2022年07月07日「十戒の学び 9 第二戒1」

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十戒の学び 9 第二戒1

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章4節~6節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:4 あなたは自分のために偶像を作ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主である私は、ねたみの神。私を憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで及ぼすからである。出エジプト記 20章4節~6節

原稿のアイコンメッセージ

 大切な十戒を続けて学んでいます。今日は第二戒に進みます。

 前に申しましたが、十戒の数え方はプロテスタントとカトリックで違い、プロテスタントの中でも少し違いがあります。しかし私たちは、多くのプロテスタントが採っている改革派の数え方に従います。

 第二戒は、出エジプト記20:4「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない」と命じます。ここは、第一戒同様、偶像崇拝を禁じているように思えますが、真(まこと)の神でないものを神とする偶像崇拝は、既に第一戒が禁じていました。

 では、これは何を禁じているのでしょうか。「いかなる形をも造ってはならない」と命じた後、すぐ5節は言います。「それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない」と。つまり、第二戒が問題にするのは、礼拝の方法、礼拝のあり方なのです。

 真の神を信じてさえいるなら、神礼拝の方法など、細かく言う必要はないのでは、と或いは私たちは思うかも知れません。しかし、そうではありません。何故なら、神礼拝がどう行われるかで、私たちの信仰の内容も生活も必ず影響を受けるからです。私たちが神をどのように信じ、どう生きるかは、実は神礼拝のあり方や内容と切り離せません。ですから、神は第二戒を通して、正しい神礼拝の重要性をお教えになるのです。

 この点をもう少しお話致します。

 礼拝、礼拝と何度か言いましたが、礼拝には、私たちが自宅で持つ個人礼拝や家庭礼拝、また何かの折に皆で集まって行う礼拝もあります。しかし特に重要なものは、主の日毎に教会で持たれる公同礼拝です。

 主の日の公同礼拝には、クリスチャンの全存在をかけたものがあります。何かと色々なことに流されやすい普段の生活空間の近くにありつつ、しかし、それとは空間的にキチンと区別され、時間的にも取り分けられ、公同礼拝は、襟を正して真剣に、私たちの人生の目標や土台を何度も確認します。神との関係における私たちの根本的な死生観、人生観、価値観、使命感などを、神の御言葉・聖書により吟味し、学び、確認し続けるのです。

 礼拝は、私たちが創り主なる真の神また救い主イエス・キリストと、信仰を通して会見し、交わる場です。特に聖書により神の御心を繰り返し教えられ、私たちは自分の罪と不信仰を悔い改め、同時にイエス・キリストにますます寄り頼みます。そして主の十字架による罪の赦しと復活の恵みを絶えず確認し、神の祝福、励まし、希望を頂き、神の道を何度も再出発し前進するのです。神との恵みの契約を、私たちは七日毎の公同礼拝で更新し続けるのです。神がご自分とその恵みに満ちた御心を繰り返し私たちにお示しになり、その神に私たちが全身全霊を傾けて応答する!これが礼拝です。

 クリスチャンは、ただ日曜日毎に教会に集り、祈り、説教を聞き、賛美するだけのように、回りからは見えるかも知れません。しかし実はそこには、魂の深みにおける神との生命的な交わりがあり、愛と慈しみに満ちた神への私たちの魂の真実な応答があります。それが礼拝の生命と言えます。

 それだけに、礼拝の内容が神の御旨から外れたものですと、それはいつのまにか、神についての私たちの理解と認識、また信仰と生活に多大な悪影響を及ぼします。

 人と人との間のことを考えると、この点が幾らか分ると思います。例えば、私たちが大変素晴らしい人にお会いする機会を得たとします。でもその人を前にして、私たちがその人の語ることに静かに黙ってよく耳を傾けることをせず、自己流のやり方でその人に接し、「良かった」と満足しているなら、私たちはその人と本当の意味で会ったことにはなりません。その人から頂ける貴重な話や考え方や人格的影響も受けません。私たちは、その人と形の上では会ったものの、その人との本当の意味での交流はなく、自分勝手にその人をあしらっただけです。それは不幸ですし、その人に対しても無礼ですね。

 神礼拝も同じです。聖書で神御自身が教えて下さっている正しい方法でではなく、私たちが自己流の気儘なやり方で礼拝しても、それでは神に少しも喜ばれませんし、私たちは真実に神にお会いしたことにもなりません。神を正しく知ることも神の聖い(きよい)豊かな祝福に与ることもできず、いつしか私たちは神から離れてしまっています。厳しいですが、そうなのです。

 逆に、神の御心にキチンと沿った神礼拝のあり方は、必ず私たちを祝福し、慰め、力づけ、清め、成長させます。ここに、神礼拝の内容と内実を問う十戒の第二戒の素晴らしい意義があります。

 しかし、今日はもう時間がありませんので、続きは次回以降にお話させて頂きます。

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