2020年07月09日「主の祈りの学び14 第三祈願 2」

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主の祈りの学び14 第三祈願 2

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
    (新改訳聖書 2017年度版)マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今日も、主イエスが祈りの模範としてお教え下さった主の祈りの第三祈願を学びます。

 前回は、神の前に私たちが決して自分を過信せず、自分を後ろに引く大切さを学びました。今日は、もう一つ大切な点を学びます。

 人生で私たちは必ず色々な問題に遭遇します。しかし、それが困難であればある程、意識的に天の父なる神を仰ぎ、御子を私たち罪人の救いのために世に送り、十字架につけられた程に私たちを愛しておられる父なる神を信頼し、一切を委ね、明け渡すという点です。

 前回も申しましたが、私たちは自分の知識や情報、体験を活かし、刻々と変る状況の中で先のことをより早く正確に知り、正しく選択し、決断しなくてはなりません。

 ですが、いくら頑張っても、私たちには限界があります。全てに対処することは元より無理です。そういう時、私たちはどうあるべきなのでしょうか。

 御子イエスのお教え下さった主の祈りの第三祈願「御心が…行われますように」から教えられることの一つは、繰り返しますが、自分を過信せず、まず神の前に平伏し、神に尋ねる、つまり、一旦停止をし、自分を後ろに引くことです。

 しかし、もう一つ大切なことがあります。心配で分らない先々のことは天の父に任せ、自分を神に明け渡し、お委ねすることです。もし全てを自分が分っていて、何もかも自分がしなければ、心配で不安で、いても立ってもおられないというなら、私たちは確実に神経症に陥ってしまうでしょう。

 所詮、私たちに分ることも出来ることも限られています。そもそも私たちは自分の力だけで生きてはいけませんし、今までも生きて来たのではありません。私たちは、ただ神の意思によって生れ、神と色々な人々に多くのものを与えられ支えられて、ようやく今まで生きてこられたのでした。今後も同じです。

 また、私たちがどんなに長生きしたくても、神の定められた時を越えてまで生きることは出来ず、1日どころか1分さえ長くなりません。

 反対に、私たちが早く自分を終りにしたいと思っても、私たちを愛しておられる神が、私たちをご自分の計画によって生かそうとされるなら、神の定められた時、…その時を私たちは知る由もありませんが、…その時まで私たちは生きます。何が起ろうと、私たちは生かされます。どんな苦しみにも耐え、私たちは生きる。全ては神の主権の下にあります。

 従って、大事なことは、この万物の主権者なる全知全能の神の御心に、イエス・キリストを通して心から委ね、明け渡すことです。

 前回も引用しましたが、イエスご自身、十字架につけられる前夜、ゲツセマネの園で血の滴るような汗を流し、天の父にこう祈られた。ルカ22:42「父よ、御心なら、この杯を私から取り去って下さい。しかし、私の願いではなく、御心がなりますように。」イエスの場合、十字架は全世界の罪の身代りとして神に捨てられることを意味し、それは御子であるご自身にとってどんなに恐ろしいことでしょうか。ですから、主はそれを「杯」に喩え、「御心なら、この杯を私から取り去って下さい」と、私たちと同じ弱い人間性を持つ者として祈られました。

 けれども、最終的には「私の願いではなく、御心がなりますように」と祈り、父の御心にご自分の全存在を明け渡し、聖霊に力付けられ、主は私たちのために苦しみの杯を100%飲み干し、贖いを全うされました。このような御子を、天の父なる神が、どうしてお見捨てになるでしょうか。天の父は、約束通り三日目に御子を復活させられました。そこで、「御心がなりますように」と祈って天の御父にご自分の一切を委ねられた御子イエスに、私たちも倣うのです。

 無論、ここに信仰が必要です。初めから何もせず、神や人に丸投げするのは信仰ではありません。私たちは自分に出来ることは精一杯努める。ただ、それ以上は、天の神に委ねるのです。すると神は、ご自分の知恵と御力により、私たちにとって最終的には最善の結果へと必ず導かれます。ローマ8:28は言います。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちには、全てのことが共に働いて益となる」と。

 私たちも、「神様、私には私の願いがあり、考えと計画があります。しかし、御子を賜った程に私を愛しておられるあなたの御心こそが最終的には一番良いことを知っております。それが罪人の弱い私にとっても最善であり益であることを信じております。ですから、全てを委ねます」と祈り、天の父に委ねるのです。

 「御心が天で行われるように、地でも行われますように!」自分のためにも、私たちの大切な人たちのためにも、また今の時代と社会の矛盾や不条理ゆえの辛さの中にいる方々のことにも思いを馳せ、私たちの出来る最大の努力はしながら、この祈りを捧げていきたいと思います。

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