2022年12月22日「聖家族(キャンドル礼拝にて)」

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聖家族(キャンドル礼拝にて)

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ルカによる福音書 2章1節~7節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
2:2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
2:3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
2:4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に「寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
ルカによる福音書 2章1節~7節

原稿のアイコンメッセージ

 クリスマスに関わることの一つに、「聖家族」があります。幼子イエス、母マリア、そしてイエスの育ての父であるヨセフの3人のことです。聖家族は、全ての信仰者の家庭の原型とも考えられて来た面があるそうです。

 聖家族の絵は、ルネサンス期やバロック期に盛んに描かれ、割合沢山残っています。イタリアで15~16世紀に活躍した有名なラファエロやミケランジェロを初め、多くの画家が聖家族の絵を描きました。スペインのバルセロナには、アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリア、つまり「聖家族」という名のついた教会もあります。この教会は1882年に建築が始まり、完成予定が2026年で、未だ建築途上にあります。

 絵や建築のことはともかく、聖家族の御子イエス、マリア、ヨセフは、どういう家族だったでしょうか。改めて見てみますと、興味深いと思います。

 まずは、ヨセフです。

 彼について一番多く伝えているのはマタイの福音書です。ヨセフは、マリアが聖霊により身ごもり出産した、イエスの育ての父、養父となりましたが、彼の語った言葉は聖書に一つも残されていません。寡黙な人だったのかも知れません。

 今日は読みませんでしたが、マタイ1:19が伝えますように、ヨセフは神の前に正しい人であり、マリアを思う優しい人でした。しかし、重要な場面で神から啓示を受けますと、直ちにそれを実行する行動の人でした。マタイ2:13以降、すなわち、聖家族のエジプト逃避行の時にも、夜、夢で御告げを浮けますと、14節「そこでヨセフは立って、夜の内に幼子とその母を連れてエジプトに逃れ」たのでした。

 またマタイ2:19以降、すなわち、今度はエジプトからイスラエルの地に戻る時にも、更にガリラヤ地方に退く時も同じで、彼は何より神の言葉に従い、幼子イエスと妻マリアを守り切ろうとする人物でした。

 ヨセフは余り目立たず、地味な人だったのかも知れません。マタイ13:55から見ますと、彼の仕事は大工であり、普通の男性であり、比較的早く世を去ったようです。けれども、イエスが神の壮大な救いの計画の中心に位置する特別な子供であることをよく認識していました。そのため、幼子イエスと妻マリアをとことん守ろうとすることにおいて、芯のある信仰者で、責任感と決断力のある誠実な父親だと言えるでしょう。

 次に、母マリアはどうでしょうか。

 まだ少女と言える年齢でしたが、御使いガブリエルから聖霊による受胎告知を受けますと、ルカ1:38「ご覧下さい。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉通り、この身になりますように」と答えて,一切を主に委ね、御心に従う誠に従順な女性でした。未婚の女性が子供を宿したのですから、あの時代のユダヤでは死刑になりかねず、彼女の行動は驚くほど勇気あるものでした。

 またルカ1:46以降が伝える、いわゆる「マリアの賛歌」を見ましても、彼女は神の民イスラエルの長い救済史理解にしっかり裏打ちされた大変聡明で、しかし、あくまでも自分を神の前で主のはしためと自覚する誠に謙遜で敬虔な人でした。

 イエスの母親としては、どうでしょうか。聖書は、彼女の言葉と姿を、沢山ではありませんが所々伝えています。それによりますと、思慮深い母親であったことが分ります。例えば、イエスが誕生された夜、羊飼いたちが飼い葉桶に寝ている幼子イエスを捜して訪ねてきた時のことを、ルカ2:19は「マリアはこれらのことを全て心に納めて、思いを巡らしていた」と伝えています。

 またルカ2:25以降ですが、シメオンによる幼子イエスについての神をほめ称える言葉と共に、イエスとマリア自身の将来についての不吉な預言の言葉も、マリアは黙って受け留めます。

 更にルカ2:41以降が伝えますが、イエスが12歳の時、都エルサレムの神殿へ過越の祭のために両親と共にガリラヤのナザレから上られます。しかし、イエスが独りでエルサレムに残られ、知らずに帰路についていた両親が慌てて引き返し、大変心配したことがありました。その時、ルカ2:48が伝えますように、マリアは少しきつくイエスに当ります。イエスは49節のように答えられましたが、その意味が両親には理解できません。それでも、マリアは51節「これらのことを皆、心に留めておいた」のでした。

 マリアは従順で謙虚であり、イスラエルの救済史を理解する聡明で、かつ神の約束を固く信じる信仰深い女性でした。一方では、子供を心配する余り、時には強く咎める普通の母親でした。マタイ15:55、56によりますと、マリアは後に、イエスの弟や妹を何人か産んでおり、普通の母親でした。しかし、その時は意味が分らなくても、物事を深く心に納め、神との関係で思い巡らす、思慮深い敬虔な女性であり母だったと言えるでしょう。

 では、イエスご自身はどうでしょうか。

 乳飲み子イエスのお姿を、聖書は殆ど伝えていません。誕生後、少し時が経って、博士たちが東の国から訪ねてきた時、マタイ2:11は家の中で、幼子イエスが「母マリアと共に」おられたことを伝えます。たまたまヨセフはいなかったようですが、母マリアと共にいて、温かい母の愛の許、安心し切った赤ちゃんのイエスのお姿が浮かび上がります。当然、おっぱいを飲ませてもらい、おむつ交換も、全く母マリアに委ね切っておられる赤ちゃんのイエスです。

 しかし、ヘロデ王の手から急遽エジプトへ逃げる時には、緊張し、顔もこわばり、ひそひそ声で行動する両親の腕の中、命を狙われる危険と苦難に、早くも赤ちゃんのイエスは遭われます。ヘロデ王が死にましたので、イスラエルの地に帰ろうとした時、ヘロデの息子アルケラオがユダヤを治めているのを知りますと、一家は主の警告を受け、ガリラヤへ退きます。イエスは、赤ちゃんの時から、もうこういう中を生きて来られたのでした。早くも、後の十字架を予感させます。

 またルカ2:22以降が伝えますが、清めの期間が満ち、初めてエルサレム神殿へ両親と共に詣でた時、ご自分についてのシメオンの賛美の言葉と苦難の預言を受け、一方で女預言者アンナの喜びの言葉も受けられました。

 その後、ルカ2:40は「幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった」と伝えます。更にルカは、イエスが12歳の少年になられたこと、特にイエスがナザレで両親に仕えて暮され、2:52「神と人に慈しまれ、知恵が増し加わり、背丈も伸びていった」と、印象的に伝えます。全世界の罪をやがてご自分が十字架で担い償うという重い使命を帯び、けれども、たくましく少年時代を過し、知恵に満ち、背丈も伸び、両親を敬い、愛し、よく仕え、神の恵みに包まれ、神と人に慈しまれ、愛されたイエス・キリスト!

 以上が聖書の伝える聖家族です。ぱっと見て、何か飛びぬけて目立つような家族ではなく、両親が時には戸惑い、恐れ、心配することもありますが、普通の家族と言えるでしょう。

 しかしそこには、神の御心を第一とする、その意味での神への畏れがあり、神への従順と信頼が見られます。ヨセフとマリア夫妻には、何よりイエスを中心にして考え、決断し、行動する信仰が見られます。イエスご自身も、そんな中で、救い主としてのご自分を徐々に表わしていかれました。

 教えられることは、神はこうして示される割合普通の信仰者の家庭を、多くの人の救いのために、つまり、神に創られた私たち人間の真(まこと)の幸せ、究極の幸せのためにお用いになる、ということです。特にイエス・キリストを中心とする家族には、欠けや弱さがあり、ハラハラドキドキするような危機的な時があっても、いわばそれらを小さな「聖家族」として、また周囲を照らすローソク、キャンドルの光として、神はお用いになると言えましょう。

 大切なことは、「イエス・キリストを中心とする家、家族」であることです。

 明治時代から多くのクリスチャン家庭が心に留めて来ました次の言葉を、私たちも今、改めて心に刻みたいと思います。

 「キリストは、わが家の主(あるじ)、食卓の見えざる賓客(ひんきゃく)、あらゆる会話の沈黙せる傾聴者。」

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