2022年07月31日「使徒信条を告白する(使徒信条の学び 2)」

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使徒信条を告白する(使徒信条の学び 2)

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ローマの信徒への手紙 10章8節~10節

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10:8 では、何と言っていますか。「御言葉は、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちが宣べ伝えている信仰の言葉のことです。
10:9 何故なら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中から甦らせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。ローマの信徒への手紙 10章8節~10節

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 使徒信条の学びを始めました。2回目の今朝は、使徒信条を公同礼拝で告白する理由や意味、意義を学びます。どんなものがあるでしょうか。

 第一に、キリスト教は本来、自分の信仰を公に告白する宗教だということがあります。

 告白には、クリスチャンとなることを表明する洗礼時の信仰告白や、人に自分の信仰を言い表すという場合もあります。いずれにせよ、キリスト教は信仰を告白する宗教です。そして告白には必ず恵みが伴います。ローマ10:9、10は言います。「何故なら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中から甦らせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」

 信仰は心の中の行為ですが、それは必ず外に向って表されるものです。外に表さない信仰は、キリスト教信仰の本質から言うと、十分ではありません。

 無論、口だけの告白は空しいです。イエスは警告されました。マタイ7:21「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の御国に入るわけではな」いと。

 しかし、告白の伴わない信仰も不十分です。本当に信仰があり、本気で信仰に生きる意志があるのかどうかが分らないからです。ですから、イエスは言われました。「誰でも人々の前で私を認めるなら、私も、天におられる私の父の前で、その人を認めます。しかし、人々の前で私を知らないという者は、私も、天におられる私の父の前で、その人を知らないと言います。」(マタイ10:32、33)

 口による告白は、心に本当に信仰があることを示します。また、告白することで、信仰は一層強くされます。告白したからには、責任が伴いますが、それが信仰を強め、救いを一層確実にします。ですから、恵みなのです。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)

 以上、信仰は公に告白するもの、という点を見ました。

 第二に、信仰には、自ずと告白しないではおれないという点もあります。次にこの点を見ます。

 真(まこと)の信仰は告白しないではおれません。どうしてでしょうか。嬉しいからです。ヨハネ1:41、42によりますと、イエスの弟子となったアンデレは、シモン(ペテロ) に「私たちはメシアに会った」と告白し、彼をイエスの許に連れて来ました。1:43以降によれば、ピリポもナタナエルにイエスの話をし、「来て、見なさい」と言って彼をイエスの許へ案内しました。彼らはイエスに会って救い主だと分り、嬉しくて人に伝えずにはおれなかったのです。信仰にはそういう面があります。

 これは使徒信条を少し見るだけでも分ると思います。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とあります。考えてみれば、天地の造り主、真の神を知る以上に嬉しいこと、素晴らしいことがあるでしょうか。

 人も世界も絶えず変ります。一体、永遠に変らず、真実で絶対的なものは、どこにあるでしょうか。天地の創り主、永遠者、絶対者、万物の根源者なる全知全能の神の他にあるでしょうか。が、正にその真の神を、私たちは聖書から鮮やかに知ることを許されているのです。

 この聖い(きよい)神の前に私たちが罪深い者であることは一目瞭然です。しかし、こんな私たちが御子イエスの十字架のお蔭で罪赦され、天地を創られた真の神に恐れなく「お父様」と親しく呼び掛け、大胆に近づける!そしてイエスを信じ、受け入れ、依り頼む者は、神に永遠に受け入れられ、神の国を受け継ぐ!こんな喜び、幸いが他にあるでしょうか!

 真の神を知らなかった時、私たちは何をしても、どこか空しく、心の底からの満たしがなかったのではないでしょうか。でも、今は違います。クリスチャンとして生きる上で戦いはあり、失敗もし、辛い試練のために泣くこともあります。しかし、私たちは一切を支配し導いておられる全能の神を今や知っています。いいえ、神に知られています!

 その上、詩篇121:4が言うように、私たちを「見守る方は、まどろむこともなく、眠ることも」ありません。私たちが精魂尽き果て、泥のように眠り込んでいる時も、神は一瞬も眠らず、出エジプト12:42が言うように「寝ずの番」をして私たちを見守って下さる!

 次に使徒信条は「我らの主、イエス・キリストを信ず」と告白します。そのイエスは、ヘブル4:14以降が言いますように、私たちの弱さをも全て分って下さるお方です。何と感謝なことでしょう。

 次に使徒信条は「聖霊を信ず」と告白します。聖霊なる神は、妬むばかりに私たちを愛しておられる!これらのことを知りますと、自分と自分の人生についての考え方が一変し、私たちはそれを人に語らないではおれないのではないでしょうか。喜びを知って頂きたいからです。

 真の信仰には、嬉しくて人に告白しないではおれないという面があります。その意味で、信仰と告白は、表裏一体と言えます。

 第三に、私たちが特に礼拝で信仰を告白をする大事な意義の一つを見ておきます。

 改革派教会では、使徒信条と宗教改革時代に作られたウェストミンスター小教理問答を礼拝で告白している所が多いですが、それらにより、私たちは礼拝で繰り返し信仰を告白します。しかし、何故そうするのでしょうか。キリスト教信仰は根本的に神との契約に生きるという点を、今朝は確認します。

 この世には色々な宗教がありますが、キリスト教はそれらとどう違うでしょうか。色々ありますが、大きな違いの一つは、キリスト教では、信者は神と契約関係にあり、クリスチャンは絶えず神に自覚的に応答するという点です。

 人間の造った宗教では、人は自分が信じたい時は信じ、面倒臭くなったら「もういい」と言って、それで終ります。人間が中心で、用が済めば終る。しかし、キリスト教では違います。罪のために永遠の滅びに向っていた私たちを神は憐れみ、信仰を与え、御子イエスの十字架の贖いの故に私たちを救い、教理的に言って、ご自分との「恵みの契約」と呼ばれるものに入れて下さいます。その契約の中で、神は私たちを導き、守り、魂を養い、清め、やがては永遠の御国を受け継がせ、救いを完成されます。

 大切なことは、神との契約という点です。神は私たちを愛し、私たちと契約を結ばれました。ということは、神もその契約に縛られ、私たちに約束されたことにとことん誠実でいて下さるのです。ヘブル語で、契約をベリートと言いますが、それは元々、枷という言葉から来ています。つまり、何と神も私たちとの契約に自ら縛られて下さるのです!

 また御言葉により絶えず私たちに語りかけ、私たちを恵もうとしておられます。ですから、私たちも神との契約を覚え、神に絶えず誠実に自覚的に応答しながら、生きるのです。

 旧約聖書を見ますと、イスラエルの歴史が主なる神との契約の歴史であることがよく分ります。主なる神の導きで彼らがエジプトから救われた後、主は彼らとシナイ山で契約を結ばれました。シナイ契約です。40年後、約束の地カナンへ入ろうとした時、モーセはモアブの草原で彼らに主と契約を結ばせました。モアブ契約です。カナンへ入り、そこを獲得した時、ヨシュアはシェケムで神との契約を彼らに結ばせました。シェケム契約です。こうして契約を更新しつつ、イスラエルは主に従い、仕えて来ました。神も絶えずこれに応えて来られました。

 実はクリスチャンには、主の日の礼拝が神との恵みの契約の更新であり、信仰告白はその点を最もよく表すものの一つなのです。ウェストミンスター小教理問答や使徒信条を唱える時、私たちはイエス・キリストを仲保者として永遠の神との契約を更新させて頂いているのです。その思いで、使徒信条を是非唱えたいと思います。神はどんなに喜ばれ、私たちを祝福して下さることでしょうか。

 最後、第四に、礼拝で特に「使徒信条」を告白する意義を見ます。何でしょうか。私たちが目に見えない真の教会に属し、その一員であることの意識を新たにすることです。

 真の教会には二つの面があります。一つは空間的広がりです。真の教会は全世界に広がっています。世界には、今この瞬間も福音に忠実に生き、真理のために戦う真の教会があります。彼らも使徒信条を告白し、これに生きています。

 ギリシア正教会は、使徒信条ではなく、ニカイア・コンスタンティノポリス信条を使いますが、その中心点は使徒信条と同じです。従って、使徒信条を告白することは、私たちが全世界の教会と共に神の恵みの契約に与り、彼らと共に今、生かされ、今も真の神に仕え、隣人の救いのために福音に生きていることを意味します。使徒信条を唱える時、教会の世界的・空間的広がりを、是非、心に留めたいと思います。私たちの意識が変ります。

 もう一つ心に留めたいのは、時間的広がりです。すなわち、歴史を過去から未来へ貫き、また地上での戦いを終えた聖徒たちが一切の労苦から解かれて今安らいでいる天上の教会に至り、更に世の終りに実現する新天新地にある教会にまで至る壮大な流れです。あらゆる時代のあらゆる真実な信仰者たちが使徒信条を告白し、これに信仰を守られ、励まされ、悩み苦しみの多い世にあっても尚、神に信頼し、神の恵みによって生きて来ましたし、これからも生きて行く。

 使徒信条を唱える度に、空間と時間とを貫いて存在する真の教会に属する教会また神の民であることを、ハッキリ覚えたいと思います。どんなに励まされることでしょう!

 使徒信条を告白することには、以上のような意味があり意義があります。今後一つずつ見て行きますが、是非、それらを丁寧に心を込めて告白して行きたいと思います。

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