2022年08月28日「聖書-愛の手紙-」

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:16 神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。ヨハネによる福音書 3章16節

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 今朝の礼拝は伝道礼拝ですので、少し自由にお話させて頂きます。説教題を「聖書-愛の手紙-」としました。

 ご承知のように、聖書には色々なことが書かれています。旧約聖書には、神が天と地と人間を創られたこと、人間が神に背いて堕落したこと、しかし、神の憐れみにより導かれたイスラエルの歴史が書かれていまする。他にも、神のきよい戒め、多くの祈りや詩歌、人々に神の意思を伝えた預言者たちの言葉もあります。

 新約聖書には、神の御子イエス・キリストを伝える福音書や、信仰を皆に教え励ます手紙も沢山あります。

 しかし結局、聖書は何かと言えば、一つハッキリ言えるのは、愛の手紙だということです。

 愛といっても、男女間の恋愛、友だち同士の友愛、家族愛もあります。しかし、聖書の伝える愛は、天地を創られた真(まこと)の神の、私たちへの愛であり、聖書は神からの愛の手紙なのです。このことを、まずお覚え頂きたいと思います。

 そこで、神が聖書で私たちに現しておられる愛がどんなものかを見たいと思います。

 第一に、それは、天と地を創られた真の神からの、私たち罪人への「救いの愛」です。

 先程のヨハネ3:16をご覧下さい。「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 神は「世」を愛されたとありますが、「世」とは、ここでは罪ある世という意味で、私たち人間を指します。

 人間の罪深さは、世界歴史を振り返れば、一目瞭然でしょう。国と国、民族と民族、人と人が殺し合わなかった時代が一つでもあったでしょうか。科学技術が発達し、けれども、2度の恐ろしい世界大戦や独裁政権などにより、何千万という人が殺された20世紀!また今、半年以上苦しめられているウクライナの状況。新聞、テレビ、インターネットに、これでもかこれでもかと、連日伝えられる犯罪!人間は何故こうも愚かで残酷で自己中心なのでしょう。

 しかし、これは決して他人事(ひとごと)ではなく、私たちも同じ状況に置かれれば、どうなるか分りません。そして最後に、神は必ず私たち一人一人を、隠れた罪をも暴いて裁かれます。この裁きから、誰が逃れられるでしょうか。誰が自分の力で自分を救えるでしょうか。何と惨めな私たち罪人でしょう!

 しかし、ここに福音があります!こんな私たちのために、神はご自分の愛しい独り子イエスを世に送り、私たちの代りに御子を十字架で罰し、私たちの罪を償わせられました。従って、今や私たちは御子イエスを自分の救い主として、ただただ心から信じ、受け入れ、依り頼むだけで、神は私たちのあらゆる罪を本当に赦し、私たちをご自分の子供にし、永遠の命を与え、天の国に入れて下さるのです!そこまで神は私たちを愛して下さっているのです。

 聖書は、何より御子イエスを通しての神の「救いの愛」を私たちに伝える手紙なのです。

 第二に、聖書は私たちに、神の嫌われる罪が何であるかを伝え、警告する愛の手紙でもあります。

 私たち人間の愛には、しばしばだらしない所があります。世の中には、子供が委縮する位、厳し過ぎたり、横暴で乱暴な親がいます。他方では、愛という名の下に子供に甘く、しっかり注意も躾(しつけ)もせず、気儘(きまま)にさせる親もいます。そのため、子供は適切な判断力や自制心のない者に育ち、社会に適応できず、自分を滅ぼす不幸な例もあります。男女間でも、ただ相手の言いなりになり、自分も相手も不幸になる場合があります。これらは本当の愛ではありません。

 しかし、神の愛は違います。私たちが全人格的に高められ、最後には、永遠の御国(みくに)に確実に入れるために、神は聖書の中で強く戒めや警告も与えておられます。その代表的なものは十戒です。

 讃美歌21の93-3をご覧下さい。神は命じられます。

 第一戒「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。」従って、本当のキリスト教では、決して特定の人間を神のように崇めず、神格化しません。

 第二戒「あなたは如何なる像も造ってはならない。」すなわち、神を決して形に表して礼拝しないのです。

 第三戒「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」軽々しく「神様、イエス様」と口にしません。

 第四戒「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」これは時間についての戒めでもあります。時間は神のものですから、私たちは時間を好き勝手に使ってはなりません。特に日曜日は神と共に過ごし、聖別するわけです。

 第五戒から第10戒を続けて読みます。「あなたの父母を敬え。」「殺してはならない。」「姦淫してはならない。」「盗んではならない。」「隣人に関して偽証してはならない。」「隣人の家を欲してはならない。」

 聖書には、次のようなイエスによる戒めもあります。「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。」(マタイ6:1)「裁いてはいけません。」(マタイ7:1)

 もういいでしょう。神の手紙、聖書には、戒めや警告が沢山あります。それは神が私たちを本当に愛し、私たちを罪と不信仰と滅びから守り、永遠の救いに確実に入れるためなのです。

 第三に、神は具体的、実践的なこととして、私たちが口にする言葉についてもお教えになります。例えば、こうです。箴言10:19「言葉数が多い所には、背きがつきもの。自分の唇を制する者は賢い人」。ですから、ある信仰者はこう神に祈ります。詩篇141:3「主よ、私の口に見張りを置き、私の唇の戸を守って下さい。」

 主イエスは、偽善的な当時のユダヤ教指導者たちにこう言われました。マタイ12:36、37「人は、口にするあらゆるい無益な言葉についても、裁きの日に申し開きをしなければなりません。あなたは自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって不義に定められるのです。」

 神は次のようなアドバイスも下さっています。箴言15:1「柔らかな答えは憤りを鎮め、激しい言葉は怒りを煽る。」エペソ4:29「悪い言葉を、一切口から出してはいけません。むしろ、必要な時に、人の成長に役立つ言葉を語り、聞く人に恵みを与えなさい。」。同5:3、4は言います。「あなた方の間では、聖徒に相応しく、淫らな行いも、どんな汚れも、また貪りも、口にする事さえしてはなりません。また、猥褻なことや、愚かなお喋り、下品な冗談もそうです。これらは、相応しくありません。むしろ、口にすべきは感謝の言葉です。」

 その通り、聖書で神は私たちに、感謝の言葉や人を慰め励ます親切な言葉をより多く語るようにお教えになります。「あなた方の言葉が、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人一人にどのように答えたら良いかが分ります。」(コロサイ4:6)

 ヤコブ1:19は、すぐ喋る出す私たちに言います。「人は誰でも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」神は言葉まで丁寧に教えて下さっています。私たちを本当に愛しておられるからです。感謝ですね。

 第四に神は、私たちをとても親しく知っていて下さることを、聖書で教えておられます。詩篇1391~4、16で信仰者は言います。「主よ、あなたは私を探り、知っておられます。/あなたは、私の座るのも立つのも知っておられ、遠くから私の思いを読み取られます。/あなたは私が歩くのも伏すのも見守り、私の道の全てを知り抜いておられます。/言葉が私の舌に上る前に、何と主よ、あなたはその全てを知っておられます。…/あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物に全てが記されました。」

 私たちは、自分にとって、さほど重要でない人のことは、余り知ろうとせず、大切な人のことは詳しく知ろうとします。何と神は、私たちのことを、私たちが生れる前も、今この瞬間も、これからも、私たちが自分を知る以上に遥かに詳しく知っておられるのです。

 人のことを詳しく知るためにはエネルギーが要ります。いいえ、何より愛が要ります。ということは、一体神は、私たちをどれだけ愛し大切に思っておられるのでしょうか。聖書は、神のこんな勿体ないばかりの愛をも、私たちに教えているのです。

 他にも色々な点がありますが、今朝は最後、五番目に、聖書から神の愛を知り、愛をもって人に仕えて生きた一人の人の言葉を少しご紹介します。それはヘレン・ケラーです。

 1880(明治13)年に生れ、生後18か月で猩紅熱(しょうこうねつ)のため、目も耳も駄目になり、喋ることも出来なくなって三重苦を背負い、しかし奇跡の人とも呼ばれ、1968年、87歳で天に召された彼女は、こんな言葉を残しています。

 「私は、自分の障害を神に感謝しています。私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。」

 「人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きる時です。」

 「人の苦しみを和らげて上げられる限り、生きている意味はある。」

 「目に見えるものは移ろいやすいけれど、目に見えないものは永遠に変りません。」

 神の愛の手紙・聖書により、救い主イエス・キリストを豊かに知り、そのイエスを幼子のように素直に信じて神の子供にされ、ますます神の愛を味わい、その喜びを多くの人と分ち合える、そういう幸いな者にされたいと思います。

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