2023年06月04日「キリストの再臨と審判(使徒信条の学び26)」

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キリストの再臨と審判(使徒信条の学び26)

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 16章24節~28節

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聖句のアイコン聖書の言葉

16:24 それからイエスは弟子たちに言われた。「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従って来なさい。
16:25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを見出すのです。
16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の益があるでしょうか。その命を買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。
16:27 人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちおと共に来ます。そして、その時には、夫々の行いに応じて報います。
16:28 まことのい、あなた方に言います。ここに立っている人たちの中には、人の子が御使いたちと共に来るのを見るまでは、決して死を味わわない人たちがいます。マタイによる福音書 16章24節~28節

原稿のアイコンメッセージ

 古代教会が聖書に従って告白し、その後も教会がずっと大切にして来ました使徒信条により、今朝もキリスト教信仰の基本内容を確認します。

 先程、唱えました使徒信条は、イエス・キリストが「かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審き給わん」と告白します。そこで、今朝、私たちはキリストの再臨と審判について学ぶことにします。

 神の独り子(ひとりご)は人間イエスとなられ、神を信じる者たちの罪を全て、十字架の死によって償い、復活し、今、天の父なる神の右におられます。また、教会を通して、全世界に罪の赦しの福音を伝え、私たち一人一人のために憐れみ深い救い主として働いておられます。

 しかし、これはいつか終ります。つまり聖書は、世の終りにイエス・キリストがもう一度来られ(再臨)、全ての人を裁かれることを告げます。先程のマタイ16:27でイエスは言われました。「人の子(イエスご自身)は、やがて父の栄光を帯びて御使い(みつかい)たちと共に来ます。そしてその時には、夫々その行いに応じて報います。」

 ですから、最後まで頑なに創り主なる神と福音を拒む人は、自分の罪を全て公にされ、裁かれ、永遠の死、永遠の滅びに至ります。また今の世界は、Ⅱペテロ3:10が言いますように、焼けて崩れ去り、神は、義の宿る新しい天と地を来らせ(同3:13)、最後まで耐え忍ぶ信仰者は、新しい世界に、神と共に永遠に生きることを許されます。

 聖書のこういう終末の教えについて、昔から色々な人により、色々なことが言われてきました。しかし、私たちはそれらに惑わされることなく、聖書自身の教えを正しく知ることが大切です。そこで、今朝は重要な点を四つ、確認致します。

 第一に、イエス・キリストの再臨がいつなのかは、誰にも分りません。

 昔からこのことを勝手に予言する人たちや異端者たちがいて、多くの人を惑わして来ました。しかし、イエスは言われます。マタイ24:36「その日、その時がいつなのかは、誰も知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ、父だけが知っておられます。」

 キリストの再臨がいつなのかについて、聖書は沈黙しています。ですから、聖書が言わないことを興味本位に詮索し、あれこれ勝手に想像し、そのことに私たちがいたずらに振り回されることは愚かですし、不信仰です。そんなことより、私たちは、いつ主イエスの再臨と裁きがあっても大丈夫であるように、常に主を仰ぎ、御言葉に留まり、心と生活を清め、落ち着いて敬虔に過ごし、信仰の備えをすることの方が、遙かに大切です。イエスは言われました。マタイ24:44「あなた方も用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。」同25:13「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなた方は知らないのですから。」

 第二に、世の終りには前兆があります。

 イエスは弟子たちに言われました。マタイ24:7~14「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。しかし、これらは全て産みの苦しみの始まりなのです。その時、人々はあなた方を苦しみにあわせ、殺します。また、私の名のために、あなた方は全ての国の人々に憎まれます。その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。御国(みくに)のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、全ての民族に証しされ、それから、終わりが来ます。」

 現在、この世界で起っていることを見回しますと、いつ世の終りが来ても、少しも変ではありません。イエス・キリストがかつて語られた終末の前兆が、本当に今至る所に見られますね。ですから、大事なことは、ますます神を畏れ、キリストの福音に堅く留まり、福音に本気で生き、親しい方々に言葉と生活で福音を証しすることです。心を騒がせることなく、「主よ、いつ、あなたがお出でになっても良いように、今しもべたちを導いて下さい」と謙って祈り、互いに信仰を励まし合うことが何より大切です。

 第三に、キリストの再臨と世の終りは、突然やって来ます。

 確かに、今見ましたように、前兆は色々あります。しかし、世の終りとイエス・キリストの再臨そのものは、突然やって来ます。マタイ24:27でイエスは、ご自分のことを指してこう言われました。「人の子の到来は、稲妻が東から西にひらめくのと同じようにして実現するのです。」

 私たちが何かをしている時、アッと思ったら、もう来ていた、という感じなのでしょう。ですから、霊的に常に目覚めていることが大切です。ローマ13:11以降が言います。「あなた方は、今がどのような時であるか知っています。あなた方が眠りから覚めるべき時刻が、もう来ているのです。私たちが信じた時よりも、今は救いがもっと近づいているのですから。夜は深まり、昼は近づいて来ました。ですから私たちは、闇の業を脱ぎ捨て、光の武具を身に着けようではありませんか。遊興や泥酔、淫乱や好色、争いや妬みの生活ではなく、昼らしい、品位のある生活をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。欲望を満たそうと、肉に心を用いてはなりません。」

 4世紀から5世紀に生きました有名なアウグスティヌスは、長い魂の遍歴の末、ミラノの庭で、たまたま隣の家の子供の歌の中にありました「取って、読みなさい」を聞き、そこにありました聖書のローマ13:12、13を読んで回心したと言われています。32歳の時でした。

 第四に、再臨のキリストは、使徒信条が告白しますように「生ける者と死ねる者」とを裁かれます。

 「生ける者」とは、キリストの再臨の時に生きている人であり、「死ねる者」とは既に死んだ人のことです。その時に生きている人だけでなく、死んだ人も生き返って裁かれる、ということです。イエスは言われました。ヨハネ5:28、29「このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者が皆、子の声を聞く時が来るのです。その時、善を行った者は甦って命を受けるために、悪を行った者は甦って裁きを受けるために出て来ます。」

 しかし、今までに死んだ無数の人々がどのように甦り、また主イエスはどのように皆を裁かれるのでしょうか。終末時に起こります色々なことの正確な内容や順序については、分らないことも多々あります。しかし、神は無から万物を創られたお方です。従って、細かい点に捉われるのではなく、中心的な点を知ることが重要です。キリストは、全ての生ける者と死ねる者とを裁かれるのです。

 キリストの再臨と審判に関して、やはり気になるのは、裁きの方です。裁きについて、Ⅱコリント5:10は言います。「私たちは皆、善であれ悪であれ、夫々肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストの裁きの座の前に現れなければならないのです。」

 これを聞いて、自分は全く平気だなどと思う人がいるでしょうか。先程お読みしましたマタイ16:27でも、イエスは「その時には、夫々の行いに応じて報い」ると言われ、マタイ7:21以降ではこう言われました。「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の御国(みくに)に入るのではなく、天におられる私の父の御心を行う者が入るのです。その日には多くの者が私に言うでしょう。『主よ、主よ、私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』しかし、私はその時、彼らにはっきり言います。『私はお前たちを全く知らない。不法を行う者たち、私から離れて行け。』」

これらは何と深く私たち自身を探る御言葉でしょうか。

 今朝は時間がもうありません。しかし、これらのことが、実は私たちにとって、どれ程大切で幸いなことであるかという点を、6月18日の礼拝説教でお話したいと思います。

 ただ今日は、この世界がやがてキリストの再臨と共に終り、私たちはキリストの裁きの座に立ち、思いと言葉と行いについて、厳正かつ公平な裁きと報いを受ける時が来ることだけは、深く心に刻んでおきたいと思います。

 どうか、憐れみに満ちた主イエス・キリストが、私たちを顧み、導いて下さいますように!

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