2020年07月12日「あなた方は地の塩です」

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あなた方は地の塩です

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 5章13節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

5:13 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れることができません。
5:15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
   (新改訳聖書 2017年度版から)
マタイによる福音書 5章13節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝も、マタイ5:13~16のイエスの御声に耳を傾けたいと思います。イエスはかたわらの弟子たちや彼らを取り囲む大勢の群衆に言われました。13節「あなた方は地の塩です。」

 3~12節で、イエスは真(まこと)の神を信じる信仰者の人格的特徴を8つの面から描かれました。それに続いて、神が信仰者に与えておられる大切な使命について語られます。13、14節「あなた方は地の塩、…あなた方は世の光」だと。

 前にも申しましたが、当時のユダヤ人の多くは、自分たちが全世界の祝福となるために神に選ばれたという大切な使命を忘れ、異邦人を蔑み、自分たちの救いと政治的独立には熱心でした。こういう背景の中、主は信仰者の根本的使命を弟子たちに教育されます。これは今の私たちにも大変重要な点です。

 今朝は13節「あなた方は地の塩」という教えに注目します。使命などというと、何か難しいことと思われがちですが、イエスは「塩」とか「光」という身近で日常的な譬により、大切な真理をお教えになります。

 さて、塩の譬により、イエスはクリスチャンのどういう使命、働き、役割、存在意義を教えられるのでしょうか。一つは消極的な面です。すなわち、食べ物の腐敗を防ぐことです。実際、洋の東西を問わず、古代社会で塩は最高の防腐剤でした。

 旧約時代のイスラエルでは、塩は神に献げる大事な穀物の献げ物が腐敗し傷むことを防ぎ、清いまま神との契約関係が永続することを表すために使われました。レビ記2:13は言います。「穀物の献げ物は皆、塩で味をつけなさい。穀物の献げ物に、あなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのどの献げ物も、塩をかけて献げなければならない。」のちには、雄牛や雄羊などの動物犠牲を献げる時にも塩が使われました。エゼキエル書43:23、24は言います。「罪を除き終えたら、傷のない若い雄牛、群れの内の傷のない御羊を献げる。それらを主の前に献げ、祭司達がそれらの上に塩をまき、全焼の献げ物として主に献げる。」

 これらのことを、イエス時代のユダヤ人は記憶していましたから、弟子たちもイエスの言われる意味はすぐ分ったでしょう。

 ところで、イエスは、あなた方は「地」の塩だと言われます。「地」とはこの世のことです。ということは、イエスによれば、この世は必ず腐敗する傾向にある、ということです。このことは、聖書と歴史を振り返れば、一目瞭然です。

 旧約聖書の士師記は、ある時は色々な問題を裁く優れた宗教的指導者として、また別の時にはイスラエルを苦しめる敵に対し勇敢に戦う指揮官として働く士師たちが活躍した時、イスラエルは宗教的にも倫理的にも良かったことを伝えています。しかし、彼らが死ぬと、イスラエルはたちまち堕落しました。何度それを繰り返したでしょう。

 その後の時代も同じです。神を畏れる敬虔な王が出ると、国全体も良くなりました。ところが、その王が死ぬと、人々はすぐ堕落しました。読んでいてイヤになる程、それが繰り返されました。

 これは人間社会を映し出している鏡に他なりません。歴史を振り返りますと、この世が如何に腐敗しやすいかは、火を見るより明らかです。

 しかし、ここでイエスは私たちクリスチャンに言われます。「あなた方は地の塩です。」ギリシア語原文では、「あなた方」は強い代名詞になっていて、「他ならぬあなた方は」とイエスは強調しておられます。

 世の中には、その人がいると、何故か全体の雰囲気が落ち、皆も下世話な話がわりあい平気に出来るようになる、という人がいます。

 一方、その人がいると、何故か皆が生きる意味や死について、また社会の不条理や矛盾、病や障害や自然災害で苦しんでいる方々にどうして上げられるかといった真面目で深い話が自然と出来るようになる人がいます。十字架で命まで献げ、復活され、永遠に私達を愛し続けて下さる神の御子イエスは、私たちの誰もが、この後(あと)の人のような存在になることに熱い期待を寄せ、こう言われます。「あなた方は地の塩です。」

 ヨハネ3:16は言います。「神は、実に、その独り子をお与えになった程に世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 この世は、創り主なる神に背を向ける罪の世であり、そのために、多くの悲惨に満ちた世です。けれども、神はなお世を愛しておられます!決して私たち皆が滅びることを望んではおられません。ですから、ご自分の御子を2千年前世に遣わされ、そのイエスもご自分の命をもって贖い取られた私たちクリスチャンをお用いになり、この世の腐敗を食い止めたいと願っておられるのです。「あなた方は地の塩です。」

 私たちに大きなことは、無論、出来ません。しかし、夫々神から遣わされた家庭、職場、学校、隣近所、友人関係などで、地の塩として何らかの奉仕が出来るなら、何と幸いでしょうか。御霊の助けと励ましを、熱心に祈り求めたいと思います。

 さて、塩には積極的な働き、役目、使命もあります。食べ物に味を付けるという調味料の役目です。これも何と大事な働きでしょうか。

 人類は色々な調味料を見つけ、調合し、料理に使ってきました。一体、何万種類の調味料が世界にはあるでしょうか。夫々大切な役目を果たしています。

 とはいえ、如何に世界の食文化が変化し、皆の味覚が変っても、決して変らず、欠かすことの出来ない調味料があります。それが塩です。

 食卓に上る料理の全てに塩を使わなければならないのではありません。食材の持ち味を生かして楽しむ料理もあります。とはいえ、食卓全体としては、塩を欠かすことは出来ません。塩は味を引き締め、味を支えます。夫々の食材の持ち味を引き立たせ、美味しくし、楽しくし、魅力的にします。食べ物に塩は欠かせません。

 イエスはクリスチャン一人一人に言われます。「あなた方は地の塩です!」先程も確認しましたが、主は「地」の塩と言われます。つまり、あなた方は、この世、この社会で、なくてはならない塩のような非常に尊い使命、役割、存在意義があると言われるのです。言い換えると、この世は、本当はそれ自体では味気なく、無味乾燥で詰らない状態にあるということです。

 しばしば世間では、クリスチャンは真面目かも知れないが、詰らない退屈な人間だと思われています。確かにそういうクリスチャンもいますし、私たちもそう言われて仕方がないような状態の時もあると思います。

 では、クリスチャン以外の人には、退屈などなく、皆生き生きと輝いて生きているのでしょうか。確かに多くの娯楽や趣味に時間を割き、美味しいものを食べ歩き、色々な所に旅行し、満たされているように見える人がいます。色々な銘柄のお酒を集めては、家に飾り、楽しんでいる人もいます。

 しかし、それが何だというのでしょうか。どれ位、意味があるのでしょう。むしろ、自分の生きる、いいえ、生かされている本当の意味も目的も分らないから、色々な娯楽や趣味に時間やお金をいっぱいつぎ込み、一生懸命味付けし、自分をごまかしているのではないでしょうか。

 その最後はどうなるのでしょうか。

 創り主にして、罪と滅びからの永遠の救い主、命の賦与者、その存在、知恵、力、聖さ、真実、美しさにおいて、無限、永遠、不変の真の神、御子を賜った程に私たちを極みまで愛して下さっている真の神を知らないでいて、どこに私たちを真に満たすものがあるでしょうか。ですから、旧約聖書の伝道者の書1:2~4は言います。「空の空。伝道者は言う。空の空。全ては空。日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。一つの世代が去り、次の世代が来る。しかし、地はいつまでも変らない。」

 表面的なはしゃぎ、楽しさ、はなやかさの背後に潜む空しさに、私たちは気付かないといけません。パスカルは言いました。「人の心の中には神の形をした空洞がある。それは創造主なる神によってしか埋めることができない。」

 そしてここに、私たちクリスチャンが、まだ真の神を知らない人に対して出来る最も大切な奉仕の一つがあります。色々刺激的なスパイスを使って人生の空しさをごまかし、紛らわすのではなく、人生そのものを味わい深くし、人間の究極の目的を教えるイエス・キリストの福音を伝え、生活を通して証しするという奉仕です。

 厳しい宗教改革のさ中、1542年に作られたジュネーブ教会信仰問答の問1は「人生の目的は、神を知る」ことだと言います。「知る」とは、単に知的に知ることではありません。御子イエスを通して、創り主なる真の神と親しく交わり、体と魂の全てをもって神の素晴らしさを体験することです。その素晴らしさは、地上の命を超えて永遠に続きます。神は余りに素晴らしい方ですから、神の素晴らしさを味わい尽くすのに永遠を要するのです。

 日々、イエスの福音を喜び、信仰と希望と愛に生きることで、私たちは隣人に地の塩という素晴らしい奉仕をさせて頂けます。

 クリスチャンとはいえ、しばしば私たちは自分の問題も十分に解決出来ない弱い者です。だからといって、私たちに地の塩としての使命がないわけでも、その働きが全く出来ないのでもありません。ほんの僅かな塩でも防腐剤の働きをしますし、食べ物に見事に深い、また楽しい味付けが出来ます。

 教会生活を中心とし、御言葉を味わい、祈りを重ね続ける時、イエス・キリストご自身が恵みをもって私たちに働かれ、私たちをお用い下さいます。ここに私たちの希望、喜び、光栄があります。「あなた方は地の塩です!」

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