2022年04月28日「私たちは神の作品」

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聖句のアイコン聖書の言葉

2:10 実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いを予め備えて下さいました。エフェソの信徒への手紙 2章10節

原稿のアイコンメッセージ

 パウロはエペソ教会の信徒たちに、2:10「私たちは神の作品」だと言います。彼は2:1以降で、以前は真(まこと)の神を知らず、罪と欲のおもむくまま滅びに向って生きていた私たちが、神の一方的恵みにより信仰を与えられ、神への立ち返りを許されたことが、どんなに幸せかと確認してきました。こういう嬉しい感謝な気持で10節も書かれています。

 「神の作品」という所は、昔から色々な言葉に訳されてきました。英国で出版されている改訂英訳聖書(Revised English Bible)はGod's handiwork(神の手造り品)と訳し、カトリック系の新エルサレム聖書(New Jerusalem Bible)はGod's work of art(神の芸術作品)と訳しています。神の御子イエスを救い主として心から信じ、受け入れ、依り頼み、イエスに倣い、イエスの御言葉に従って生きたいと願っている者は、神によって新しく造られ、それも神ご自身が喜んで作られる神の手造り作品であり、芸術作品だ、ということです。

 私たちが自分で自分を神の芸術作品だなどと言うのは、おこがましく、図々しいと思いますが、神の御言葉・聖書自身が、主イエスを救い主として本当に心から信じて従順に生きようとする者を、このように呼ぶのです。

 そこで試しに、一度と言わず何度でも良いですから、「私は、この私の体も心も魂も神が心を傾け手をかけてお造りになり、永遠に愛して下さっている神の作品なのだ」と考えてみると良いと思います。自分で自分を見る目や意識が、少し変るのではないでしょうか。

 信仰を与えられる前の古い私たちは、自分が何者かということも自分の生きる意味や目的も、常に自分の目で見たり、自分で考えたりすることから逃れられず、また自分への周囲の人々の目や評価に随分捕われてきたと思います。

 しかし、「そうだったのだ!私は本当は、ご自分の最愛の御子を十字架におつけになったほどに、極みまで愛して下さっている神の、勿体なくも作品なのだ」という全く新しい神の視点、神の角度から自分を見ると、どうでしょうか。自己採点からも周囲の採点からも自由になり、自分の存在を肯定して良く、神が計り知れない大きな愛をもってご覧になり、温かく育てようとしておられる、そういう自分の新しい姿や大切さが感じられると思います。

 無論、神の作品という時、「神が何もかもなさるのであり、自分は何もしない」というのではありません。私たちも当然意識的に努力します。10節後半は、私たちは「良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いを予め備えて下さいました」と言います。聖書の言う「良い行い」とは、世間一般で普通に言われる善行ではなく、私たちを人間として真に生かす神の御言葉・神の戒めに従順で、特に愛と真実をもって神と人に仕えることです。

 すると、神はこういう私たちを一層お喜びになり、御霊を賜り、新たな実行力や資質をお授けになり、一方で罪や汚れや不要なものは私たちから削り取り、私たちをイエス・キリストの故に、ご自身の愛おしい作品としてますます仕上げられます。ここが、作品は作品でも、神の作品であることの素晴らしく感謝な点です。神は私たちの拙(つたな)い努力や祈りをも喜んで用いられ、いわば、私たちと共同して私たちを仕上げていかれるのです。何と光栄なことでしょう!

 自分がいつまでこの世で生きられるのかは、誰にも分りません。しかし、いつまでであろうと、神は御子を信じる者を、ご自分の大切な作品として、夫々個性や特色を持った個別の作品として完成して下さいます。ピリピ1:6も「あなた方の間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させて下さる」と言います。聖書は、クリスチャンのこのような幸いを明らかにしているのです。

 今年もあと、まだ8か月あります。神は、どのように私たちに手を加え、あるいは、不要なものを削り取られるでしょうか。しかし私たちは、仕事であれ、家庭や社会的なこと、教会のことであれ、夫々が神から与えられている使命と役割と責任を覚え、ただ忠実に歩むだけです。いたずらに焦ることも気負うことも自分を卑下する必要もありません。すると神が私たちを、ご自分の大切な作品として、ご自分のやり方で、今年も少しずつ仕上げて下さるでしょう。

 愛と赦しと知恵に満ちた天の父なる神は、御子イエスにより私たちを、ご自分の作品として一番いいように手を加え、あるいは削り取られます。最高のクラフツマン(Craftsman、名工)であられる神が、是非、私たちを御心のままに形作り、また福音の前進のためにお用い下さいますように!

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