2023年05月21日「神の子供とされる幸せ」

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神の子供とされる幸せ

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネの手紙一 3章1節

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3:1 私たちが神の子供と呼ばれるために、御父がどんなに素晴らしい愛を与えて下さったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子供です。
ヨハネの手紙一 3章1節

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 伝道礼拝ですので、多少とも分りやすいお話をしたいと願っています。

 ご承知のように、キリスト教は、「これを信じ、これを買い、これを身に着ければ、家内安全・商売繁盛・無病息災、運が向いて来る」などと謳う、世間によくある、いわゆるご利益宗教ではありません。とはいえ、実はもっと素晴らしい豊かな恵みや祝福があります。

 では、天地を創られた真(まこと)の神がかつて世に遣わされた御子イエス・キリストを、自分の救い主として心から信じ依り頼む人に、どんな恵みや祝福があるでしょうか。色々あります。しかし、今朝は最も中心的なものの一つをお話致します。それは神の子供とされるという恵み、祝福です。

 先程お読みしましたⅠヨハネ3:1で、ヨハネは紀元1世紀後半の初代教会の信徒たちにこう書きました。「私たちが神の子供と呼ばれるために、御父がどんなに素晴らしい愛を与えて下さったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子供です。」

 この手紙が書かれた頃、異端者たちが教会の中に現れ、惑わされて正しい信仰を失いそうになる信徒たちもいました。そこでヨハネは、神に導かれてこのように書いたのでした。「神がどんなに素晴らしい愛を下さったかを、よく考えなさい。今や私たちは神の子供なのですよ。」こう言って皆を励ましました。その通り、御子イエスへの信仰により、私たちは本当に神の子供とされるのです。

 では、神の子供とされることに、どんな幸せがあるでしょうか。色々ありますが、その第一は、神の計り知れない赦しと憐れみの中にあることです。

 私たちは、私たちの救いのために十字架で命を捧げて下さった神の御子イエスを信じることで、罪の赦しと、神の前に恐れなく立つことの出来る義を、神から本当に頂けます。

 しかし、私たちには腐敗した罪の性質・原罪が残っているため、自己中心の罪と失敗を何度も繰り返し、人に迷惑をかけ、人を躓かせもし、何より神を悲しませます。無論、私たちは悔い改め、神にお詫びしますが、泣きたくなる位、自分が情けなくなります。

 では、イエス・キリストを信じていても、こんな私たちであるならば、もう駄目なのでしょうか。呆れて神も私たちに愛想を尽かされ、私たちを見捨てられるのでしょうか。いいえ、違います!実は、イエス・キリストを心から信じ、依り頼む者は、罪の赦しと義を頂けるだけでなく、神の子供とされるのです。ヨハネ福音書1:12が「この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供となる特権をお与えになった」と言う通り、イエスを信じる者は、本当に神の子供とされるのです。

 親は何と言っても子供を愛しています。ですから、子供が親との約束や親の言いつけを守らず、その結果、手痛い思いをし、でも自分が悪いことも分っていて、泣いて本当に心から謝る時、親は子供を憐れみ、赦してやりますね。欠けだらけの私たち罪人である親でもそうであるなら、御子イエスを賜った程に私たちを愛しておられる神は、一体、どれだけ憐れみ深いお方でしょうか。

 そのことを詩篇103がよく教えていますので、少し読んでみます。8節「主は 憐れみ深く 情け深い。怒るのに遅く 恵み豊かである。」11~13節「天が地上遥かに高いように、御恵み(みめぐみ)は 主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように 主は 私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。父がその子を憐れむように 主は ご自分を恐れる者を憐れまれる。」

 こう言われているからといって、私たちが不遜にも分かりながら同じ罪を平然と犯し続けるなら、当然、神に罰せられます。

 けれども、弱さからどんなに情けない罪を犯したとしても、「私は駄目だ」と自暴自棄になってはならず、「神様、罪人の私を、どうかイエス様の故にお赦し下さい!」と、神にすがりついて赦しを請うのです。このような悔い砕けた魂を、愛と憐れみに満ちた天の父は、必ず赦して下さいます。イエスは、マタイ18:22で「七回を七十倍するまで」人の罪を赦しなさい、とお教えになりました。それなら、神は一体どんなに豊かにお赦し下さることしょう!

 神の子供とされる幸せの第一は、神の計り知れない赦しと憐れみの中に、本当にあることです。

 二つ目に進みます。それは、神の確かな保護の下にあることです。これも何と素晴らしい幸せでしょうか。

 イエス・キリストを信じる信仰があっても、私たちはこの世で色々辛いことに遭遇します。「一難去って、また一難」と言われる通りです。苦難や試練は、私たちが世にいる間、必ずあります。主イエスも、十字架の前夜、弟子たちに言われました。「世にあっては苦難があります」と。

 それなら、神を信じても、あまり意味がないのではないでしょうか。いいえ、違います!例えば、信仰は私たちに苦難の意味を考えさせます。終末期の病人を最も苦しめることの一つは、こんな苦しみに意味などない、と思うことです。いわゆる魂の痛みの一つです。しかし信仰は、自分に今はこの苦難の意味が分らなくても、神には深いお考えがあり意味があり、それが分る時がいつか必ず来ることを知っています。ですから、魂の痛みがやはり和らぎます。

 人には言えませんが、悪いこともして来た私たちは、死んだらどうなるのかという不安や恐怖があります。これも魂の痛みの一つです。

 いいえ、終末期の人だけではなく、私たちもまた、明日どうなるのか、全く分かりません。G7広島サミットが今日まで開かれ、核問題についても協議されます。実際の所、どこかの国が明日、核兵器を使えば、他の国もそれに対抗して使い、世界全体が破滅するでしょう。それどころか、もしこの宇宙全体が大爆発を起こし、あるいは悪魔・サタンが総力を挙げて攻撃したら、私たちはどうなるでしょうか。

 しかし神は、御子イエスを信じて神の子供にされた使徒パウロにこう書かせられました。ローマ8:38、39「私はこう確信しています。死も、命も、御使い(みつかい)たちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高い所にあるものも、深い所にあるものも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すころは出来ません。」

 今朝の礼拝と聖書の説き明かしが、もしかして地上での私たちの最後のものになるかも知れません。

 しかし、神を恐れ、御子イエスを心から信じて神の子供とされた者の魂は、天地を創られた永遠者・絶対者なる神に守られ、どんなものも神の無限の愛と救いから引き裂くことは出来ません。主なる神ご自身が私たちの砦(詩篇27:1、28:8参照)でいて下さるのです。

 以上が神の子とされた信仰者の幸せの二つ目です。

 最後に三つ目の点を学びます。それは、神の相続人とされるという幸せです。

 ローマ8:14以降は言います。「神の御霊に導かれる人は皆、神の子供です。あなた方は、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。」17節「子供であるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと栄光を共に受けるために苦難を共にしているのですから、神の相続人、キリストと共に共同相続人なのです。」

 要するに、子供には親の相続人となる権利がありますように、神の子供とされた信仰者も、神の相続人とされるということです。

 では、クリスチャンは神の何を相続し、受け継ぐのでしょうか。細かい点は省きます。神が今の世界をやがて終わらせ、新しく美しい完全な世界をもう一度創られる時、クリスチャンはそれを頂き、言い換えますと、神ご自身のお喜びを、御子イエス・キリストと共に受け継がせて頂くということです。

 親は自分の一番喜びとするものを、愛する子供に分け与えたいですね。勿体ないことですが、神もいわばご自分の喜びとされるものの全てを、この世が終わった後、信仰者に永遠に分け与えて下さるのであり、その時を楽しみにしておられるのです。

 いいえ、それだけではありません。更に言いますと、神は、ご自身を、いわばご自分の子供たちへの嗣業、割り当てとなさりたいのです。そのことを、旧約時代の信仰者はこう歌いました。詩篇16:5「主は私への割り当て分、また杯。」

 知恵、力、聖さ、正しさ、愛、真実、美しさにおいて、無限、永遠、不変の神ご自身が、勿体ないことに、私たちの永遠の喜び、宝となって下さり、私たちは神ご自身を永遠に喜ぶことを許されるのです。一体、何という光栄また幸せでしょうか。

 辛くて、苦しくて、イヤになることも多い、今この世に生きる私たちです。しかし、ただ神の御子イエス・キリストへの信仰だけで、私たちは天地の創り主なる神の子供に、本当にして頂けます!そして驚くほど豊かな神の憐れみと赦しを絶えず頂き、全能の神の御手で私たちは保護され、神のお喜びと神ご自身を嗣業として頂けるこの光栄、この幸せ!神は聖書全巻を通して、このことを私たちに教え、私たちを招いておられます。この掛け替えのない幸せに、是非、ご一緒に励まし合って、しっかり与りたいと思います。

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