2023年02月09日「十戒の学び30 第六戒1」

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十戒の学び30 第六戒1

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章13節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:13 殺してはならない出エジプト記 20章13節

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 今日から十戒の第六戒の学びに入ります。

 第一戒から第四戒の対神的戒めに続く対人的戒めの最初に、人間関係の基本を形作る第五戒「あなたの父と母を敬え」が来て、それに続き、人の命を尊ぶ第六戒「殺してはならない」が来ることは、私たちにも理解出来ると思います。

 今、「人の命を尊ぶ」と言いました。第六戒に「人の」と限定する言葉はなく、動植物の命も含まれると考えられなくはありません。しかし、元々第五戒から第十戒は対人的戒めです。従って、ここも人の命を尊ぶことを命じていると取るのが、自然でしょう。

 無論、人間以外の命はどうでも良いのではありません。神の創造の秩序を尊び、また主の祈りの末尾に追加された言葉「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」とありますように、全被造物を心に覚えて神に栄光を帰する上で、人間以外の命を尊ぶことも大切です。

 さて、第六戒は殺人を禁じます。しかし、殺人は何故いけないのでしょうか。「そんなことは当然だ」と普通は思いますが、歴史を降り返りますと、「こんな民族は滅ぶべきだ」、「こんな人間は死ねばいい」というような思想や考えもありました。聖書的には、どう考えるべきでしょうか。

 創世記1:27は言います。「神は人をご自身の形として創造された。神の形として人を創造し、男と女に彼らを創造された。」またノアの洪水の後、神は言われました。創世記9:6「人の血を流す者は、人によって血を流される。神は人を神の形として造ったからだ。」つまり、人間はただ生物学的命を持つだけではなく、「神の形」を持つ特別な被造物なのです。

 創世記1:27で「形」と訳されているヘブル語は、「似姿」とも訳せます。すなわち、人は神に似た者に、そして神に応答出来る者として造られたのでした。神の形とは、広い意味で、人格を指します。

 ウェストミンスター小教理問答の問10はこうまとめています。「神は人を、男性と女性とに、知識と義と聖においてご自分のかたちに従って創造し、被造物の支配を託されました。」すなわち、神と世界と人間、そして自分自身を知り、また体系的・包括的に理解しようとする知性。神の意思を規範とし、それに沿って生きようとする道徳性と良心。創り主にして永遠者なる神を仰ぎ、神と交わり、喜んで聖い神に依存する宗教性。これらの神の形、人格を、人間は有しています。殺人は、この最も大切な神の形という人格を破壊する行為なのです。ですから、神は特に「殺してはならない」と明確に命じられるのです。

 人の命を奪うと言っても、特にどういう殺人を、神は禁じられるのでしょうか。というのは、正当防衛とか余りの重罪のために公に執行される死刑などもあるからです。

 「殺す」という動詞を、今、私の手元にあります古い聖書語句大事典で大まかに調べても、旧約聖書のヘブル語では19種類、新約聖書のギリシア語でも9種類あります。殺すことについて、こんなにも語彙が多いことに驚くと共に、それだけ色々な種類の、また様々なレベルの殺人があることに、人間の罪深さを感じ、溜め息が出ます。

 それはともかく、特に第六戒で使われているヘブル語ラーツァハは、旧約聖書では、ただ1回の例外を除き、戦争によるものや神の裁きによる死などには使われていない、とある聖書注解書は言います。つまり、個人的な仇討ちによる殺人、一時の激情による殺人、いわゆる故殺ですね、それと計画的な殺人である謀殺、過失による殺人に限定されているそうです。

 こういう意味で第六戒に抵触する殺人を、聖書はいくつも伝えています。創世記4章にはカインによる弟アベル殺し、Ⅱサムエル11章にはダビデによるウリヤ殺し、Ⅰ列王記21章にはアハブ王と妻イゼベルによるナボテ殺しなど、切りがありません。何より、きよい神の独り子、主イエス・キリストの殺害という最も罪深い殺人があります。

 今日に至るまで、一度でも流血のない時代があったでしょうか。今この時も誰かが権力や暴力の犠牲になっています。人間のどうしようもない罪の現実に怒りを覚え、絶望的になります。

 しかし、主イエスは復活され、堕落した人類に、なおも神の愛と罪の赦しと永遠の命を与える福音を、教会を通して表しておられます!ですから、私たちもこの主の限りない愛に応え、人を罪と死から真に救うことのできる平和の福音を、一人でも多くの人に知って頂くために、絶えず自分を整え、主の平和の道具として用いられたいと思います。

 Ⅰペテロ3:15~16を読んで終ります。「あなた方の内にある希望について説明を求める人には、誰にでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。但し、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなた方の善良な生き方を罵っている人たちが、あなた方を悪く言ったことを恥じるでしょう。」

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