2023年12月24日「クリスマスの意義」

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3:16 神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。ヨハネによる福音書 3章16節

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 辛いことや心痛むこともあった2023年ですが、こうして今、ご一緒にクリスマス礼拝を捧げられることに、心から感謝致します。今朝は、クリスマスの大切な意義を多少とも確認し、信仰を励まされたいと思います。

 では、どんな意義があるでしょうか。三つばかり見ます。

 第一は、万物を創られた生ける真(まこと)の神が確かにおられることが明らかにされたことです。

 神がおられないなら、神を信じて生きることは愚かです。しかし、神がおられるなら、神を拒んで生きること程、愚かで罪深く、残念なことはありません。が、実はこの点で、イエス・キリストの誕生は大きな鍵を握っています。旧約聖書には、救い主の誕生が預言されていましたが、それらが皆、イエスにおいて実現しているからです。

 例えば、救い主がダビデの子孫から出ることを、紀元前1000年頃、神は預言者ナタンによりダビデにこう告げられました。Ⅱサムエル記7:12、13「あなたの日数が満ち、あなたが先祖と共に眠りにつく時、私は、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起し、彼の王座を確立させる。彼は私の名のために一つの家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」そして事実、イエスはダビデの家系に誕生されました。

 救い主が処女から生れることも、紀元前8世紀の預言者イザヤにより、神はこう告げられました。イザヤ書7:14「主は自ら、あなた方に一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産」むと。実際、イエスは聖霊により身ごもった処女マリアから誕生されました。

 救い主が生れる場所も、神は紀元前700年頃の預言者ミカにより、こう語られました。ミカ書5:2「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、余りにも小さい。だが、あなたから私のためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」ご承知のように、イエスはベツレヘムで誕生されました。

 他にも神は、救い主が苦難を受け、殺されること(イザヤ書53章)、しかし三日目に復活されること(ホセア書6:2)も預言しておられましたが、どれも実現しました。これらは、イエス・キリストの背後に神がおられるのでなくて、何でしょうか。

 神のことで分らないことも、無論、沢山あります。神ご自身、イザヤ書55:9で「天が地よりも高いように、私の道は、あなた方の道より高く、私の思いは、あなた方の思いよりも高い」とおっしゃった通りです。有限は無限を把握できません。

 とはいえ、神が私たちに分るようにしておられる所は、私たちにも分ります。ですから、分らない所があるからと言って、全部を否定することは大変残念なことですし、愚かで非科学的ではないでしょうか。むしろ、分る所を大切にし、そこを手がかりにして、ますます神とその御心をよく知ることが大切ではないでしょうか。救い主の誕生に関する預言をことごとく成就されたイエスの背後に、真(まこと)の神がおられることを、改めてよく覚え、神をしっかり仰ぎたいと思います。

 第二点に進みます。第一点と大いに関りますが、それは神の真実を教えられることです。

 変な言い方ですが、全知全能の神が存在しても、いい加減な神で、よく嘘をつき、平気で約束を破る神ならどうでしょうか。そんな神を信じて、自分の全人生と永遠の行き先を任せるなら、私たちの人生は無茶苦茶になり、私たちの人格も破壊されてしまうでしょうね。

 しかし、御子イエスによりご自分を親しく現わされ、またイエスへの私たちの信仰を通して私たちの人生に喜んで介入され、関られ、私たちの永遠の行き先をもしっかり引き受けて下さる真の神は、偽ることの出来ないお方なのです。全能の神と言っても、真の神には出来ないこともおありです。驚かれたでしょうか。でも、その通りなのです。嘘をつくこと、ごまかすこと、約束を破ること……。神には、これらは絶対お出来になりません。そしてこのことを、神は誇りに思っておられます。

 旧約と新約の聖書全体が言うことの中で、世の終りのことなどについては、まだ実現していないことも多々あります。しかし、先程確認しましたように、最も大切な救い主についての預言は、ことごとく成就しています。

 これは小さなことではありません。神はクリスマスの出来事を通して、ご自分の「真実」をも力強く証ししておられるのです。従って、私たちは、分らない点は神に委ね、分っている点に堅く立ち、大切な人生をイエス・キリストに手を取られて導かれつつ、丁寧に、また真実に、是非生きて行きたいと思います。

 最後、三つ目の意義を見て終ります。一番大切な点です。何でしょうか。クリスマスの出来事に、私たち罪人への神の愛が最も鮮やかに現されていることです。

 ヨハネ福音書3:16をもう一度読みます。「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 クリスマスの最大の意義は、美しい清いイメージや温かくて楽しい雰囲気を味わうこと自体にあるのではありません。それらも無論、悪いことではありませんが、最大の意義ではありません。そうではなく、独り子(ひとりご)イエスをお与えになったほどに、「世を」、すなわち、私たちのような神の目から見れば誠に不信仰で自己中心的な罪人を愛し、憐れまれる神の愛を覚えることにこそあります。そして神の愛は何より、ヨハネ福音書3:16「御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つ」ことにあります。

 前にも一度お話したことがありますが、今日もお話させて頂きます。1981年の11、12月、私は数名の牧師と共にアメリカ・ジョージア州の州都、アトランタのコロンビア神学校で少し勉強し、その後、ニューヨークへ行きました。

 翌朝、ハーレム地域を見ることにしました。今は改善されていると思いますが、当時は荒れていました。日本人ガイドの方は「決して彼らにカメラを向けないこと、彼らと目を合わさないこと」と、私たちに強く注意を与えました。私たちは緊張しながらマイクロバスでゆっくりハーレムへ入って行きました。汚いビルが沢山並び、大きな絵や文字がビルの壁やシャッターにべっとりとペンキで書かれていました。朝なのに学校へ行かず、道路で遊ぶ子供たち。酒を飲み、空ろな目をして座り、こちらをジロッと見る大人の人たちなど、荒んだ(すさんだ)光景が見られました。

 しかし、私も牧師ですので、「この方たちに神の愛を伝えるには、どうすれば良いのか」とマイクロバスの中で真剣に考えました。そこで当時、5歳をかしらに3人の男の子のいた私は、こんなことを本当に考えました。「ここにいる私の子供を皆さんに渡すから、好きなようにしていい。だから、私が皆さんをどんなに真剣に思っているかを分ってほしい」とでも言えば、彼らは心を開くだろうか、と。

 無論、私には自分の子供を渡すことなど、絶対に出来ません。けれども、まさに神はそれを、ご自分に反逆する罪深い私たちのためにして下さったのです!ご自分の独り子が鞭打たれ、十字架に釘づけされ、殺されることが分りながらです。一切罪がなく、清く、天の父なる神が愛してやまない御子イエスの犠牲の死、どうしようもない私たち罪人のための身代りの死だけが、私たちを罪と永遠の滅びから救い、贖う(あがなう)ことが出来ますから、神はそうされたのです!何という神の愛でしょうか!これが天地万物を造られた生ける真の神の愛なのです。ヨハネ福音書3:16「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 御子イエスを、罪と不信仰の渦巻く世に、かつて送られた神!この神の計り知れない愛を覚え、神の招きに幼子のように素直に応じ、またこの神の愛の中で、私たちもより愛のある者へと、是非、皆で成長することを許されたいと思います。

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