょう。ダビデの詩とされる詩篇32:3、4が神にこう告白する通りです。「私が黙っていた時、私の骨は疲れ切り、私は一日中呻きました。昼も夜も、御手が私の上に重くのしかかり、骨の髄さえ、夏のは黙し続けて、絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜も私の上に重く、私の力は、夏の日照りにあって衰え果てました。」

 所が、第九戒は少し違います。私たちの多くは、良心の咎めも余り強く覚えないまま、割合簡単に偽らないでしょうか。相手への説得力を増すためとか自分を守るためです。中には咎め立てする程ではないものもありますが、どこからが罪として神の咎められる嘘、偽りなのか、私たちは深く吟味することすら、忘れていることがあると思います。第六戒から第八戒に違反の場合と違い、嘘をつくことに慣れ、平気になり、習慣化し、常態化し、ごまかしや取り繕いや弁解の名人になっているのではないかと、第九戒を真剣に考える時、思わされます。そのことを思いますと、箴言30:7、8のあの真剣な祈りがよく分ると思います。「二つのことをあなたにお願いします。私が死なない内に、それをかなえて下さい。空しいことと偽りの言葉を、私から遠ざけて下さい。」

 愛する主イエス・キリストが、どうか私たちの頭の天辺から手足の先に至るまでの全身を、しかし特に唇を清め、偽りの霊を追い出し、ご自身の清い真実な御霊で満たし、歳を重ねる毎に、ますます私たちをただ神の栄光を現す真実な器として下さいますように!アーメン

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