2023年07月20日「私たちは互いのために造られた」

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聖句のアイコン聖書の言葉

2:3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分より優れた者と思いなさい。
2:4 夫々、自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさいフィリピの信徒への手紙 2章3節~4節

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 8月の祈祷会では、服部神学生が十戒についてお話されます。そこで、今日は十戒の学びを中断し、「私たちは互いのために造られた」と題して、神の大切な御心の一端を聖書から学びます。

 ピリピ人への手紙は、神の御子イエス・キリストが救い主として世に来られ、十字架で命を捧げ、また復活し、天に昇られてからまだ20年少々という紀元1世紀半ばの初代教会時代に書かれました。残念なことに、ピリピ教会では、もう信徒間に問題が起り、御霊に導かれてパウロは3、4節「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分より優れた者と思いなさい。夫々、自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい」と教えました。特に4節「夫々、自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい」と、他の人への注意や配慮を教えます。

 聖書は決して「自分のことは無視して」、とは教えていません。「夫々、自分のことだけでなく」であり、自分のことに注意し、自分を大切にすることは、決して否定されていないのです。

 しばしばキリスト教は隣人愛の宗教と言われます。確かにそうでしょう。そして他者を顧みず、常に自分のことしか考えない利己的な自己愛は、神の前に罪とされます。

 しかし、決して自己愛の全てが断罪されているのではありません。神は私達を愛をもって造られ、どんな時にも私たちを御子イエス・キリストを通して変わらず愛しておられます。従って、そういう自分自身を私たちも愛し、大切にしていいですし、そうすべきなのです。

 繰り返します。神に造られ、神に愛されている私たち人間は、自分を愛し、自分を大切にして構いません。しかし、それと共に4節「他の人のこと」も顧み、注意を払い、大切にする具体的な愛を、神は期待しておられます。

 この大切で基本的なことを、私は、私たちの「体」を取り上げてみても元々そのように神に造られていることを、改めて教えられたことがありました。礼拝で、大分前に一度お話したことがありますが、10数年前、私がまだ淀川キリスト教病院で牧師・チャプレンとして働いていた時、キリスト教に基づく医療理念を学ぶための全人医療研修会が、ある企業の研修施設で開かれました。

 その時の講師は、埼玉医科大学総合医療センター・心臓血管外科の今中和人医師で、「心臓外科医が語る驚異の人体-『造られた』やなんてホンマですか?」という講演でした。兵庫県西宮市の甲子園出身の今中先生は、関西弁でユーモアを交え、人体の驚異の一部をお話下さいました。人間の色々な関節の見事な構造、メカニズムについて、また心臓の絶妙なメカニズムについて、熱くお話下さいました。

 例えば、赤ちゃんの心臓の中の血流は、お母さんのお腹の中にいる時と、外へ出て肺呼吸をする時とでは大きく変りますが、そのための絶妙な準備と変化が、心房中隔という右心房と左心房の間の壁にある卵円孔で起ります。肺呼吸のためには、卵円孔は必要がありませんので、出産の頃にこれは閉じていきます。詳しく話すことは出来ませんが、この変化は進化論では到底説明できず、神が元々プログラムされたのでなくて、どんな説明が可能だろうか、と語られました。

 また、今中先生は心臓の働きを取り上げ、体の他の部分との興味深い関係を語られました。小さいですのに一生懸命、そして生涯働きます心臓は、自分の送り出す血液の5%を自分のために使いますが、95%は他の部分に提供するそうです。自分のためにも使うのですが、殆どは他に与える!同じようなことが、肺など他の臓器でも見られるといいます。つまり、自分のためにだけ存在する臓器など、一つもないのです。

 この事実を聞いた時、5%と95%という数字そのものはともかく、参加者の多くが、私たち人間の根本的な生き方、すなわち、自分と他者とのあり方をも教えられていると感じ、自分の生き方を改めて鋭く問われた、と感想を述べていました。

 聖霊の導きの下、パウロが幾つかの手紙で、イエス・キリストがご自分の血をもって贖われた教会を「人間の体」に喩えたことに、改めて驚きを覚えます。

 いずれにせよ、聖書によれば、人は生きている間、神から頂いた大切な体も持ち物も、すなわち、お金、体力、時間、様々な能力を、自分のために用いて良いのです。しかし、自分のためだけでなく、他の人に用いるためにも与えられているのです。共に神の恵みと祝福に与るためです。頭の良さ、体の丈夫さ、知恵、器用さなどの賜物(たまもの)も、自分のためだけではなく、聖書の言う通り、元々他者のためにもあるのです。

 元々、「私たちは互いのために造られた」というこの根本的事実を覚え、私たちは改めて自分を大切にし、しかし特に自分を他者のために用いつつ、是非歩んでいきたいと思います。

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