2019年07月31日「主の祈りの学び 1 呼びかけ「父なる神に祈る」」

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主の祈りの学び 1 呼びかけ「父なる神に祈る」

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
    (新改訳聖書 2017年度版)マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちの霊的成長を願い、祈祷会の奨励では、これから暫く、祈りについてお話したいと思います。

 祈りは人間の魂の深みにおける最も真摯な行為の一つです。フランスの画家ミレーの描いた絵に、一日の勤労を終えた夕暮れ時、農夫二人が佇み、頭を垂れ、静かに祈っている「晩鐘」があります。それを見ると、私たちの魂は何故か静まり、穏やかになります。祈りは、人間が魂を持つ宗教的存在であることを示しています。

 そこで、特に主イエスが弟子たちに教えられた祈りの模範、「主の祈り」を見たいと思います。主はマタイ6:9で最初にこう言われました。「天にいます私たちの父よ」と。真(まこと)の祈りは、まず「神への呼びかけ」から始まることをお教えになります。それは何を意味するのでしょうか。私たちは、祈りの対象を明確に覚え、意識し、全人格を傾けて祈るということです。

 クリスチャン以外にも多くの人が祈りをします。しかし、彼らは自分が何に祈っているかをキチンと知っているのでしょうか。戦争や災害や事故などで亡くなった方々を覚えての黙祷は、何に、誰に向けられているのでしょうか。心の中でただ念じるとか、自分への掛け声で終っていることはないでしょうか。

 では、クリスチャンなら、祈りはキチンと神に向けられているでしょうか。祈ってはいても、心ここにあらずということや、本当は神にではなく、周囲の人たちや他のことに心が向いていることはないでしょうか。

 イエスは、私たちの祈りが向けられるべき「祈りの対象」をお教えになります。それは天地万物を無から造られた生ける真の神です。いきなり、また何となく言葉を繰り出すというのと、天地を全くの無から創られた唯一・絶対の神をハッキリ覚え、神を仰いで祈るのとでは、大違いです。そして、感謝なことにイエスは「天にいます私たちの父よ」と呼びかけるようにお教えになります。

 ここに既に、キリスト教信仰における祈りの非常に顕著な特徴が三つ見られます。第一に、「父」と呼び、第二に「私たちの」と言い、第三に「天にいます」とあることです。今日は神を「父」と呼びかける点にのみ注目します。

この方の許しがなければ、私たちの髪の毛一本地に落ちることがないほど、天地の造り主にして世界と歴史の一切を摂理しておられる神に、親しく「父よ」と呼びかけて良いとは、何と驚くべきことでしょう。私たちの祈りの対象は、抽象的な宇宙の真理と呼ばれる観念とか、何か偉大な存在(サムシング・グレイト)とか、人が頭で考え出した想像上の宗教的存在などではありません。天地の造り主、生ける真の神です。

 しかもその神に、私たちは、子供が父親を呼ぶように、心から親しく「お父さん」と呼びかけて良いことを教えられます。マルコ14:36が伝えますが、厳しい十字架の試練の前夜、イエスはゲツセマネで「アバ、父よ」と祈られました。「アバ」とは、イエス時代のユダヤの言葉アラム語で、父を意味します。しかも、それは幼子が父親に呼びかける時の幼児語だそうです。日本語で言えば、「お父ちゃん」といった感じでしょうか。イエスは、ご自分と同じように弟子たちが、まるで人が自分の父親に呼びかけるように、いいえ、幼子が父親に信頼し切って呼びかけるように、もっと親しく全存在を傾けて呼びかけることをお教え下さるのです。その結果、既に紀元1世紀のクリスチャンたちが「アバ、父よ」と神に親しく呼びかけて祈っていたことが、ローマ8:15やガラテヤ4:6から分ります。

 神をよく知らなかったとはいえ、神から遠く離れて生きてきた私たち罪人に、元々、神を「父」と呼べる資格はありません。それなのに、今や、主イエスを自分の唯一の救い主と心から信じ受け入れ依り頼む者は、ただその信仰の故に、神を「お父さん、お父様」と本当に呼んで構わないのです。神と私たちとを遠く隔てていた私たちの罪を、主イエスが十字架で全て償い、神と和解させ、私たちに神の子という最高の身分と特権を与えて下さったからです。神の一方的愛と憐れみにより、そうして下さったのです。何と感謝なことでしょう!

 随分前のことですが、インドネシアで宣教師として9年間働かれた(故)入船尊先生は、「インドネシアではイスラム教徒が95%を占めていますが、彼らがクリスチャンの様子を見て驚くことの一つに、神を親しく『父』と呼んで祈ることがあります」と言われたことを思い出します。が、まさにそれがキリスト教なのです。十字架で私たちを罪から全く贖って下さった主イエスは、ご自分を通して、神に「父なる神様、お父様、お父さん」と心から親しく呼びかけて良いことを教え、励まして下さっています。この仲保者イエス・キリストの故に、私たちは、天地の創り主なる神をしっかり心に覚えた上で、順境の時も逆境の時も、「お父様!」と親しく、また全人格を傾けてハッキリ呼びかけ、祈りたいと思います。

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