2022年07月14日「十戒の学び10 第二戒2」

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十戒の学び10 第二戒2

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章4節~6節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:4 あなたは自分のために偶像を作ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主である私は、ねたみの神。私を憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで及ぼすからである。出エジプト記 20章4節~6節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちは今、人が生きる上での大切な規範、十戒を学んでいます。今日も第二戒を見ます。出エジプト記20:4~5をもう一度読みます。「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」

 第二戒が問題にしているのは、真(まこと)の神への礼拝の方法や内容であることを前回確認しました。

 この前も申しましたが、エジプトでの奴隷状態から救われた古代イスラエルの民は、天地を造られた真の神、主が霊であられること、すなわち、純粋な人格そのものであられ、目に見えず、手でさわれない方であることは分っていました。

 しかし間もなく、出エジプト32章が伝えますように、金で子牛の像を造りました。それを本気で神と思ったのではないでしょう。しかし、神を拝む上で実感のあるものが欲しくなり、金で子牛の像を造ったのです。恐らく、その像の上に、目に見えない神がおられると考えたのでしょう。

 しかし、主は激しく怒られました。真の神を礼拝している積りであったかも知れませんが、目に見える金の像により、いつしか感覚がずれ、出エジプト32:6が「民は、座っては食べたり飲んだりし、立っては戯れた」と伝える通り、金の子牛の像の前でどんちゃん騒ぎをし、戯れ事を始めたのです。

 礼拝方法を誤ると信仰も変になり、心も振舞も生活も乱れる!怖いのです!ですから、主なる神は、十戒の第二戒で正しい礼拝方法の重要性を強調されるのです。

 神は、20:5で「私は妬みの神。私を憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代まで及ぼし」と言われます。厳しいです。しかし、これは神がご自分の民を真に愛しておられるからに他なりません。

 神はご自分を「妬みの神」と言われました。「妬む」とはすごい表現ですが、これは神が如何に強く真に私たちを愛しておられるかを表しています。ですから、神は続く6節で「私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである」と言って、御心に適った正しい方法で礼拝する者を、神がどんなに祝福されるかを強調なさるのです。

従って、私たちも意識的に神に喜ばれる正しい礼拝方法に努めるべきなのです。

 では、それはどういうものでしょうか。聖書を見ますと、礼拝の正しい要素には、聖書朗読、説教、聖礼典、祈り、賛美、献金などがあります。これらから何かを省くのも、他の何かを勝手に加えるのも正しくありません。

 しかし、特に大切なことは、礼拝時の私たちの意識と姿勢です。イエスはヨハネ4:24「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません」と言われます。

 荘厳な教会堂、パイプオルガン、ステンドグラスなどは素晴らしいですが、それら自体が礼拝にとって本質的なものであるのではありません。聖書に忠実な説教、聖霊の導きと支配を願い、神の前に心から平伏し、自分を神に明け渡す真剣な祈り、音楽による祈りである賛美歌、心からの感謝と献身の徴である献金など、礼拝者の意識と姿勢が最も重要なのです。

 「天地を造られ、歴史を貫いて一切を支配される聖なる神の前に今、私はいる。神が今、この私に目を注いでおられる!私は神の前に罪深く汚れた者なのに、神は想像を絶する大きな愛をもって私を愛して下さっている!人間にとって最も重要で高貴なことを聖書で教え、御子イエスによる全世界を贖って、尚余りある絶大な救いの恵みを与え、私と共に歩んで下さる」などと瞑想し、御言葉の教えに従おうとする決心!これが大切です。これを繰り返す内に、私たちは確実に変えられ、実際に祝福されます。

 神以上に、聖さ、正しさ、真実、また愛と憐れみに満ちた存在はありません!私たちはその神に礼拝で会見し、イエス・キリストのお蔭で、神と交わることを許されているのです。

 優れた人格者に接する機会が多ければ多いほど、私たちは必ず人格的に良い影響を受けます。まして最高のご人格であられる真の神に何度も礼拝でお会いし、交わり、教えられ、御子イエスにより恐れなく大胆に神に近づけることは、どんなに私たちを清め、高めることでしょう。

 永遠者なる神を、正しい礼拝方法により十分に知る時、それは日常の色々な場面でも私たちに神を発見させ、神の愛をいよいよ確信させ、様々な試みにも勝たせ、ついに私たちを永遠の御国に入れます!

 正しい神礼拝に伴う恵みは計り知れません。第二戒は、この大切なことを教え、大いに信仰を促すのです!

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