2023年03月02日「十戒の学び33 第六戒4」

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十戒の学び33 第六戒4

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章13節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:13 殺してはならない。出エジプト記 20章13節

原稿のアイコンメッセージ

 十戒の第六戒を続けて学んでいます。既に学びましたように、第六戒は、実際の殺人だけでなく、人への激しい怒りや侮辱も心の中の殺人として禁じます。

 今日はハイデルベルク信仰問答の問106なども指摘します妬みの問題を見てみます。

 妬みが原因の殺人や殺意の例を、聖書はたくさん伝えています。創世記4章の伝える弟アベルを殺したカインには、自分の献げ物ではなく弟の献げ物を神が喜ばれたことによる強い妬みがうかがえます。民数記12章の伝える弟モーセへのミリアムとアロンの非難、同16章の伝えるコラたちのモーセへの反抗にも、妬みが根底に考えられます。

 ダビデへのサウル王の妬みは、非常に顕著な例です。ダビデが自分以上に皆から高く評価されていることを知ると、Ⅰサムエル記18:8、9は、「サウルは…激怒し、悔しがって、…この日以来、サウルはダビデを妬みの目で見るようになった」と伝えます(新共同訳聖書)。その後、彼は色々な方法でダビデを殺そうとしました。

 しかし妬みの最悪の例は、マタイ27:18、マルコ15:10が伝えるように、総督ピラトも知っていたユダヤ人指導者たちの主イエスに対する妬みでしょう。イエスが驚くべき御業(みわざ)をされ、民衆に断然人気があるため、彼らは激しくイエスを妬み、イエス殺害に至りました。

 その後も、大祭司やサドカイ派の人たちは、「妬みに燃えて立ち上り、使徒たちに手をかけて捕え」ました(使徒5:17、18)。使徒たちが「多くのしるしと不思議」を行なったからです(同5:12)。もう十分でしょう。妬みは実際、殺人にまで至りやすく、非常に怖いのです。

 民数記5:12以降が語りますように、不義が引き起す当然の妬みと憤りもあります。しかしその場合でも、自分の激情を放置していますと、殺人に至りかねません。雅歌8:6は言います。「妬みは陰府のように激しい」と。ここに神を真に恐れる信仰と理性が必要です。

 妬みは私たちの幼い時からあります。適度なライバル心なら、自分の向上にポジティヴに生かせばいいですが、誰かが自分よりよく出来るとか、美人とか男前とか、人気や人望があるとかで、しゃくにさわり、その人に敵対心を抱き、目障りだというようなネガティヴな感情を抱くなら、これは危険です。第六戒に抵触します。

 私たちはどうすれば良いでしょうか。第一に、自分の内に誰かに対して何か面白くない感情があることにふと気付く時、自分の心を冷静に観察したいと思います。「何故私は今、面白くないのか」と。冷静に客観的に正直に自分を観察するだけでも、随分違います。

 第二に、自分の内に妬みを見つけたなら、先程、民数記5:12以降のことに少し触れましたが、それが当然で正当な理由によるものなのかどうかを分析することです。そして当然なものなら、問題自身を解決して行くことです。

 しかし、当然で正当な場合でも、妬みは、高じますと、相手への殺意にまで至る危険性もありますから、極力、抑制することが大切でしょう。

 第三に、当然で正当な理由とは言えず、自分の勝手なライバル心による妬みの場合、何かと人を敵視し相手に絡むなど、もう罪を犯していますから、神の前に早く正しい方法で解消しなければなりません。先にも申しましたが、自分の内にあるライバル心のエネルギーを、人に向けるのではなく、大切な自分自身の向上に生かすのです。

 また自分の妬みに気付く時、すぐサタンと対決することが重要です。サウルがダビデに妬みを抱いた時、Ⅰサムエル記18:10は「その翌日、災いをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り」と伝えます。神の支配下ではありますが、サタンから来る悪の霊がサウルに臨んだのです。

 サタンは私たちの妬みを利用します。ですから、私たちは「サタンよ。今すぐ私から去れ!」と命じるのです。雑草は小さい間に取り除くと良いように、妬みの芽がまだ小さい内に自分の中から取り除くのです。

 第四は、マタイ25:14以降が教えますように、神が私たちにも必ずタラント・賜物を与えておられることを心に留め、神に感謝し、そのタラントを磨き伸ばすことにこそ、エネルギーを傾けることです。是非そうしたいと思います。

 第五に一番大切なことをお話して終ります。何でしょう。神が私たちのような小さな者をも、驚くほど愛しておられる事実をハッキリ覚えることです。ヤコブ4:5の別訳は「神が私たちの内に住まわせた御霊は、妬むほどに私たちを慕い求めておられる」です。何と神は私たちを妬むばかりに愛し慕って下さっている!だから、御子イエスを賜った!何という光栄でしょう!それなら、どうして人を妬んでなどおられるでしょう。

 神のこの勿体ないばかりの愛をこそ覚え、神の愛に応えて喜んで自分を神に捧げ、また感謝と喜びと謙りをもって人と交わることに、是非、自分を押し出したいと思います。

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