2023年06月01日「祈りの世界を持つ」

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1:35 さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて、寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。マルコによる福音書 1章35節

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 十戒の学びを中断し、今日は祈りの世界を持つ幸せを改めて覚えたいと思います。

 今お読みしましたマルコ1:35もそうですが、四福音書全体を読み合わせますと、主イエスは、父なる神に実によく祈られたことが分かります。地上で生活をされた間、イエスは常に、祈りの時間というか、祈りの世界をしっかり持っておられたと言えるでしょう。

 人間は皆、生活の中に色々な世界を持って生きています。仕事の世界、家族との世界、友人たちとの世界、趣味の世界、他にも色々あるでしょう。こういう世界が多い程、豊かな人生を歩んでいると、一般的には言えるかも知れませんね。感謝なことに、クリスチャンは更に、教会という神が設けられたとても大切な世界を持つことを許され、また特に神への祈りの世界を持つことを許されています。

 祈りは、明確な信仰を持たない人には縁遠く、胡散(うさん)臭いと感じる人もいるでしょう。しかし、一旦、自分自身や家族が危機に遭遇し、あるいは徹底的に自分の無力さを感じさせられる時、やはり神に祈らないではおれないと思います。人は神の形に造られているからです。

 無論、苦しい時の神頼みだけなら良くありません。しかし私たちは、やはり天と地と私たち一人一人をご計画によって造られた全知全能の真(まこと)の神に、御言葉と御霊に導かれ、イエス・キリストの執り成しを頂いてお祈りできる幸せを思わないではおれません。

 では、神に祈ることにどんな幸せがあるでしょうか。色々ありますが、最も幸せなことの一つは、私たちが全知全能の真の神の近くにいることができることです。

 神のことが多少分ったとしても、自分が神から離れているなら、幸福感はありません。私は20歳の時に洗礼を受けましたが、その暫く後、そういう時期がありました。聖書もキリスト教の本も沢山読みました。しかし正直な所、今一つ幸福感がありませんでした。後で分ったのですが、私はあまり祈らず、従って本当の意味で神の近くにいなかったのでした。

 親子や夫婦、兄弟姉妹同士でも、会話があまりなければ、家族としての幸福感は薄いですが、会話があるなら違います。聖書の示す祈りは、神への語りかけ、あるいは神との会話と言えます。

 しかし、神は無言ではないでしょうか。そうであるなら、私たちの一方的なお喋りではないのでしょうか。違います!聖書により私たちが少しでも神を正しく知り、ふざけた心や傲慢な気持でではなく、心から神に平伏し、真剣に一生懸命祈る時、声はありませんが、神は必ず聞いておられ、必ず何らかの形で答えて下さいます。特に私たちの魂の深みに、何かしら熱い思いや確信、落着き、平安を与えるなどをして、応えて下さいます。これは不思議としか言いようがないのですが、そうなのです!そして、私たちは神に近づけられ、神の近くにいることができます。これは実に感謝なことです。

 聖書を見ますと、色々な信仰者にこれが見られたことが分かります。例えば、詩篇73篇の作者は、とても真面目な信仰者でしたが、ある時から物事がうまく運ばなくなりました。病気にもなったようです。ところが、不信仰な悪人たちはうまく行き、健康ですし、幸せそうです。彼は納得できず、落胆し、心も荒れました。

 しかし、神の聖所にふと行った時、彼は、悪人たちの最後がどうなるかということ、それと自らの愚かさと不信仰、すなわち、自分が神の近くにいなかったために、全てが大事(おおごと)になることに気づき、何があっても彼自身が神に近くいるようにしました。

 彼はもう大丈夫でした。そのことを回顧して、彼は歌いました。詩篇73:28「私にとって、神の御そばにいることが、幸せです。」もはや何が起ろうとも、彼を潰すことはできませんでした。問題それ自体は未解決でも、彼自身は大丈夫でした。全知全能の神の近くにいて、神の大きな御腕の中に自分自身を置いていたからです。

 1997年に天に召されたマザー・テレサは言いました。「祈りとは自分自身を神の御手の中に置き、そのなさるままにお任せし、私たちの心の深みに語りかけられる神の御声を聴くことなのです。」こうして、大変な困難の中でも、彼女は毎日、主の前に静まる祈りにより、常にイエス・キリストと共にいることができ、神の御手の中にいて、神のなさるままに全てを委ね、お任せすることができました。ここに、彼女のあの不屈の、しかし、静かな強さと平安の秘訣の一つがあったと思います。

 このように、祈りの世界をしっかり持つことの幸せを思います。ご存じのように、米国の神学者ラインホルド・ニーバーの有名なこういう祈りがあります。

 「神よ、変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる平静さと、そして変えられるものと変えられないものとを見分ける知恵を、私に与えて下さい。」

 彼自身、祈りの世界に堅く生きてきましたから、こういう祈りに導かれたのだと思います。

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