2022年07月03日「神を愛する者の幸い」

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聖句のアイコン聖書の言葉

8:26 同じように御霊も、弱い私たちを助けて下さいます。私たちは、何をどう祈ったら良いか分らないのですが、御霊ご自身が、言葉にならない呻きをもって、執り成して下さるのです。
8:27 人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころに従って、聖徒たちのために執り成して下さるからです。
8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、全てのことが共に働いて益となることを、私たちは知っています。
8:29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子の形と同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
8:30 神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。ローマの信徒への手紙 8章26節~28節

原稿のアイコンメッセージ

 聖書には慰めに満ちた御言葉(みことば)が沢山あり、「あの御言葉で私は救われた。支えられた」と言う人は多いですね。ローマ8:28もその一つだと思います。

 これは17節「…苦難を共にする」、18節「今の時の苦難」という言葉から分りますように、苦難の中にいたローマ在住のクリスチャンを励ますために、紀元56年頃、パウロが書いたものです。彼らは既に苦難に遭っていましたが、今後もどんなことが待っているか、分りません。そんな彼らにパウロは神に導かれて書きました。

 確かにクリスチャンは、イエス・キリストの十字架のお蔭で、罪の赦しと永遠の命という最高の幸せを、天地の創り主なる真(まこと)の神から頂いています。この幸せは、どんなに強調しても、し過ぎではありません。

 しかし、人類の堕落により罪と悲惨がこの世に入ってきて以来、私たちがこの世で神に従順に生きることは容易ではありません。その上、私たち自身にも罪の残り滓があり、どんな苦難・試練が待ち受けているのかは、誰にも予測できません。

 しかし、御子イエスは言われました。「私は、あなた方を捨てて孤児にはしません。」(ヨハネ14:18)イエス・キリストは信仰者を決してお見捨てになりません。そのイエスに導かれてパウロは言います。ローマ8:28「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、全てのことが共に働いて益となることを、私たちは知っています」と。

 この御言葉を少し詳しく見ておきます。

 第一に、これは「神を愛する」人への約束です。誰にでも当てはまるのではありません。時々こういう点はカットし、良さそうな所だけ自分に当てはめる人もいます。それでは、御言葉は実現しません。

 しかし、神を愛する人には実現します!本当に起ります!その時々に私たちは気付いていなくても、神の約束は必ず成就します。

 クリスチャンは当然神を信じ、イエス・キリストを自分の唯一の救い主と心から信じ、寄り頼んでいます。しかし、それに加え、信仰が私たちの内に生み出す神への愛のあることが大切です。真(まこと)の信仰は、私たちにいよいよ正しい豊かな神知識を与え、それが私たちを、神を愛さずにはおられないようにします。

 大切なことは、私たちが神を愛しているかどうかです。そしてⅠヨハネ5:3が「神の命令を守ること、それが、神を愛することです」と言うように、喜んで神の命令、神の律法を守ることが重要です。そして、そうであるなら、私たちは神を愛しており、この約束は私たちに向けられています。万事が益となるように、神はして下さいます。

 では、何故神はご自分を愛する者に万事を益となるようになさるのでしょうか。第二にこれを見ます。

 答は、神を愛する者は、神が「神のご計画に従って召された人」だからです。つまり、ご計画により、御子イエスの十字架の死によって罪から贖い、神の子供として永遠の御国を受け継ぐように、神に召された者ですので、神は神を愛する人を、最終的には一切が益となるように導き、救いを完成させられるのです。私たちがイエスを自分の救い主として心から信じ、そのイエスを賜った神に感謝し愛しているなら、私たちは間違いなくご計画に従って召されており、神は私たちを断固お守り下さいます。

 人間の親でも子供を真に愛しているなら、時に子供に辛い体験をさせますね。それが訓練となり、最後には子供にとって益となると分っているからです。まして完全な父であられる神は、ご自分を信じ愛するご自分の子供たちのために、時に苦難が臨むことをお許しになり、しかし、ご自分の知恵と力を傾けて最終的には万事が益となるように導き、天の国に相応しい者に清められます。ご自分の名誉にもかけてそうされます。「私が私の計画に従ってあなたを召し、私の子供にしたのだから、私がそうする。」神はこう言われるのです。

 第三に確認したいのは、「全てのこと」を益となるように神がして下さる点です。「全てのこと」です。益とならないものなど一つもない!

 このことを「私たちは知って」いるとパウロは言います。「私たち皆が知っている周知のことですよね」と言います。

 しかし、何によって知っていたのでしょうか。聖書です。新約聖書はまだ形成途上でしたから、旧約聖書です。では旧約聖書のどこから分るでしょうか。例えば、創世記27章以降に見られるヤコブの生涯がそうです。

 ヤコブは、人間にとって一番大事なものが神の祝福であることをよく知っていました。彼の優れた点です。しかし、彼には小賢しい所もあり、兄エサウから長子の権利と神の祝福を奪い取ってしまいました。そのため、その後の彼の生涯は苦難の連続でした。好きなラケルと結婚したくて、ずるい叔父の下で14年もただ働きさせられ、漸く一緒になれたと思ったら、彼女に永い間子供が生れず、もう一人の妻レアとのことで家庭内は争い続きです。その上、娘は暴行を受け、妻ラケルには先立たれ、苦難の連続でした。

 しかし、そこに神のご計画がありました。苦難を経て彼は砕かれ、忍耐強くされました。そうでないと、彼は生涯、自分の賢さに頼る傲慢でイヤな人間で終ったかも知れません。

 「何故こんな辛いことばかりが」と、人生を恨んだこともあったかも知れません。しかし、神にはご計画がありました。最終的には、万事が益となるように神は導かれました。

 創世記37章以降に記されているヨセフもそうです。苦難を次々味わいました。兄たちに妬まれて殺されかけ、辛うじて助かりましたが、すぐエジプトに奴隷として売られ、待っていたのは、また苦難でした。無実の罪で数年間監獄に入れられました。しかし、全てに神のご計画がありました。辛くても罪を犯さず、誠実に生きた彼は、ついにエジプト王・ファラオに次ぐ地位に就き、その結果、カナンの地にいる自分の親族一同を恐ろしい飢饉から救えました。ヨセフ自身も、どんなに信仰者として練られ、成長したことでしょうか。詩編119:71の言う通りです。「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたの掟を学びました。」

 こういう旧約聖書の例だけでなく、パウロやローマ在住のクリスチャンたちも多分同じような体験をしていたと思います。

 ただ、このことをクリスチャンが常に実感できるかというと、現実は容易ではありません。

 阪神淡路大震災で、教会堂も教会員の家も沢山倒壊し、その上、ご自分にも末期癌が見つかるという厳しい試練に遭われた牧師がおられました。苦難の真只中にある時、周りのクリスチャンから「万事が益となる」と簡単に言ってほしくない、と彼は私にそっと打ち明けました。そのことを私は忘れられません。本当にそうだと思います。

 とはいえ、やはりこの御言葉は真実であり、私たちが神を愛しているなら必ず実現し、死さえも神は益とされます。

 その当座は、私たちも大きく取り乱します。ここで言われていることが、どのように成っていくのかは全く分りません。しかし、神を愛し、それ故ヤケを起さず、自分のできること・すべきことにこつこつ努めているなら、やがて私たちはこの御言葉通りのことを味わうでしょう。

 古代の有名なキリスト教学者アウグスティヌスの刺繍の譬があります。刺繍を裏から見ますと、色も長さも違う色々な糸が入り乱れて、何が何だか分りません。しかし、刺繍を表から、上から見ると、どうでしょうか。そこには見事に美しい図柄、デザインが浮かび上がっています。

 神を愛する人の人生も同じです。この世では、それは丁度刺繍を裏から見るように、何が何だか分らないことにも遭います。一体、神は何故こんなことが起るのを許されるのかと叫びたいこともあります。けれども、私たちが自分の人生を改めてじっくり顧みる時、特にやがて主イエス・キリストに伴われて天の国で自分の地上での全生涯を振り返る時、万事を益として下さっていた神の知恵に満ちた美しいご計画、デザインを見ることができ、嬉しさの涙と共に神を賛美している自分に気付くでしょう。

 この世では、一寸先は闇です。しかし神は、ご自分を愛する人たちのために一切を摂理しておられます。そして多くの信仰の先輩がそうであったように、悲しみも困惑も、それどころか、私たちの失敗すらも益となるようにして下さいます。

 大切なことは、私たちが神を愛しているかどうかです。特に困難に見舞われ、先のことが何一つ分らないような時、へりくだって真摯に自分を問い、神を見上げ、神を愛し直したいと思います。するといつしか私たちは、全ての真の信仰者たちと共に、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、全てのことが共に働いて益となる」と、心から言える者にされている自分自身を発見することを許されるでしょう。

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