2022年09月08日「十戒の学び17 第三戒5」

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十戒の学び17 第三戒5

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章7節

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20:7 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にするものを罰せずにはおかない。出エジプト記 20章7節

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 十戒の第三戒の学びを続けて来ましたが、もう一度だけ学びます。

 神は第三戒で、「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない」と言われます。そこで私たちは、「主」とか「神」、「イエス・キリスト」などの御名を、自分が「みだりに」、すなわち、「無意味に」とか「偽って」口にする場合をまず考え、自分でも注意します。それは勿論正しいことです。

 しかし何度も言いますように、本当はそれだけではありません。第三戒に限らず、私たちはどの戒めもその字面だけで、つい理解しがちですが、そこに意図されている更なる神の思いがあるのではないかということを、いつも忘れないでいたいと思います。

 今日は、第三戒に神が付け加えておられる理由を見ます。今、「理由」と言いました。第三戒の後半の言葉は、元のヘブル語では「何故なら、主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかないからである」だからです。

 また「罰せずにはおかない」は、ヘブル語では「無罪としない」となっています。仮に人には罪とされず、罰せられずに済んだとしても、神は決して無罪とされず、必ず罰せられるということです。

 神がわざわざこういう言葉を付け加えておられるということは、第一戒や第二戒に劣らず、第三戒を破ることは、とても重い罪だということです。こういう点を、17世紀にウェストミンスター神学者会議に出席した人たちはよく分っていたのでしょう。ですから、ウェストミンスター大教理問答の問114(宮崎彌男訳)は、「第三の戒めには、どのような理由が付け加えられていますか」と問い、こう答えます。「第三戒に付け加えられている理由は、次の通りです。すなわち、神が主であり、また私たちの神である故に、私たちはその御名を汚したり、どのような仕方においても濫用したりしてはならないということです。特に、この戒めを犯す多くの者が人による譴責と刑罰とを逃れることができたとしても、神は決してそのような者を無罪にして、罰を与えずにおくことがない故に、ご自身の正しい裁きを逃れることをお許しにならないということです。」

 例えば私たちが、実際に神の御名を口に出すか出さないかは別として、心で神を意識しながら、誰かについて罪深い言葉を発したり、怒って罵るようなことをするなら、それはまさに神の御名を汚す重い罪なのです。

 また、前にも申し上げましたが、私たち信仰者は、黙示録14:1や22:4が言いますように、イエス、また神の御名を額(ひたい)に記され、「神の御名」を帯びる者です。従って、そういう私たちが律法に反する罪を犯すならば、たとえ人には気付かれず知られなくても、神の目には私たちはまさに「神の御名」を汚すのであり、第三戒を犯しているのです。

 従って、先程の大教理問答114が述べますように、「人による譴責と刑罰とを逃れることができたとしても、神は決してそのような者を無罪にして、罰を与えずにおくことがない故に、ご自身の正しい裁きを逃れることをお許しにならない」のです。

 Ⅰサムエル2:12~17は、祭司エリの息子たちの罪を伝えています。彼らは、人々が献げるいけにえの肉の中から自分たちのほしいものを、祭司職の特権を笠に着て、力づくででも取ろうとしました。でも一般の人々には彼らを断罪出来ませんでした。また同2:22は、祭司でありながら彼らは、会見の幕屋の入り口で仕えている女たちと寝るという恥ずべきひどい罪を犯していたことを伝えています。父親のエリは彼らを咎め、注意しましたが、彼らは分っていても無視しました。そこで、主が予め語っておられた通り、Ⅰサムエル4章が伝えますが、エリの二人の息子、ホフニとピネハスは、ペリシテ人との戦いで殺されたのでした。

 祭司は神の御名を帯びる者です。従って、彼らの罪と不信仰は、大いに神の御名を汚すものです。ですから、神は第三戒で言われる通り、罰せられたのでした。

 ただこれは、祭司ではない今の私たちには、あまり関係がないのではないでしょうか。いいえ、関係があります。黙示録1:6が言う通り、私たちクリスチャンも皆、イエス・キリストにより「祭司」とされているからです。

 私たちが祭司!これは本当は素晴らしい栄誉であり特権ですね。しかし同時に、何と恐れ多いことでしょう。従って、私たちは決して大げさではなく、主の前で絶えず悔い改め、主の赦しを請い願う者でありたいと思うのです。そして私たちが心から謙って本当に悔い改めるなら、神は、全世界を救って、なお余りあるほど絶大な御子イエスの十字架の贖いの故に、必ず私たちをお赦し下さいます!

 神の御名を濫用しなくても、私たちは不適切な言葉や態度、生活により、気付かずに御名を汚しているかも知れません。第三戒はこの点をも私たちに気付かせる大変重要な戒めです。第三戒により、また主イエスへの信仰の故に、私たちは自分の口にする言葉、内なる思いや感情や態度、生活において、むしろ赦しと慈愛に満ちた神の御名を少しでも輝かす者にされたいと願います。

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